この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第12回 細胞の声を聞くのがうれしくて研究を続けているんです。 奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科 分子発生生物学講座 高橋淑子 教授

この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第12回 細胞の声を聞くのがうれしくて研究を続けているんです。 奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科 分子発生生物学講座 高橋淑子 教授

Profile

高橋淑子(たかはし・よしこ)
1960年広島市に生まれる。79年ノートルダム清心高等学校卒業。83年広島大学理学部生物学科卒業。85年、京都大学大学院理学研究科生物物理学専攻修了。88年同学科博士課程修了。同年、フランス発生生物学研究所客員研究員。米オレゴン大学、コロンビア大学の客員教授を経て、98年奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科助教授。2001年理化学研究所発生再生科学総合研究センターチームリーダー。2005年より現職。2010年、自然科学分野の第一線で活躍する女性科学者に贈られる「猿橋賞」を受賞。
小学生時代から合唱を続け、高等学校では合唱部の部長を務め、現在大阪フィルハーモニー交響楽団合唱部に所属。年4回ほど舞台に立つ。

profile
ニワトリの卵は、一個の大きな細胞である。細胞が分裂し、生命の萌芽である胚になり、そこから血管や神経、筋肉などの器官がつくられる。高橋先生は、ニワトリの胚がどのように神経や血管を形づくるのか、その過程でどんなコミュニケーションが図られるのかなどを研究している。子どものころはやんちゃ、おてんばで過ごしたという高橋先生は、「細胞の気持がわかる研究者になってほしい」と呼びかける。

おてんば娘だった子ども時代

───どんな子ども時代を過ごしたのですか。

広島で生まれて、昭和30年代の広島で育ちました。私は市内で育ちましたが、両親の出身地であり、祖母が住んでいた東広島によく遊びに行きました。当時そこには豊かな里山が広がっていて、野山を舞台にいとこたちと一緒になって夢中になって遊び暮らしましたよ。虫を捕ったり、工事現場で重機を滑り台にしたり、田んぼに落ちてパンツまで泥だらけになって母に叱られたり…、まあ、おてんばだったわね(笑)。
小学校のときは学校が楽しくってたまらなかった。授業が終わっても近所の友達と校庭で野球をしたり、外で走り回っていましたよ。それと習い事も大好きで、ソロバン塾、習字、ピアノなど、母に泣いて頼んで通わせてもらった(笑)。とにかくやりたいことがいっぱいあって、退屈したことなんてなかったんじゃないかな。

───勉強のほうはどうだったのですか。

学校も楽しくて仕方なかった。自分で言うのもなんだけど、小学生時代、成績は良くて、どんな学科も好きで、苦労したことはなかったですねえ。家から一番近かった広島大学附属中学校を受験したのですがくじで落ちて、中高一貫のノートルダム清心女子大の付属校に進学しました。もっともどんな学校か知らずにいて、入学後に神学校だということを知ってびっくり(笑)。
入学してみると、ハイレベルな中学で、とくに英語はネイティブスピーカーが基礎から徹底的にたたき込んでくれました。中学の時にもう高校レベルの英語の授業をやるくらいでした。英語力をこのとき身につけたことは、研究者としてやっていく上ですごく役に立っています。

───高校生のときに、進路はどのようにして決めたのですか。

進路について将来こうあらねばと決めたわけではないけれど、数学、物理、化学が好きだったから、こうした科目を受験に活かしたいなという思いはあったんです。それに文系に進学すると数IIIが勉強できない。それってもったいないじゃない!
生命科学の分野に進もうと決心したのは、すてきな生物の先生に出会えたことから。ホルモンはどこから生まれて、どこでどんな働きをするのかとか、耳や目の構造について解剖図を見せながらとても興味深く教えてくださったのです。人間が音を聞くってこういうことなのかって、もうびっくり仰天(笑)。
高校の先生からは医学部を勧められたのですが、生物学をやりたいと考えて広島大学の生物学科に進学しました。

写真:幼少時代

10歳のころ。夏休みの自由研究「浮き草の研究」が広島市科学賞で表彰される

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