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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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脳は記憶を「力」で刻んでいた!シナプスでの力学的情報伝達の発見~東京大学大学院 河西研究室を訪ねて~

私たちの脳内では、神経細胞同士がシナプスを介してつながり、電気を使った「電気伝達」と神経伝達物質の放出による「化学伝達」の2種類で情報伝達が行われていることが知られている。ところが2021年11月、シナプスでは筋肉並みの力によっても情報が伝えられているという論文が発表された。第3の「力学的情報伝達」は、いったいどのような研究によって発見されたのだろう?

河西 春郎(かさい・はるお)

東京大学大学院医学系研究科
疾患生命工学センター 構造生理学部門 教授

1957年北海道生まれ。81年東京大学医学部医学科卒業。85年同大学医学部医学科博士課程修了。医学博士。88年マックスプランク研究所(ドイツ)フンボルトフェロー。90年東京大学医学部医学科助手。93年同大学院医学系研究科助教授。99年岡崎国立共同研究機構生理学研究所教授。2005年東京大学大学院医学系研究科教授。17年東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)主任研究員兼任。03年塚原仲晃記念賞、10年上原賞、16年日本医師会医学賞受賞、18年紫綬褒章受章。専門は、大脳のシナプスの運動性と学習・記憶機構や精神疾患の研究。

ショートムービーで見る研究のあらまし

動画中のスパイン図版2点の出典:脳科学辞典「樹状突起スパイン」

脳の第3の情報伝達様式

私たちの脳には約1000億個もの神経細胞があり、それらがネットワークを形成して、記憶や学習、思考や好き嫌いなどの脳の働きを担っている。神経細胞には細胞核のある細胞体と軸索、樹状突起があり、軸索から0または1の電気信号を別の神経細胞の樹状突起に入力している。軸索終末と樹状突起の接合部がシナプス。シナプスを介して神経細胞同士の情報伝達が行われるが、接合部といってもピッタリくっついているわけではなく、数万分の1㎜ほどの隙間があるため、電気信号のままでは情報が伝わらない。そこで、軸索を伝わってきた電気信号がシナプスに到達すると、軸索の終末部分から化学物質である神経伝達物質が放出され、受け手側の受容体で再び電気信号に変換されることで情報が伝わっていく。
――そう高校の教科書には載っているし、この生命科学DOKIDOKI研究室の脳の記事でも同じように解説してきた。

細胞体:神経細胞の本体で、樹状突起や軸索がここから伸びている。細胞体の内部には、細胞核があり、DNAが含まれている
軸索:電気信号によってほかの神経細胞に信号を送っている
樹状突起:神経細胞からの情報を受け取る

教科書ではこんなふうに習ったよね。

ところが、2021年11月24日、イギリスの科学雑誌「Nature」オンライン版に、東京大学の河西春郎先生らの研究グループが、シナプスでは物理的な圧力を使って伝達物質の放出を増強しており、シナプス前部と後部の力を介した相互作用によって、短い記憶効果が生まれるという論文を発表。しかもその際の「押す力」を測定したところ、1cm2あたり0.5kgと筋肉の張力並みだったというのである。
電気信号と化学物質によるやりとりだけではなく、第3の力学的な伝達もあるとは!「これは教科書を書き換えるようなすごい発見だ!」と興奮して、東京大学本郷キャンパスの医学部1号館にある河西先生の研究室を訪ねた。
「先生、力学的伝達について、できるだけわかりやすく教えてください!」

脳活動を観察できる2光子顕微鏡の開発

河西先生は、私たちが記憶したりものを考えたりする際の脳の高次な情報処理がどのように行われているのかを探り、心の実態に迫る研究がしたいと脳研究を志したという。当初は神経細胞の発火を調べていたが、「活動電位は脳の活動のすべてではない。ニューロンがつながり合ってできている脳の中を直接、詳しく観察したい」と研究を続けるなかで注目したのが「スパイン」だった。

