フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

ショウジョウバエで神経回路を研究する意義

───同じ知覚でも、視覚に比べて嗅覚の研究は遅れていたと聞いています。

私たちは情報の約8割から9割を視覚から取り入れていると言われていますからね。それと、視覚の場合、明るさやコントラストを徐々に変化させることで刺激を定量的にコントロールできることも研究面では有利です。ことに1950~60年代にかけて、米国の神経生理学者ヒューベルとウィーゼルが仔ネコの大脳皮質に電極を差し込んで視覚刺激に対する神経細胞の応答の研究を行い、眼から入った情報が大脳皮質の中でどのように処理されるのかが明らかになり、視覚情報処理の研究が大きく前進しました。二人は、こうした功績により1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
一方、嗅覚は古い感覚でありながら、匂い刺激を定量的に与えるのが技術的に難しいといった事情もあり、研究はさほど進んでいませんでした。

───嗅覚の研究が進んできたのはいつごろですか。

18~19世紀に、大腸菌が化学物質の濃度勾配を検出することを利用して、どのようにエサの方向に向かって移動するかを解析した研究者がいました。20世紀になると、高名な神経解剖学者のラモニ・カハール博士が、匂いの情報を最初に処理する脳領域である嗅球の構造を明らかにしています。
1991年、コロンビア大学のリチャード・アクセル博士とリンダ・バック博士による「嗅覚受容体」の発見という画期的な研究成果が発表されました。まさにエポックメイキングな研究で、ここから嗅覚に関する研究に弾みがつきました。二人はこの発見で、2004年にノーベル賞を受賞しています。

───脳の状態を「見える化」するツールの開発も大きいでしょうね。

蛍光タンパク質で分子や細胞を標識したり、カルシウム感受性タンパク質を用いたイメージングで脳の興奮を視覚化したりする技術などは1990年代に大いに進み、シナプスや神経細胞の性質が明らかになっていきました。2000年にはショウジョウバエの全ゲノムも解読されています。さらに今申し上げたように、2004年にはショウジョウバエを対象にしたパッチクランプ法の成功で、脳の中の神経活動を詳しく調べる技術が飛躍的に進展したのです。

───ショウジョウバエで嗅覚を研究する上で有利な点は。

嗅覚回路の魅力的な点は、種を超えて匂いを感知するメカニズムが保存されているところにあります。ヒト、マウス、ショウジョウバエなどの嗅覚回路の構造は大変似ていて、マウスやハエを研究することによって、その原理を抽出することができると期待されます。本編でもお伝えしましたが、ショウジョウバエの神経細胞の数は10万個で、糸球体はわずか50個。1番糸球体、2番糸球体などと全部名前が付けられているんですよ。 糸球体はいわば神経回路の素子なので、回路を理解しようとするならその素子を深く研究しなければなりません。名前がついていれば、同じ糸球体の性質を繰り返し研究しようとするときにも都合がよい。マウスやヒトでは数が多くて大変です。

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