マンガdeひもとく生命科学のいま ドッキン!いのちの不思議調査隊
第26話 磁鉄鉱の歯
調査のまとめドッキンレポート
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ヒザラガイとは
ヒザラガイといってもピンと来ない人も多いだろう。扁平(へんぺい)な楕円(だえん)形のからだで、背中に8枚の殻が1列に並ぶ軟体動物の仲間だ。主に夏のシーズン、日本全国の海辺の岩場に張りついているから「見たことがある」っていう人もいるかもしれないね。世界では約1000種、日本では100種類ほどが知られている。中には肉食のものもいるけれど、多くは岩場に付着した藻を、「歯舌(しぜつ)」前方の黒っぽい歯を使って削り取るようにして食べている。このため歯が摩耗していくから、からだの中で常に新しい歯をつくっていて、ベルトコンベアーみたいに後ろから前に押し出されるように歯が出てくる。できたばかりの歯は透明だけど、次第に酸化鉄が沈着して赤茶色に、さらには酸化鉄が結晶化していって黒い磁鉄鉱になるという。このため歯舌には未成熟の歯から黒い歯まで、さまざまな段階の歯があるから、生物の中でどのように磁鉄鉱が形成されるのかを調べるにはもってこいの生き物なんだって!

ヒザラガイ

ヒザラガイの歯舌。左側が未成熟の歯で右にいくほど酸化鉄の結晶化が進んで黒くなっている。
生物界でナンバーワンの硬い歯
磁鉄鉱(Fe3O4)は、高温・高圧のマグマから形成される火成岩や変成岩の中から取り出される磁性をもった鉱物ドキ。それが、ヒザラガイの生体内でつくり出されていることが明らかになったのは1962年。バイオミネラリゼーション*研究の先駆者とされるカリフォルニア工科大学のローウェンスタム(Heinz A. Lowenstam)博士が、ヒザラガイの歯が磁鉄鉱でできていることを報告し、生物による磁鉄鉱形成を初めて明らかにしたのだ。その後ローウェンスタム博士はケネス・トウ(Kenneth M. Towe)博士とマイケル・ネッソン(M. H. Nesson)博士との共同研究によって、それまで脊椎動物にしか知られていなかった「フェリチン」というタンパク質がヒザラガイにも存在し、鉄の貯蔵に大きく関わっていることを1963年に発表。そして2010年に、カリフォルニア大学のデイヴィッド・キサイラス(David Kisailus)博士が、磁鉄鉱で覆われたヒザラガイの歯が、生物がつくる鉱物の中で最大の硬度と剛性(変形しにくさ)を示すことを報告した。なんと、模造ダイヤとして知られるジルコニアよりも頑丈なんだって! でも、磁鉄鉱が体内で形成されるメカニズムはわかっていなかった。その解明に取り組んだのが根本先生だよ!
*バイオミネラリゼーション:生物が自身の体内で鉱物(ミネラル)を形成する作用のこと。この作用によってつくられるのがバイオミネラル(生体鉱物)で、骨や歯はハイドロキシアパタイトというバイオミネラルから、貝殻、カタツムリの殻、卵の殻は炭酸カルシウムからつくられる。珪藻(けいそう)は水中のケイ素を吸収してシリカの殻をつくり出している。
大学-大学院時代は磁性細菌を研究
根本先生はもともと、食に興味があったこと、高校のときに納豆が好きな「発酵博士」として知られる小泉武夫先生の本を読んで「大学に入ったら微生物をやろう!」と考えていたという。東京農工大学の生命工学科に入学し、松永是(まつなが・ただし)教授の研究室で卒業研究に取り組む。松永先生は世界で初めて磁性細菌の全遺伝子を解析し、体内に磁石をつくる理由を明らかにするなど、生物磁石の専門家だ。研究室で根本先生に与えられたのがRS-1株という弾丸状の磁石をつくる磁性細菌。松永先生が初めて分離に成功しNature誌に掲載された細菌で、RS-1が弾丸状の形をつくるメカニズムの解明が根本先生に与えられたテーマだった。
しかし、RS-1はそれまで研究室内でほとんど扱われてこなかった株で、嫌気性の細菌のため、培養がきわめて難しかった。通常の磁性細菌なら10リットル培養すれば研究に必要な量が簡単にとれるのに、RS-1の場合、毎週10リットルの大型培養器を10個並べてやっと。「頭より筋肉が活躍している感じ」の毎日で、候補のタンパク質を見つけるところまでしかできなかったものの、「弾丸状の形をつくる謎を解くのは自分しかいない」というワクワク感にハマり、そのまま研究を続けることになったそうだ。
カリフォルニア大学でヒザラガイの研究を始める
根本先生がヒザラガイに出会ったのは、博士研究員としてカリフォルニア大学のキサイラス博士の研究室に留学したときのこと。キサイラス博士は材料科学の専門家で、ヒザラガイの歯の硬さを報告したあと、その歯が形成されるしくみを調べようと、磁石をつくり出すタンパク質の解析ができる人を探していたのだ。グッドタイミングだね! ちなみにキサイラス博士はヒザラガイのほか、自動車に踏まれても潰れない「Ironclad beetle(鋼鉄で武装した甲虫)」の外骨格の構造や、シャコ貝の捕脚(ほきゃく;貝殻を割って中身を食べるときに使うハンマーのような形をした脚)など、生物の「硬さ」に着目し、工学に活かす研究をしている専門家なんだって。
ここで使ったのは、「オオバンヒザラガイ」という世界最大のヒザラガイ。歯からタンパク質を抽出し、質量分析計で解析したデータを2012年に論文にまとめたけれど、このときはまだオオバンヒザラガイの遺伝子情報がなかったために、断片的な報告しかできなかったそうだ。