スパインという言葉を初めて聞く人も多いだろう。
「ニューロンから送られる情報を受け取る樹状突起をよく見ると、トゲのような小さな出っ張りがぎっしり生えています。これがスパインで、ここに興奮性の神経伝達物質であるグルタミン酸の入力があります。大脳のシナプスの8割は興奮性で、そのうち9割はスパインに接続するんですよ。最近の研究で、線虫のような無脊椎動物の中枢神経にもスパインがあることが判明しましたが、脊椎動物、なかでもサルや人間の大脳皮質の錐体(すいたい)細胞*や小脳のプルキンエ細胞**などでよく発達していること、脳精神疾患の患者ではスパインの形や量の異常が報告されていることなどから、スパインは高次脳機能に深いかかわりがあると考えられています」

*錐体細胞:細胞体が三角形の形をしている神経細胞で、哺乳類では大脳皮質や海馬などに分布する興奮性の神経細胞
**プルキンエ細胞:小脳皮質にある大型の神経細胞で、運動制御機能や認知機能に関わる

脳錐体細胞の興奮性シナプスの場合、神経伝達物質はグルタミン酸で、樹状突起のスパインと呼ばれる棘構造が入力を受ける。

上は正常なスパイン、下は脆弱X症候群(X染色体の異常の1つで、知的障害と運動障害などが現れる)のスパイン

スパインは19世紀末に神経学者のカハール博士などによって発見されたが、スパインがどんな機能を担っているのかは、20世紀になってもほとんど解明されていなかった。なにしろスパインの大きさは1マイクロメートルより小さく、その性質を調べるためには、そこに信号を送り込む軸索を個別に電気刺激する必要があるが、電流による刺激は広がりやすく、狙った1本だけを刺激することが困難なうえ、電極を脳内でほんのちょっとでも動かすと細胞が傷ついてしまうからだ。

機能する脳を直接観察したいと考えていた河西先生が開発にチャレンジしたのが、光を使ってスパインやシナプスの機能を調べる顕微鏡の開発だった。しかし、当時の共焦点レーザー顕微鏡やイメージング手法は、深部の観察に限界があり、見たい部分以外でも光が吸収されて組織がダメージを受けてしまう、色が褪せる、細かいところが見えないなどの限界があった。そんなとき出合ったのが1990年ごろに登場した「2光子顕微鏡」だった。

2光子顕微鏡

「この顕微鏡では、パルス幅が100フェムト秒という超短時間のエネルギーを発する特殊なレーザーを使います。フェムト秒とは10のマイナス15乗(1000兆分の1)秒。わかりやすく言うと、地上でもっとも速く1秒間に地球を7周半する光が100フェムト秒の間に進む距離が30マイクロメートル、およそ細胞1個分です。このようなきわめて短い時間に圧縮した光をレンズの焦点に集めると非常に強い光になる。そしてこの顕微鏡で2つの光を同時に照射すると、観察したい焦点にある分子だけをピンポイントに励起させることができます。波長が長い近赤外光を用いるため組織の深部まで観察できることも、脳を観察するには適しています。私たちは、シナプスを観察するには、光を当てるとグルタミン酸を放出するケイジド試薬*とこの2光子顕微鏡を組み合わせるしかないと考え、1997年に開発に着手しました」

*ケイジド試薬
神経伝達物質などの生理活性物質に光分解性の保護基(ケイジ)を結合させた化合物。可視光や赤外光を照射することによって保護基が分解され、その生理活性が発現する。

左は1光子励起、右が2光子励起。焦点のみに光が集まっていることがわかる

狙いたい分子にピンポイントに光を集めることで、
光反応を起こさせるんだって

ケイジド試薬の有機合成の専門家であるG. C. R. Ellis-Davies博士をはじめ、当時助手だった根本知己(ともみ)さん(現・自然科学研究機構 生命創成探究センター教授)、大学院生の松崎正紀(現・東京大学大学院医学系研究科教授)さんなど意欲的なメンバーが揃い、3年間で2光子励起ができるケイジドグルタミン酸*の開発に成功したという。

左は1光子励起、右が2光子励起。焦点のみに光が集まっていることがわかる

*ケイジドグルタミン酸
調味料の主成分であるグルタミン酸の横に光感受性のある側鎖がついている。光を当てると、グルタミン酸が遊離し、1個のスパインを刺激する。

スパインの頭部増大と「長期増強」の発見

河西先生たちは、この画期的な2光子顕微鏡によるグルタミン酸刺激法*を用いて、海馬のスライス標本を使って、スパインのグルタミン酸の感受性を系統的に調べた。すると、スパインごとにグルタミン酸の感受性が大きく異なること、頭部が大きくなるほどグルタミン酸感受性が強く、頭部のないスパインにはグルタミン酸感受性がないことがわかった。

