この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第4回 脳の発生の探求から、心の病の予防・治療までも視野に 東北大学大学院医学系研究科 大隅典子 教授

脳の形成に重要な働きをする遺伝子「Pax6」

───最初のころ、具体的にはどんな研究をされていたのですか。

研究室では指導してくれる研究室の親分の教授をボスって呼ぶのですが、私のボスは顔がどのようにできるのか、顔の発生学つまり、顔をつくる細胞の研究をしていました。研究対象のラットの中には突然変異で目が小さかったり、視覚に異常を持ったものが生まれます。そうしたラット同士を掛け合わせると、その子どもには目鼻ができないラットができます。なぜ、目鼻が形作られないのかを共同研究するうちに、その原因がPax6(パックスシックス)という遺伝子にあることがわかったのです。
しかも、このPax6は顔だけでなく脳の形成にも重要な役割を果たしていることが明らかになってきました。そこで、ボスが顔の発生を看板に掲げていることだし、独立するなら脳の発生を研究対象にしようと考えたわけです。
それというのも、高校生のときに心理学に興味があって、すべてが理解できたわけではないけれど、精神分析学の基礎を築いたフロイトなどの本を読んでいました。ただ、日本の学問領域でいうと、当時、多くの大学では心理学は理系ではなく文系の学問でしたから、理系志望の私は心理学を専攻にはしなかったのですが、ずっと心の問題には関心を持っていました。脳の研究を通じて心の理解に繋がると思って、自然と脳の研究に入ってきた感じです。
その後、国立精神・神経センター神経研究所、東北大学と移りましたが、Pax6の機能解明は一貫して主要なテーマとなっています。

───脳の発生のことやPax6という遺伝子のことを教えてください。

人間の体は60兆個もの細胞でできていて、脳も1000億個の神経細胞(ニューロンと呼ばれる)と、その10倍もあるといわれるグリア細胞が脳内のネットワークを形作っています。こうした細胞は1個の受精卵が分裂(分化)してできていきますが、分裂し始めたころの受精卵は胚と呼ばれ、その胚はさらに分裂して外胚葉、中胚葉、内胚葉という細胞の集団に分かれていきます。脳や脊髄などの中枢神経系は、外胚葉が内側にくぼんで、そのくぼみの両側が上に伸びていって互いに結び付き、筒状の神経管が作られ、原基ができあがります。

神経管の形成

神経管の形成
脊椎動物の発生の初期段階で、神経管が形成されるとき、外胚葉がくびれ、神経外胚葉と表皮外胚葉との境界に「神経堤細胞」と呼ばれる細胞集団が現れる。神経管が閉じると、神経堤細胞は、高い移動能力と全能性をもち、胚全体に移動し、やがて末梢神経系の神経細胞や、色素細胞、内分泌細胞、平滑筋、頭部骨格などバラエティーに富んだ細胞種に分化する。そのため、外胚葉、中胚葉、内胚葉に次ぐ、「第4の胚葉」とも呼ばれる。


───脳はこの神経管がさらに分化してできあがっていくのですね。

ええ、そうです。脳の作られ方を見ると、まず大脳という大きな区画ができ、さらに順次大脳皮質などの小さな区画ができていきます。
こうした作業を続けながら脳が形作られていくわけですが、そのためにはさまざまな脳の細胞を作りだす細胞が必要です。この細胞のことを「神経幹細胞」と呼んでいます。この神経幹細胞はいってみればタネの細胞で、分裂して神経細胞を増やすと同時に、神経幹細胞をも同時に作り出しています。このため、神経細胞を作り続けることができるのです。

神経幹細胞の分裂と分化

神経幹細胞の分裂と分化

私たちが研究を続けているPax6という遺伝子は、この神経幹細胞が新しい細胞を生み出している状況を監督し、バランスをとっている親分の遺伝子なんです。しかも、発生時だけではなく、大人の脳にも働いて、神経幹細胞をコントロールしているのです。

───大人の脳ですか? 脳の細胞は3歳くらいまでにでき上がって、それ以降はどんどん数が少なくなっていくものだとばかり思っていました!

いまでは脳の神経幹細胞は大人になっても働いていることがわかっています。そして大人になってできる脳の神経細胞は、脳の中の記憶に関係する海馬に関係していることが明らかになってきました。これはすごく新しいトピックで、いま世界中の脳神経学者がおもしろいと研究をしているんですよ。

───神経幹細胞の研究は、医療にどのように役立つのでしょうか?

神経幹細胞から新しく生まれた神経細胞は記憶を定着しやすいという性格があります。ということは、神経幹細胞が少なくなって、新たに作られる細胞の数が少なくなると、学習能力が低下します。記憶障害や、アルツハイマーなどとの関連で重要になってくる可能性があります。
また、ある時期に新しく作られた神経細胞は精神の機能に重要な役割を持つ神経ネットワークに組み込まれていきます。これが正常な発達状態ですが、新しく神経細胞が生み出されないと、ネットワークが形成できず、精神の病気(精神疾患)になりやすいのではないかと考えています。
実験動物ではストレスを与えると神経の新生細胞の数が少なくなることがわかっています。まだヒトの脳ではウツ状態のときに新生細胞が少なくなっているという臨床的研究のエビデンス(科学的根拠)はとれていませんが、何らかの関係があるはずだと見ています。私たちの研究チームは、数年前から、脳に必要な栄養をどうコントロールしたら神経細胞を増殖できるかの研究を進め、神経新生と心の病気の関係などを探求しています。

FABP7

「FABP7」と呼ばれる、ドコサヘキサエン酸(DHA)や、アラキドン酸(ARA)などの不飽和脂肪酸と結合するタンパク質をコードする遺伝子の働きが低下すると、神経新生が減少し、心の病に関係することが明らかになってきた。この写真は、生後4週のマウスの海馬での神経幹細胞の増殖を示したもの。緑色がFABP7蛋白質。

───研究が現実に役立つという実感が持てるというのは、わくわくすることですね。

ええ。自分が行っている研究が実際の医療に役立つことができるのは、とても素晴らしいことだと思います。もちろん、基礎研究は非常に重要ですが、なにしろ料亭の女将さんになりたかったくらいですから、実際に病気を治す手がかりになるとか、人と人がつながれる研究が好きなんです(笑)。

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