ポスドク時代。左がキサイラス博士

手に持っているのがオオバンヒザラガイ
新しいタンパク質RTMP1に注目
根本先生が再びヒザラガイの研究に取り組んだのは、帰国後2カ所で博士研究員として過ごしたあと、2015年に岡山大学の微生物遺伝子化学研究室に着任して1年ほど経ってからのこと。
「最初は珪藻(けいそう)のシリカ細胞壁が持つ幾何学模様がどうやってできるかを調べていたのですが、どうしてもヒザラガイの研究をやりたいと、こっそり始めることにしたのです」
そのころには、次世代シークエンサーを使った遺伝子情報解析が一般的になっていた。そこで、2012年の論文で使ったデータとオオバンヒザラガイの遺伝子情報をもとに、歯に含まれるタンパク質配列を解析。22種類のタンパク質群を見つけ、2019年に論文で報告した。
その過程で根本先生が2017年ごろに見つけたのが、他の生物にはない新しい配列を持ったタンパク質ドキ。
「学生時代からずっとバイオミネラルの研究に携わってきて、さまざまな生物から発見されたバイオミネラル形成に関わるタンパク質が特定のアミノ酸が繰り返したような配列を持っていること、また柔軟な性質を持つ天然変性タンパク質が多いということを経験的に知っていたので、これが重要なタンパク質だとすぐひらめきました。『歯舌マトリックスタンパク質1(Radular Teeth Matrix Protein1:RTMP1)』と名づけ、RTMP1のはたらきや、他のヒザラガイにも同じようなタンパク質があるかどうかを調べることにしました」
カリフォルニアで扱っていたオオバンヒザラガイはダイバーに頼めばすぐに手に入ったけれど、日本で採取できるのは、北海道の厚岸(あっけし)海岸の切り立った崖の下、7月から9月にかけての大潮で干潮という数日だけ。それ以外は、海に潜って、海底の岩にへばりついているものを手に入れるしかないので、研究材料を集めやすい瀬戸内海にすむヒザラガイを対象にすることに決めたという。

厚岸海岸でのヒザラガイ採取(2018年7月)