*ケイジド試薬を用いてグルタミン酸を放出させることから「2光子アンケイジング法」とも呼ばれる。

「この図を見てください。樹状突起表面のグルタミン酸感受性の強さを色で表現したもので、暖色系ほど強いことを示しており、スパインが大きいほど感受性が強いことが見て取れるでしょう。スパインの頭部体積とグルタミン酸受容体を流れる電流の強さをプロットすると、高い相関が見られます。つまり、シナプス結合の強さは、スパインの大きさで決まってくると考えられるのです」

スパイン頭部体積とグルタミン酸電流の強さはよく相関する。

続いて2光子グルタミン酸法を用いて、単一スパインを反復刺激するとどのようにスパインの形態が変化するかを調べた。
「私たちが学習したり記憶したりする際は、シナプスに繰り返しの入力があり、『長期増強』と呼ばれるシナプス結合強度の増強が見られることが知られています。この長期増強が、記憶の固定化の基盤ではないかというのが、現在の有力な仮説です。そこで、1個のスパインで長期増強がどのように起こるかを研究しました。すると反復刺激したほとんどすべてのスパインで、数秒以内に頭部が著しく大きくなり、1-2時間程度その状態を維持する『スパイン頭部増大』という現象を見出しました。さらにこの頭部増大にあたっては、グルタミン酸感受性も増大していました。つまり、シナプス結合が強化されていたというわけです。この現象は、隣のスパインには広がりません。刺激したスパインだけに起きる現象です。つまりスパインは個別に書き込み可能で、書き込まれると頭部増大という運動をする『メモリー素子』だったのです」

2光子グルタミン酸法で単一スパインを反復刺激したところ、スパイン頭部の増大とそれに伴うグルタミン酸電流の増大が観察できた。この変化は速く、1時間以上続くが、隣接するスパインに変化は見られない。

さらに興味深いことがわかった。
「すでに増大したスパインを反復刺激してもそれ以上大きくなることはなく、グルタミン酸電流の増大もおきませんでした。これに対して小さなスパインは大きくなりやすい。つまり、頭部の大きなスパインは書き込み禁止になっていて、長期的に安定な構造になっており、長期記憶の記憶痕跡そのものである可能性があります。一方小さなスパインは、私たちの意識体験がどんどん書き込まれていくメモリー素子として機能しているというわけです。その後の研究で、生きているマウスの脳でスパインが分散して増大している様子を可視化して、大きくなったスパインを消去すると記憶が消去されることも検証しました」

スパインは脳の「メモリー素子」といえるんだって

では、スパインはどのようにして大きくなるのだろう?
スパインには、アクチンという繊維状の細胞骨格タンパク質がたくさん含まれていることが知られている。アクチン繊維を光で標識して解析したところ、頭部増大の最中に新しいアクチン繊維が生成され、スパインを押し広げていることがわかった。

頭部増大にあたっては、アクチン繊維が生成・増大し、それに伴い、グルタミン酸受容体が集積する。

スパインは筋肉並みの力で軸索を押している!

スパインの頭部増大を発見したときから、河西先生たちには大きな疑問があった。シナプス後部は、スパインの頭部が大きくなるとともにグルタミン酸感受性が増しているが、このときスパインが大きくなることでシナプス前部の軸索終末の細胞を押しているはずだ。とすれば、スパイン頭部増大は、シナプス前部にもなんらかの機能変化をもたらしているのではないだろうか?

「シナプス前部を押すとどうなるのかを確認するために、まず極細のガラスピペットで前部を押してみました。すると、適切に押した場合、細胞の形はすぐに元に戻るけれど、グルタミン酸の放出が20~30分程度続くことがわかりました。ただし押し込む力が過剰だった場合は、グルタミン酸の放出は抑制されてしまいます。つまり、細胞が壊れてしまいグルタミン酸が放出されたわけではなく、力が加わったことでグルタミン酸の放出が促されたと考えられるのです」

ではこうした力学的な反応が、本当にシナプス前部で起きているのか。そしてどのようなメカニズムでグルタミン酸が放出されているのだろうか?

