フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

心筋細胞とiPS細胞の代謝の違いから、心筋細胞だけを純化精製

───iPS細胞から目的の細胞にだけ分化させるのは、かなり難しい研究だったのですか。

T細胞からiPS細胞をつくるのに、数年の研究期間を費やしていますが、iPS細胞から目的の細胞にだけ分化させる研究には――このことを純化精製といいますが――それより長い期間かかっています。
本篇でもお話ししたように、私たちは心筋細胞とiPS細胞の代謝の違いに目をつけました。この違いを利用して、心筋細胞だけを取り出すことができないかと考えたわけです。
生物の代謝は細胞の中にブドウ糖が取り込まれるところから始まります。ブドウ糖はすべての細胞のエネルギー源になるもので、細胞の中に入るとグルコースにまで分解されます。こうした糖が解体するプロセスを「解糖系」といいますが、この解糖は細胞の中の細胞質で行われます。
グルコースは解糖する過程でアミノ酸や核酸といった物質を合成するために使われ、その後ピルビン酸という物質に変わります。さらにピルビン酸はミトコンドリアの中に取り込まれて、ここで生物が生命活動を営むためのエネルギーを生産するために使われるのです。このミトコンドリアの中でエネルギーが生み出されるプロセスを「TCAサイクル」と呼んでいます。そして、ミトコンドリアに取り込まれなかったピルビン酸は乳酸となって細胞の外に出ていきます。これがブドウ糖がエネルギーに変えられる代謝の一般的なプロセスです。
ところが、先ほどお話ししたように、心筋細胞とiPS細胞ではその代謝の仕組みが大きく異なりました。

───どのように違うのですか。

iPS細胞は細胞分裂を盛んに行うことから、アミノ酸や核酸を合成するためにグルコースをたくさん使いますが、ミトコンドリアの働きは活発ではなく、ピルビン酸は乳酸となって細胞の外にその多くが追い出されてしまうのです。つまりiPS細胞にとっては、乳酸はあまり役に立たない物質と言えるでしょう。
ところが、心筋細胞は、アミノ酸や核酸を合成するためにはグルコースをあまり使わず、ピルビン酸の多くをミトコンドリアに入れて、心臓を働かせるためのエネルギーに使っていたのです。そして、乳酸を細胞の外に出すことは出すのですが、一方で「乳酸トランスポーター」といって、細胞の外にある乳酸を細胞の中に取り入れてピルビン酸に変え、これをミトコンドリアの中に取り込んでエネルギーに使う仕組みも備えているのです。

代謝の流れ

●ブドウ糖はグルコースになり、アミノ酸や核酸の合成に使われたのちピルビン酸に変わり、ミトコンドリアに取り込まれてエネルギーに使われる。使われなかったピルビン酸は乳酸となって細胞の外に出る。

ES/iPS細胞の代謝の流れ

●iPS細胞の代謝では、グルコースはアミノ酸、核酸の合成に多く使われ、ミトコンドリアは発達していないためピルビン酸はミトコンドリアではエネルギーとしてあまり使われず、乳酸となって細胞の外に出る。
●ブドウ糖の供給がなくなると、アミノ酸や核酸の合成ができなくなり死滅する。

心筋細胞の代謝の流れ

●心筋細胞の代謝では、グルコースはアミノ酸や核酸の合成には使われず、ピルビン酸はミトコンドリアに取り込まれて心臓の筋肉を動かすエネルギーとなる。
●ブドウ糖の供給がなくなると、細胞の外から乳酸をとり入れてミトコンドリアに供給し、エネルギーとして働かせて生きのびる。

───つまり心筋細胞はエネルギーを生みだす「TCAサイクル」が活発で、細胞外の乳酸を取り込むことができるということですね。この違いをどのように利用するのですか。

私たちは、心筋細胞を純化精製するにあたって、培地からブドウ糖を取り除いたのです。そして培地の外側に乳酸を入れておきました。するとブドウ糖(グルコース)をアミノ酸や核酸の合成に使っているiPS細胞では、そうした活動ができなくて死滅してしまいます。
心筋細胞もブドウ糖が供給されなければ基本的には死ぬ危機にさらされるのですが、乳酸トランスポーターの仕組みがあるため、細胞の外から乳酸を取り入れそれをミトコンドリアに取り込み生き延びることができるわけです。
そこで、生き残った心筋細胞だけを取り出すのです。従来のFACS法や抗体法と呼ばれる精製方法は工程が複雑で大量の心筋細胞を得るには不向きだったのですが、この方法ならば、比較的簡単に安価に目的の心筋細胞だけを純化精製することができるのです。

心筋細胞が生き残り拍動する様子(動画)。他の細胞は死んでいく

心筋細胞の代謝の流れ

グルコースがなく、乳酸を添加した培地での実験
ES細胞(写真下段)が5時間ぐらいで死んでしまうのに対して、心筋細胞(写真上段)は4日間経っても生き続けている。

───純化精製した心筋細胞をとることに成功した最大の要因はどこにあったのでしょう。

生物の代謝によって生産されたからだの中の有機化合物を網羅的に解析する「メタボローム解析」の手法を導入したことです。
私たちはiPS細胞と心筋細胞がブドウ糖をエネルギーに変える代謝のプロセスで、それぞれどんな遺伝子が働いているのかを追いかけていきました。iPS細胞にある遺伝子はアミノ酸や核酸を合成しているところでは働いているけれど、ミトコンドリアの中の酵素はほとんど見られない。逆に、心筋細胞の遺伝子はアミノ酸や核酸の合成酵素はほとんど見られず、ミトコンドリアの中では多く働いている酵素が強く発現していることを突き止めたのです。
このメタボローム解析を日本で最初に開発したのは慶應大学の先生方でしたので、いち早くこの手法を取り入れることができたのはラッキーでした。
そして、代謝の中心的な役割を担うブドウ糖を抜いたらどうなるかという、大胆かつユニークな発想を持ったことで、研究が大きく進展しました。

───純化精製した心筋細胞を心臓組織に移植するにあたって工夫した点はありますか。

一個一個ばらばらな心筋細胞を移植しては効果が上がらないので、1個の塊の中に1000個の心筋細胞を入れた『心筋球』をつくってそれを心臓組織に移植する方法を開発しました。
こうした方法で、これまで、サルのES細胞からつくった心筋細胞をサルの心筋組織に移植するなどの実験・研究を行ってきました。たとえば、純化精製したマウスの心筋細胞をマウスの心筋組織に入れ、3週間後と8週間後を比較すると、8週間後の方が心筋細胞は成長し大きくなっていました。つまり、マウスの心筋細胞が心臓組織に生着し、成長したことを意味しています。
こうして移植実験を積み重ねていった結果、「これなら、iPS細胞からつくり純化精製した心筋細胞は、心臓組織に生着する」と確信することができました。サルでの再生心筋移植に成功し、いまはブタで研究を進めています。

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