フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」 第16回 難治性難聴の新しい治療に挑む 京都大学大学院医学研究科耳鼻咽喉科・頭頸部外科学 伊藤壽一教授インタビュー

人体はわからないことだらけ。おもしろいことを探して挑戦してほしい

───医師になろうとしたのはどうしてですか。

最初の動機は父が医者だったものだから、子どもの私も医者になろうという、極めて単純なものでした(笑)。ただ、医学部に入学してみると、実におもしろいことばかりでした。なにしろ、人体のことはまだわからないことだらけなんですから、好奇心を持てば勉強することがいくらでもある。
これだけ研究が続けられているがんだって、まだわからないことだらけです。私の専門の耳鼻科について言えば、特にヒトの内耳は骨に囲まれていて、MRI(磁気共鳴画像装置)などの画像機器を使っても、内耳の細かいところはほとんど見ることはできないんですよ。みんなまるで内耳の中を見たように言うけれど、本当はだれもきちんと見たことがないのです(笑)。
中高校生のみなさんは、こうしたわからないことに好奇心を持ってぶつかってほしい。

───大学時代は勉強ばかりしていたのですか。

若い人には想像もつかないだろうけれど、私の大学時代は、最初はいわゆる大学紛争のまっただ中で、学生がストライキをし大学も封鎖されていた時期があり、そのときは大学で勉強することができませんでした。そこで多くの若者は大きなリュックを背負って、「なんでも見てやろう」と、海外旅行をしたものでした。私もシベリア鉄道に乗ってヨーロッパを歩き回りました。見るもの聞くもの珍しくて、とても楽しかったですよ。

───中高校生へのメッセージをいただけますか。

私は一般病院に勤めて臨床医として働きながら、聴覚やめまいに関する研究も同時に続けていました。市中の病院に勤めていると、基礎的な研究をしたくても、設備もお金もありません。そこで京都大学の基礎の研究室に相談に行くと、研究室の設備も動物も自由に使うことを許可していただきました。また愛知県の岡崎に有名な研究所がありました。その研究所に相談したら、「ここで好きな実験動物を使って研究していいよ」と許可していただきました。そこで週に何回かは、病院の勤めを夕方6時に終え、新幹線と名鉄を乗り継いで夜8時ごろに岡崎の研究所に着く。そこで朝の4時ころまで研究して、6時の始発の名鉄に乗り、病院に帰ってきて臨床医として勤務するという生活を続けました。
そんなハードスケジュールだったけれど、わからないことを突き詰めて研究することは実に楽しかった。また、そのような研究の機会を与えていただいたすばらしい指導者にめぐり会えたことは私にとって本当に幸せでした。
中高校生のみなさんも、おもしろいことを見つけて、一生懸命やってほしいですね。耳鼻科などでも内耳のことはまるでわかっていないことが多い。それだけおもしろい研究領域が残っているので、志があったら、耳鼻科の臨床医、研究者に挑戦してほしいですね。

(2012年4月19日取材)

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