赤丸で囲んだところにいるのがオオバンヒザラガイ
瀬戸内海のヒザラガイもRTMP1を持つ
瀬戸内海でとれるヒザラガイもオオバンヒザラガイと同様、RTMP1を持っているのだろうか? それを調べるためにヒザラガイ、ヒメケハダヒザラガイ、ババガセという3種のヒザラガイの遺伝子を次世代シークエンサーで解析することにした。といっても次世代シークエンサーでわかるのは遺伝子の大量の配列情報ドキ。いちいち目で比較しているわけにはいかない。この解析を一緒に実施してくれたのが、地球流体力学を専門とし数理解析やプログラミングが得意な、環境理工学部の小布施祈織(おぶせ・きおり)准教授だった。分析の結果、いずれのヒザラガイ類もRTMP1があり、RTMP1はヒザラガイ特有のタンパク質であることが推定できたドキ。

RTMP1を詳しく調べる
ヒザラガイに特有なタンパク質のRTMP1が磁鉄鉱形成に関わっていることを証明するには、クリアしなければならない課題がいくつもあった。
まずRTMP1の性質を調べるために、大量のタンパク質を用意しなければならなかった。しかし、天然のヒザラガイ類の歯からとれるRTMP1はごくわずか。そこで、真核生物の酵母を使ってRTMP1をつくらせることにした。これをサポートしてくれたのが、隣の研究室の酵母の専門家である守屋央朗(もりや・ひさお)教授ドキ。守屋教授の協力によって、酵母でRTMP1を発現・精製することができ、RTMP1が歯の骨格を形成しているキチン繊維に結合することや、鉄イオンに結合して酸化鉄形成を誘導することがわかった。

パン酵母を用いて組換え発現させたRTMP1 を使い、酸化鉄が形成されるかどうかを比較した。RTMP1があるときはキチン繊維上に酸化鉄の粒子が形成された(左)が、RTMP1 の代わりに酸化鉄形成と無関係なタンパク質(緑色蛍光タンパク質:GFP)を用いた場合、酸化鉄の粒子はほとんど形成されなかった(右)
ではRTMP1はどのような機能を果たしているのだろう? これを明らかにするには、RTMP1がはたらかない場合にどうなるかを調べる必要がある。このとき協力してくれたのが、貝の専門家で当時東邦大学教授だった大越健嗣(おおこし・けんじ)教授だ。大越教授との共同研究で、RNA干渉*という方法でRTMP1の遺伝子の機能を抑えると、歯の鉱物形成がうまく進行しないことが明らかになったドキ。
* RNA干渉:ねらった遺伝子のmRNAと結合する配列をもったRNAを人工的につくって細胞内に導入、特定の遺伝子の発現を抑制するしくみ。
最大の難関・免疫組織染色に成功
最も困難だったのが、RTMP1が本当に歯の中にあるのかどうかを証明することだった。そのためには「免疫組織染色」といって、RTMP1の抗体を使って、組織の中でこのタンパク質がある場所に色をつけて視覚的に示す必要がある。しかし抗体がうまくつくれず、根本先生は4年ぐらい悩んでいたという。
2022年冬に理学部の佐藤伸(さとう・あきら)教授から動物学会での講演を依頼されたとき、実験がうまくいかないことを相談したところ、佐藤教授の協力を得られることになった。佐藤教授はウーパールーパーの四肢再生研究の専門家で、免疫組織染色はお手のものだったのだ! これによって、歯の中や、鉱物化がおきる歯の周囲にRTMP1があることがハッキリわかるデータを取ることができたドッキ。

歯の周囲で発現したRTMP1が分泌されて歯の内部(白矢印部)に局在する様子。
「共同研究者のみなさんのおかげで、磁鉄鉱の歯の形成に関わるRTMP1の機能を示すことができました。一連の研究で、RTMP1は歯を覆う上皮細胞内で発現して歯の内部に分泌され、酸化鉄が沈着する場所にあらかじめ存在すること。そして、歯が成長するに従って、後から入ってきた鉄と結合することで、酸化鉄をつくり、その後酸化鉄の結晶化が進み黒色の磁鉄鉱へと変化していくことが推定できたのです。これらの成果をまとめた論文は、2025年8月のScience誌に掲載されました。論文がきっかけになって、ヒザラガイの生体内で磁鉄鉱ができることを初めて証明したローウェンスタム博士の友人という研究者からメールが届いたこともうれしい驚きでした」

