この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

第27回 生物の形の美しさに魅了されて、ニューロンの研究に夢中 京都大学 物質・細胞統合システム拠点 見学美根子教授

Profile

見学 美根子(けんがく・みねこ)
1985年東京都立戸山高校卒業、89年東京大学理学部生物学科卒業、91年同大学大学院理学系研究科動物学専攻修士課程修了。95年同大学大学院医学系研究科第一基礎医学専攻博士課程修了。医学博士。同年、ハーバード大学医学校にてポストドクトラル研究員。1997年に帰国後、京都大学大学院理学研究科生物物理学教室助手、講師、理化学研究所脳科学総合研究センターチームリーダーを経て、2008年京都大学物質・細胞統合システム拠点准教授、2012年より現職。専門は神経発生生物学。

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小学生のとき、ミヤマクワガタなどの形の美しさに魅了された見学先生は、今もニューロンの動きや形の美しさの謎を解明しようと、イメージング技術を応用して、動きながら形を変えていく細胞を追い、神経回路の細胞が構築されるメカニズムの探究を続けている。研究と家庭生活とを自然体で両立させている先生に、近い将来女性研究者としての活躍を志す高校生へのメッセージもいただいた。

虫捕りが大好き

───どんな子ども時代を過ごしましたか。
幼稚園のころ。東久留米でのレンゲ畑で。2つ年上のお兄さんと

幼稚園のころ。東久留米でのレンゲ畑で。2つ年上のお兄さんと

生まれ育ったのは東京の郊外の東久留米市です。子ども時代はまだ里山が残っていて、背中に虹のような光沢のある玉虫がたくさんいました。毎日のように日が暮れるまで外で虫捕りをして遊んでいたのですが、玉虫など珍しくないので、「また玉虫か」なんて思っていたくらいです。ゲンゴロウやミズスマシなどの水生昆虫が好きでしたね。ミヤマクワガタやノコギリクワガタの形の違いなどに興味があって、夜になると図鑑を広げて見入っていました。物語などはほとんど読みませんでしたが、こと生き物のこととなると興味津々でした。みんなが気持ち悪がって逃げていくような、木の枝に魚やカエルが突き刺さってミイラ化しているモズの早贄(はやにえ)などを見つけて、一人その場にとどまって観察を続けていたり。
けれども小学校3年生のときに新宿区の戸山にある公務員住宅に引っ越してからは、虫をつかまえる機会も減ってしまいましたね。

───その後は戸山でずっと過ごしたのですか。

いいえ、小学校4年生のとき、父の仕事の関係でイタリアのミラノに移りました。ミラノは石畳の街で大人の感じがする街でした。ここで音楽や美術に興味を持つようになりました。年に一度くらいでしたが、スカラ座でオペラを見たりしたんですよ。
クラシックだけでなく、洋楽も好きになり、5年生のころはビートルズに夢中になって、それからビージーズ、クイーン、ディープパープルなど、当時人気のあったミュージシャンの曲を聴くのが最高の楽しみでした。

───日本から見知らぬミラノに行くといことで不安はなかったのですか。
ミラノ時代。パリに家族旅行

ミラノ時代。パリに家族旅行

いいえ、ヨーロッパに行けるというのでワクワクしました(笑)。「アルプスの少女ハイジ」の影響もあって、ヨーロッパアルプスに憧れていましたし、外国人ってどんな人たちなのか、興味いっぱいでした。
ミラノでは日本人学校に通いましたが、学校ができたばかりだったので、それまでアメリカンスクールやインターナショナルスクールに通っていた子がほとんどで、イタリア語や英語がペラペラの子も多かった。私はイタリア語は日常会話ぐらいしかできなかったので、外国語を学ぶ大切さを実感しましたね。言葉ができることによって広がる世界があるんだということを体感したわけです。
カルチャーの違いということでいえば、ミラノで感じたのは日本よりも子どものしつけに厳しいことでした。日本人学校に通っている子も大人に対する態度はきちんとしていました。それと本格的なイタリア料理がおいしかったこと。日本では当時イタリア料理といえばナポリタンくらいでしたから(笑)。
ミラノはさすがに芸術の都、ファッションの街だけあって、洗練された雰囲気。それが今の自分の形成にどれだけ影響しているかは分かりませんが、いろいろな面で刺激を受けたことは確かですね。

───小学生のころ好きな教科はありましたか。

理科、算数、それに図工でしょうか。理数系が好きだったのは、身の回りの事象を法則として捉えることが心地良かったのだと思います。

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