フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

間葉系幹細胞から研究用のさまざまな細胞株を樹立

───先生が研究を始めたころは、まだ間葉系細胞の研究はあまり進んでいなかったのですか。

そもそも、「間葉系細胞」とはいわずに当時「間質細胞」といわれていました。いまでも私は細胞と細胞の間を埋めているという語感があって、「間質細胞」という言葉が好きなんですよ。メジャーじゃないところがいい(笑)。あるアメリカの研究者が、「血管系細胞の中で、間質細胞は二級市民だ」といった。確かに、血液の中で赤血球や白血球などに比べるとマイナーですよね(笑)。
けれど、次第にこの細胞が分化能力を持っていることが分かるにつれて「間葉系幹細胞」と呼ばれるようになったのです。いまは、再生医療が注目され、間葉系幹細胞もメジャーになったけれど、当時はまだメジャーな研究対象ではなかったんですよ。

───先生はどんな研究から間葉系細胞の研究に入っていったのですか。

私は最初の頃、形態学、病理学を専門に研究していました。特に専門にしていたのは造血に関する分野で、電子顕微鏡を覗いて造血細胞や組織などの形を見ていたりしていたんですが、研究を続けていくうちにもう見るものがなくなってしまった。それじゃ、まだ覗いたことがない間葉系細胞でもやってみようかということになったんです(笑)。
でも、いまさら、電子顕微鏡で間葉系細胞の形を観察しても新しいものは出てこないだろうから、間葉系細胞を培養する研究を進めたのです。そうして研究していて、骨髄の間葉系幹細胞から脂肪細胞を分化させて培養することに成功しました。それから脂肪細胞だけでなく、マウスの間葉系細胞から骨芽細胞、軟骨芽細胞、神経細胞、心筋細胞などを分化誘導して株化しました。1997年にこの研究をもとに「多分化能を有する骨髄間質細胞」という論文を発表したのですが、実は、私はこの研究で研究者として有名になりました。
というのは、私が株化したこれらの細胞を再生医療の研究者や医者が材料として利用して研究成果を上げるようになったからです。たとえば、心臓の再生に心筋細胞を使うときに、私が分化誘導させてできた心筋細胞を使ってくれるわけです。そうしたことが骨芽細胞や脂肪細胞などでも起きて、これは梅澤が株化したものだというので評価された。

───いまは株化した細胞はどんな風に使われているんですか。

私たちが樹立した細胞株の一部を(独)医薬基礎研究所や(独)理化学研究所などの我が国の公的細胞バンクに寄託登録して、研究者や医者などが医療材料として使えるようにしています。
細胞バンクでは、そうした研究者や医者、研究施設から使いたいという要請があったときには、安全で標準化された培養システムによって増殖した細胞を提供できるような体制がつくられています。

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