フェリチンは体内で鉄を貯蔵するタンパク質。RTMP1が歯の内部に分泌され、そこでフェリチンが運び込んだ鉄とくっつくことで、硬い磁鉄鉱の歯をつくっている。
環境にやさしい磁鉄鉱の生産や、ナノスケールでのメモリづくりに役立つ?
磁鉄鉱は「磁」という文字がついていることからもわかるように、とても強い磁石の性質を持っている。磁石にくっつく砂鉄は磁鉄鉱なんだ。
こうした高い磁性を持つ特性を利用して、磁鉄鉱の微粒子は、コンピュータで使われるメモリやハードディスク、充電して繰り返し使用できるリチウムイオン電池など二次電池の材料、からだの中を詳しく見る医療機器であるMRIの検査薬、さらには細胞やDNAを集める材料など、さまざまな分野で使われている。でも磁鉄鉱をつくるには、高温で熱したり、有害な薬品を使ったりする必要があって、環境に与える影響がすごく大きいそうだ。でもヒザラガイが磁鉄鉱をつくるしくみを応用すれば、もっと安全で環境にやさしい方法で磁鉄鉱をつくり出せるようになるかもしれない。また、ヒザラガイの歯のように金属酸化物をねらった場所に引き寄せることができれば、ナノスケールでの配置が必要な電子部品(センサやメモリなど)づくりに役立つ可能性もあると根本先生は言う。
そこで現在、根本先生が力を入れているのが、RTMP1のどの部分が酸化鉄形成に重要なのかを解明すること。それがわかれば、人工的にRTMP1をマネした構造を合成できるかもしれないんだって。
ヒザラガイが鉄を制御するしくみも明らかにしたい
ヒザラガイは歯をつくるために、組織1 gあたり100 mg以上という驚くほど大量の鉄を、わずか数日で濃縮する能力を持っているという。この量は、通常の細胞にとっては「毒」で、からだに悪さをする活性酸素が出たり、細胞が死んでしまったりする。鉄は少なすぎても貧血などからだに悪い影響があるし、多すぎても毒なんだね。ヒザラガイがどのようにして大量の鉄を濃縮し、安全に歯まで輸送しているのかはとても興味深い。
がん化した細胞は鉄をためこむ性質があるらしい。またアルツハイマー病患者の脳内では鉄が異常に蓄積することが知られており、これが病態の悪化に関与しているという説もある。体内での鉄の制御はとても重要ドキ。
根本先生は、研究を通してこれまで知られていなかったヒザラガイの鉄代謝のしくみを明らかにし、がん細胞の過剰鉄を制御する(酸化鉄に変える)など、医療にも役立てられないかと考えているそうだ。
バイオミネラル研究のおもしろさ
これまでバイオミネラルについてちゃんと考えたことがなかったけど、柔らかい細胞でできている生物の中で、硬い結晶のような鉱物ができるという現象はとても不思議だし、興味深い。
根本先生は、バイオミネラル研究のどんなところにおもしろさを感じているのだろう?
「非常に硬いヒザラガイの歯や、緻密で美しい三次元構造を持つ珪藻のガラスの殻など、私たち人類が人工的に合成するのが難しいバイオミネラルはたくさんあります。生物がどうやって結晶の種類や形を制御しているのか、さまざまな研究から関連するタンパク質が見つかってきていますが、まだわかっていないことばかり。生物がどのようにしてこうした優れた構造や機能を持つ鉱物をつくり出しているのかを明らかにすることができれば、新しい機能を持った材料の開発にもつながるはずです」
こう語る根本先生に、みんなへのメッセージをもらったよ!
「生命を解析する技術はどんどん進歩していますが、それでもまだ、未知の生命現象がたくさんあります。新しいことを発見したときのワクワクする気持ちは何にも代えがたい楽しい体験。自分が楽しい、おもしろいと感じることなら、つらいことであっても頑張れます。ぜひ好きなことを大切にして、いろいろなことに挑戦してください」
(取材・文:「生命科学DOKIDOKI研究室」編集 高城佐知子)