この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第15回 細胞の中身が入れ替わる「オートファジー」の謎に迫る 東京医科歯科大学大学院 医歯学総合研究科 細胞生理学分野 水島 昇 教授
Profile
水島 昇(みずしま・のぼる)
1996年東京医科歯科大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。1997年、岡崎国立共同研究機構・基礎生物学研究所の大隅良典教授の下でオートファジーの研究を開始。財団法人東京都医学研究機構・東京都臨床医学総合研究所室長を経て2006年9月に東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科教授に。2008年日本学術振興会賞、塚原仲晃記念賞、2009年 井上学術賞、2010年 日本生化学会柿内三郎記念賞、2011年 武田医学賞などを受賞。著書に『細胞が自分を食べる オートファジーの謎』。


───育ったところはどんなところだったのですか。
東京の新宿区落合という町で生まれ、育ちました。新宿というと繁華街を思い浮かべるかもしれないけれど、落合はそうした繁華街ではなく、近くには自然も残っている小さな町でした。公園が近くにあり、野球をして遊んでいました。親と一緒に硬式テニスもよくやっていました。本を読んで過ごすよりも、活発にスポーツをし、遊ぶのが好きでした。
───スポーツのほかに興味のあったものは?
祖母が口径8センチメートルくらいの天体望遠鏡を買ってくれたこともあって、天文学には興味を持っていました。この望遠鏡を使っても東京では、月や明るめの星が見える程度でしたが、わくわくして夜空を眺めていました。小学生の頃は渋谷にあったプラネタリウムに毎月通っていたほどです。もっとも、毎月行っても星空の映像はさほど変化がなかったんですけれどね(笑)。プラネタリウム館の廊下に惑星の軌道や天体の運行の模型展示やパネルがあって、それを見るのもすごく楽しかった。帰りに本屋で天体関係の本を一冊買ってもらうというパターンでしたね。当時の愛読書は理科年表でした。そうそう、ピアノも習っていて音楽はとても好きでした。
───中学・高校生時代はいかがでしたか。
中学、高校は私立の一貫校に入りました。学科の中で特に好きだったのは物理、数学です。物理や数学の授業では先生が独自の教科書を使って授業をするので、レベルの高い内容だったと思います。物理は目に見えないものを追求して、それを短い言葉で一般化して説明するプロセスに魅力を感じましたね。

▲ 小学生時代(左)。右は友人たち
苦手だったのは歴史、国語。特に国語は自分では苦手意識はなかったのに、なぜか私の答えはいつも正解とかなりずれていたらしいのです(笑)。
クラブ活動は、最初、地学部に入って地層を研究するため千葉県などに出かけ、ひたすら歩きまわりました。でも1年半で辞めて音楽部ブラスバンドに入りました。ブラスバンド部では、吹奏楽用オリジナル曲のほか、当時はやっていた松田聖子の歌謡曲や、ジョン・ウイリアムスの「ET」などの映画音楽をよく演奏しました。近隣の共学や女子高校との合同演奏会などもありました。男子校でしたので、ほかのクラブからはうらやましがられました(笑)。