フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」 第16回 難治性難聴の新しい治療に挑む 京都大学大学院医学研究科耳鼻咽喉科・頭頸部外科学 伊藤壽一教授インタビュー

ES細胞やiPS細胞から内耳の感覚細胞などをつくりだしたい

───先生が耳の研究を始めたいきさつをお聞かせください。

最初、私は悪性腫瘍の治療を志して耳鼻科に入りました。ところが大学院に入ったころ、指導教授から「君は基礎研究をやりたまえ」といって、有無を言わさず基礎研究に放り込まれたのです(笑)。この当時は、耳の中でもバランスに関係する内耳の前庭・半規管や脳の中でバランスの中枢と考えられている部位の研究を行っていたのですが、同時に脳の中枢神経の研究室にも足を運んでいました。ところがやってみると、脳の中枢神経の研究がおもしろくてたまらなかったのです。
人工内耳による治療を始めたころから、「中枢神経は再生できる」という新たな学説が発表され大きな話題になりました。それまでは、中枢神経は一度ダメになると二度と再生しないと考えられていましたから、中枢神経の研究者にとってそれは画期的なものでした。
私は耳鼻科が専門でしたから、中枢神経が再生できるなら、内耳の感覚細胞(有毛細胞)や聴こえの神経の神経細胞も再生できるはずだと考えました。

───どんなふうに研究を進めていったのでしょう。

私は研究者であるとともに臨床医でもあるので、比較的単純な発想で、まず細胞移植治療を考えました。人工内耳もかなり良いレベルまで来ていますが、どうしても機器をからだの中に埋め込まなければなりません。内耳の細胞がだめになって働かなくなったら、機器をからだに埋め込む代わりに、それに代わる細胞を内耳に入れればいいのではないかという発想でした。
それで、まず考えたのが内耳の感覚細胞や神経細胞になるもとになると考えられる幹細胞を内耳に入れることでした。私たちのからだには、皮膚の表面が傷ついても同じ皮膚の細胞を再生させる機能が備わっています。この機能を持った細胞を体性幹細胞ということは知っていますね。でも、実験動物ならまだしも、ヒトの場合には、内耳は堅い骨に囲まれているので、その骨を砕いて内耳の幹細胞を探し出して、これを採取するのは到底不可能です。
そこで、内耳以外にある神経の幹細胞を内耳に入れて感覚細胞に変えてみようと試みました。そうすると、神経の幹細胞のいくつかが内耳の感覚細胞に変わっていました。ただ、多くのものは神経細胞に変わってしまって、感覚細胞に変わる効率が非常に悪かったのです。

───そこで、ほかの方法を探していったわけですか。

そうです。ちょうど京都大学では山中伸弥教授がiPS細胞を開発するなど、ES細胞やiPS細胞を使った再生医療を推進していくための環境が整えられていたこともあり、これらの多能性幹細胞を使って内耳の感覚細胞や神経細胞を誘導し、それを内耳に移植する方法に挑戦することにしました。

───研究はスムーズに進んだのですか?

ES細胞とiPS細胞から内耳の感覚細胞や神経細胞になる前の前駆細胞をつくることが必要ですが、そのための誘導方法がまだ十分に確立されていないところが問題です。
ほかの部位と比較すると、たとえば網膜の場合はiPS細胞から網膜の細胞を誘導できる確率は数パーセントから20%といわれています。しかし、iPS細胞から内耳の感覚細胞を誘導できる確率はもっとずっと低くなります。

───なぜ、内耳の感覚細胞へと誘導するのが難しいのでしょう。

網膜の細胞でも内耳の感覚細胞でも、そうした細胞になるためにさまざまなタンパク質、遺伝子が関わってきます。網膜の細胞に関してはどんな遺伝子が関わっているのかがある程度わかっているのですが、内耳の感覚細胞に関わる遺伝子はまだ十分に解明されていないからです。
それでも、ES細胞とiPS細胞を比較すると、ES細胞の方が誘導しやすいと考えています。
「森の教室」でもお話ししましたが、私たちは人工内耳とES細胞から育てた聴こえの神経細胞とを組み合わせた再生医療の臨床研究をしています。これは、内耳の感覚細胞と聴こえの神経細胞の機能をともになくした患者さんに、内耳の感覚細胞の代わりに人工内耳を埋め込み、ES細胞からつくった聴こえの神経細胞を移植するもので、サルの移植実験でも聴覚機能の再生が確認できています。iPS細胞でも同じような移植実験を進めているのですが、マウスやモルモットで聴覚機能の再生が同じように確認できましたので、これからサルを使った移植実験をやろうと考えています。
ただ、ヒトに対する再生治療を考える場合、ES細胞はヒトの胚からつくるため、これから生命が誕生する可能性を奪うことから倫理的な問題をクリアしなければなりません。また、iPS細胞は、自分の細胞を使うために倫理的な問題をクリアできるメリットを持つ代わりに、移植した場合、腫瘍を作る可能性が指摘されています。ヒトへの臨床にあたっては、このあたりの問題を克服することが必要となると思います。

PAGE TOPへ
ALUSES mail