フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」 第16回 難治性難聴の新しい治療に挑む 京都大学大学院医学研究科耳鼻咽喉科・頭頸部外科学 伊藤壽一教授インタビュー

フクロウ博士の森の教室 シリーズ1 生命科学の基本と再生医療

第16回 難治性難聴の
新しい治療に挑む

人工内耳の臨床研究を手始めに、内耳の再生医療の研究と臨床に全力投球

京都大学大学院 医学研究科耳鼻咽喉科・頭頸部外科学
伊藤壽一教授 インタビュー

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伊藤 壽一(いとう・じゅいち)
1950年京都府生まれ。1975年京都大学医学部卒業。1983年京都大学大学院医学研究科修了。医学博士。カリフォルニア大学ロサンゼルス校留学、大津赤十字病院勤務を経て、2000年京都大学大学院医学研究科耳鼻咽喉科・頭頸部外科学教授。専門は内耳再生医療技術の開発、人工聴覚器による感音難聴治療法の開発。日本耳鼻咽喉科学会理事として同学会各種委員会を通じて日本全体の耳鼻咽喉科診療・研究の向上に貢献している。

難聴者に人工内耳や細胞移植などによる再生医療の応用で、音の世界を取り戻してあげたい。伊藤壽一先生は、京都大学病院で患者さんの臨床医として働くとともに、内耳再生研究に力を注いでいる。先生の研究のこれまでをうかがった。

難聴者に音の世界を開いた人工内耳

───先生は、人工内耳を早くから手がけられていますね。

人工内耳にはアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学したときに出会いました。そこのハウス耳科研究所というところで、人工内耳の患者さんへの応用を始めていて興味をひかれたのです。人工内耳は、「森の教室」でもお話ししたように、障害を受けている内耳の中の感覚細胞の代わりをする機器で、音を電気信号に変えて聴神経を刺激する機器です。
当時の人工内耳は、今のものとは違ってチャンネルが一個だけの(刺激する電極が一つしかない)ごくシンプルなものでした。それでも、クラクションを鳴らされるとそれとわかるので、危険が察知できるという意味で、まったく音が聴こえない人にとっては画期的なものでした。
日本に帰ってきて、1987年から人工内耳の手術を本格的に始めました。その当時の人工内耳は、前の世代のものより進んだ多チャンネル型で、それなりに言葉が理解できるレベルのものでした。
ただ、人工内耳に関しては、私たちがつくるわけではなく、臨床の現場で実際に患者さんに手術し、術後の聴覚獲得トレーニングをするのが仕事になります。

───人工内耳を装着すると、かなりの効果を期待できるのですか。

最初に手術で人工内耳を装着した患者さんは、これまで聴こえなかった音の世界に触れた感激で、からだをふるわせて喜んでおられました。
人工内耳も初期のものから比べるとずいぶん良くなってきていますが、音を感知する有毛細胞は人では15000個以上もあるのに、人工内耳の電極は20個ばかりなので、健常者と同じように聴くことは難しいといえます。健常者が聴こえている状態を100とすると、当初の人工内耳は10~20くらいと考えるとよいでしょう。

───人工内耳のこれからは?

人工内耳の研究もいまは第4世代、第5世代になっていますが、聴こえの状態に関してはこれ以上新しいものが開発できにくくなってきています。あとは手術の時に装着しやすいように小さくしようとか、外から見えないようにするとかの改良をするくらいでしょうか。
それと、人工内耳の手術を受けることができる人は、基本的にはまったく音が聴こえない人に限定されてしまいます。少しでも音が聴こえる人の場合は、人工内耳を装着することによって、わずかに聴こえる機能までが奪われてしまうために、人工内耳を装着することができないのです。(最近では補聴器と人工内耳とを組み合わせたようなものも開発されつつあります)
「森の教室」でもお話ししたように、ES細胞やiPS細胞と人工内耳を組み合わせた治療の研究も進んでいますから、今後新しい可能性が開かれていくことも期待できますね。

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