フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

「一流」に触れてほしい

───先生は実験装置の開発も手掛けられていますね。

ポスドク時代に、匂いの情報処理を神経細胞と回路のレベルで研究して、脳の中でどんな計算が行われているのかについてはわかってきたのですが、その出力が実際にどのように行動を制御しているのかを知るためには、やはり行動を観察する必要があります。
そこで、理化学研究所で新しいデバイスと数理モデルの開発に取り組みました。その成果の一部が、ショウジョウバエの匂いに対する行動を観察するための仮想空間の開発と、神経活動から匂いの好き嫌いを解読する数理モデルの構築です。

───物理学から脳神経科学に移ったわけですが、異分野からの挑戦ということで、戸惑いはなかったのですか。

自分がその時々に興味を持ったことを追いかけてきたので、躊躇や戸惑いはなかったですね。実際、脳科学の研究にはより定量的なアプローチが必要で、バックグラウンドが生きていると思います。脳神経科学、生命科学といっても、研究時間の半分以上は取ったデータを解析するためのプログラミングに費やしているんです。私たちの研究室では、物理学、工学、コンピュータプログラミング技術を駆使して、嗅覚を含めた感覚の情報処理やそのメカニズムに迫ろうとしています。

───これからの研究目標を教えてください。

究極の目標は、外界から得られる情報にもとづいて、動物がどう判断し行動するのか、その一連の過程を支える脳の計算原理とメカニズムを知ることです。嗅覚をテーマに、脳の1次嗅覚中枢にある神経細胞と行動の関係性がある程度研究できたのですが、脳の回路にはまだ2次中枢、3次中枢があり、また、情報の流れは一方方向にだけ流れているわけではなく、逆方向にフィードバックされたり別の脳領域に平行して流れたりしているので、複数の脳領域がシステムとしてどう働いて行動が生まれるのか、その物理的ネットワークや機能的ネットワークを調べていきたいです。

───壮大な目標ですね!

そこがショウジョウバエのいいところです。何しろショウジョウバエの脳は比較的シンプルで、神経細胞の数がたかだか10万個です。10万個の細胞から成る回路の計算結果が行動を決めているわけですが、もし哺乳類でも行われているような普遍的な計算のアルゴリズムが見つかれば素晴らしいですし、仮に哺乳類とは異なるアルゴリズムが採用されていることがわかったとしても、同じ計算が少ない素子で実行されているということは、そのアルゴリズムは素晴らしいものに違いありません。

───先生の取り組んでいる研究の意義や応用可能性はどんなところにあるのでしょう。

まず、サイエンティフィックな側面では、神経活動を見ることによって、匂いによる快・不快の感情が生まれる仕組みを解明できたことです。
またこれまで調香師さんは経験に頼って「今度はこんなフレーバーを作ってみたい」と、経験とカンで香料を作っていましたが、匂いを感じるメカニズムが解明されたことで、この糸球体とこの糸球体を活性化させる匂いを組み合わせると調香したい香りができるというように、理論的に調香することが可能になります。こうした香りづくりが実現すれば、私たちの匂い環境はずいぶん豊かなものになるのに違いありません。
また、エンジアリングの分野との共同作業を通じて、匂い環境を評価する昆虫型マイクロセンサーの開発も期待できます。例えば、人が入れない危険な災害現場に、人体に有害な臭気を感じ取る昆虫型マイクロセンサーをドローンなどで送り込んで、危険の有無を評価させるわけです。

───医療分野での応用も可能なのでしょうか。

いま、脳と機械の情報伝達を仲介するブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)が注目されていますが、匂いを嗅げなくなった患者さんなどが、BMIを通じて匂い感覚を取り戻すことも考えられますね。
例えば患者さんの嗅覚受容細胞が機能しなくなった場合には、そこをバイパスして糸球体を直接、適切なパターンで興奮させてやれば、「昔嗅いだことのあるバラの匂いを嗅いでいるようだ」という感覚を起こせる可能性もあると思います。もちろん、これらを実現するにはまだまだ時間がかかりますが。

───研究をしているときにいちばんワクワクするときはどんなときですか。

仮説とは違う現象が見つかったときですね。また研究者仲間と議論している時間が好きです。私の研究室には、原子核物理や理論神経学などを専攻している研究者もいて多士済々。生命科学の研究室としては物理関係の人が結構いるのが特色です。そうした研究者と話している過程がすごく楽しいです。

───中高校生へのメッセージをお願いします。

これは研究者になるために限ったことではないのですが、一流のものに触れてほしい。優れた本を読むことでも良いし、一流の人の話を聞けるイベントなどに足を運んでも良い。とにかく何かに秀でた人からは得るものが多いと思います。
私は、高校1年生のときニューヨークに留学していたのですが、その高校の近くにDNAを発見したジュームス・ワトソン博士のいたコールドスプリングハーバー研究所がありました。機会があって研究所を訪れることができたのですが、緑豊かな環境で、世界の最先端を行く研究所を見たときの感動は今でも覚えています。
それから、人と違うことをやるとき、ためらわないこと。日本人はともすると他人と一緒のことをやっていないと不安になる傾向がありますが、自分独自の哲学を持って、信じた道を進んでほしいですね。

(2016年9月20日取材)

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