「この謎に2013年からチャレンジしてくれたのが、トルコからの留学生のUCAR Hasan博士(現・東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構特任助教)です。非常に優秀で、光遺伝学とグルタミン酸センサーを使うという超絶技巧を編み出しました。光を当てると活動電位を出してくれるタンパク質と一緒にグルタミンの放出量を蛍光で測定できるタンパク質を使い、シナプス前部を光刺激したところ、軸索終末部位で、SNARE蛋白質*が会合してグルタミン酸を放出しているというメカニズムを発見したのです。スパインの押す力を測定すると、1cm2あたり0.5kgと、平滑筋と同等の“筋力”であり、神経細胞の中で最も強い力で増大することがわかりました」

*SNARE蛋白質
細胞内外でタンパク質などの分子を輸送するときは、小胞がトラックのように荷物を運搬し、目的地に到着すると、膜と融合して中の荷物を引き渡す。このとき、小胞と細胞膜の融合を助けるのがSNARE蛋白質。神経伝達物質の放出にあたっては、シナプスの細胞膜と小胞それぞれの表面のタンパク質が会合することにより、細胞膜と小胞が近接した状態を保ち、刺激によってグルタミン酸などの神経伝達物質の放出を導く。

スパインを増大させると、スパインが軸索を押しており、軸索終末部で開口放出を誘導させるSNARE蛋白質の会合が促進されている。

軸索終末を光刺激したところ、放出されるグルタミン酸の放出が増大した

軸索終末は、スパインが増大する際の1cm2あたり0.5kgという平滑筋並みの力で押されることによって、グルタミン酸の放出が促進される。シナプス終末、前部と後部相互の終末力覚と力学的な放出促進(トランザクション)力学的応答による情報伝達なので、この様式をPREssure Sensation and Transduction=PRESTと名づけた

一連の研究によって、シナプスの前部と後部が力学的な相互作用を行っており、神経伝達物質であるグルタミン酸の放出を促進していたことが明らかになったが、この頭部増大の圧力そのものは10分程度でおさまる。河西先生たちは、この圧感覚によって、スパインの変化を軸索側がすばやく読み出し、短期的な作業記憶の基盤となるのではないかと考えている。短期記憶と長期記憶がシナプス前部と後部という別の媒体で記憶され、両者の力学的伝達で記憶の読み出しや書き込みなど、情報の受け渡しが行われているのではないかというのである。まだ作業仮説の段階だけれど、とても興味深い。

長期記憶はスパインに蓄積されるが、短期の記憶は軸索に蓄積される。短期的な機能の読み出しには化学伝達より、力学的伝達による相互作用が速いのではないかと考えられる。

今回、第3の力学伝達が明らかになったことで、シナプスの運動性の研究がさらに進んでいくことが期待できると河西先生は言う。
「これまでの研究で、統合失調症、自閉スぺクトラム症、知的障害などの脳機能障害の直接の原因がシナプスの形態異常ということが知られています。例えば知的障害ではスパインの小型化が顕著ですし、統合失調症では作業記憶障害やグルタミン酸受容体の機能低下などが指摘されており、いずれもシナプスの運動障害が関係していると考えられています。どのような機能分子がシナプスの運動性に関わるのかが解明されれば、病気の診断や治療薬の開発が進むでしょう。さらにこうした病気以外でも、運動能力に個人差があるように、私たちの脳のシナプスの運動にも個人差があって、脳の個性を決めている可能性が明らかになっていくかもしれません」

シナプスという言葉は、ギリシャ語で『手を握る』という意味の言葉が語源になっているという。私たちの脳の中では、神経細胞同士が握手し、手を握り合うことで、記憶したり考えたり泣いたり笑ったりしている。河西先生は、そんな脳のシナプスやスパインの形態変化や力を介しての周囲の組織との相互作用を今後も探究していきたいと言う。

「スパインは頭部増大という運動により力を出す脳のメモリー素子です。人間の脳にスパインは100兆個ありますから記憶容量は100テラ・ビット、バイトにすると12.5テラバイトです。私たちはこれだけの膨大なメモリーを日々読み出し、書き込みに使っている。スパインやシナプスの研究から私たちの心を読み解く研究は、とば口にさしかかったばかりなのです」

12.5テラバイトって、4.7GBのDVDに映画が1本録画できるとして映画が約2700本も録画できる量だよ!

(2022年2月25日更新)