この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第2回 私たちが種をまいた網膜再生の研究をいまの中高生の世代に花開かせてほしい。独立行政法人理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チーム チームリーダー 高橋政代 氏

この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第2回 私たちが種をまいた網膜再生の研究をいまの中高生の世代に花開かせてほしい。 独立行政法人理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チーム チームリーダー 高橋政代 氏

Profile

高橋 政代(たかはし・まさよ)
1986年京都大学医学部卒業。1988年 京都大学大学院医学研究科博士課程(視覚病態学)、1995年にアメリカ・ソーク研究所の研究員として網膜の研究を続ける。2001年 京都大学病院探索医療センター助教授を経て、2006年より現職。また、先端医療センター病院眼科副部長および神戸市立医療センター中央市民病院非常勤医として、眼科患者の診察も担当。医学博士。

profile
網膜再生は再生医療のなかでも今後の臨床への応用が期待されている分野のひとつ。高橋先生は、理化学研究所でその最先端の研究に取り組むと同時に、眼科医として患者さんの診療にあたっている。

高校時代はエレキギターに夢中、青春を謳歌

───小学校時代はどんな子どもだったのですか。
京都大学医学部テニス学科といった生活だった

京都大学医学部テニス学科といった生活だった

本が好きな文学少女だったかな。ご飯を食べるのも忘れて主に小説を読んでいました。それと、英語が好きだった。テレビで英語を話す人が不思議に思えて、話す内容を理解したくて自分から両親に頼んで英語塾に通いました。もっとも、英語を専門にした仕事につきたいとは思わなかった。だって、世界では英語で話している人がいるわけだから、英語では太刀打ちできないって、子ども心に感じていたわけね(笑)。

───その頃から医者になろうと考えていたのですか。

この仕事をしたいって特別に考えていたわけではなかったように思います。でも「キュリー夫人のようになりたい」と小学生のときに書いていたのを大学を出てから知って、自分でも驚いた。へえ、そんなこと考えていたんだって。今から思うと、キュリー夫人のご主人も研究者だし、現在の私の生活スタイルと似ている。きっと、キュリー夫人の偉人伝などを読んでかっこいいと思ったのかもしれませんね。

───中学生から高校生時代は、どんな生活を送っていたのですか。

中学生のときはどちらかというと優等生タイプだったかな。その反動で高校生になると、「すごく悪い人になってやろう」と(笑)。で、軽音楽部に入ってエレキギターを始めたの。当時私が夢中になったのは、ハードロックのレッド・ツェッペリンだった。
大阪教育大学附属池田高校は、勉強が好きな生徒が多かったけれど、制服もなくて自由な雰囲気でした。もちろん、東大や京大に何人も進学したけれど決して多くはなくて、芸術の道に進む人もいるなどさまざまな人がいて、そういう雰囲気がとてもよかった。

───医学部に進学したのは?

「多くの人を助けたくて医者の道を志した」と言えばいいんでしょうが、残念ながらそういうことじゃなかった(笑)。文系ではなく理系に進学しようという思いはあったけれど、正直なところ、とくにこれといってなりたい職業はなくて、京都大学の医学部に入学したのは、自分の力を出し切って行ける最高のところという結果です。
ただ、両親から「大学に行くのなら、ちゃんとした大学に入りなさい。それができないようなら大学に行かず就職して社会人になりなさい」と言われていました。だから勉強はしましたよ。夏休みには、1日10時間くらいは机に向かっていた。それが普通だと思っていましたね。

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