この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第12回 細胞の声を聞くのがうれしくて研究を続けているんです。 奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科 分子発生生物学講座 高橋淑子 教授

泣きべそをかいたフランスでの研究生活

───大学ではどんな授業を受けたのですか。

当時、広島大学に生物学の天野實先生がいらして、教養科目として細胞生物学の講義を受講したんです。細胞の中にはこんなにたくさんの機能が詰まっているのかって、ここでも驚きの連続。がん細胞のことなども学んで、今私が専門にしている発生生物学に結びついています。
もっとも、大学時代は勉強よりもワンダーフォーゲル部に入って山登りばかりしていました。今思うと、このときの山登りの体験は研究活動にも活かされています。研究生活って、気力、体力が充実していないと成果が出ない世界なんですよ。いくら研究を続けていてもなかなかめざす結果が出ない場合も多い。そんなときにも決してめげない体力と気力が必要なのです。
それと、山歩きをしていると、自然の力がいかに大きいかを実感します。それに比べて人間の力はちっぽけだけど、自然と向き合って自然が何かを語りかけてくれる、その声に耳をすますことができれば、得られるものが大きいことにも気づきました。

写真:ワンダーフォーゲル部時代

北海道大雪山にて。広大ワンダーフォーゲル部時代

───大学院は京都大学に進まれていますね。

ええ、天野先生は私がやる気がある学生だと思われたのでしょう、京都大学の生物学の大家である岡田節人(おかだ・ときんど)先生のところで研究生活を送ったらどうかと勧めてくださったのです。
でも、大学院に、それも広島を離れて京都に行くというので、両親は嘆き悲しんだみたい。当時、女性が研究者になるなんてとんでもない時代だったから、困ったものだと思ったんじゃないかしら(笑)。
岡田先生の研究室で印象に残っているのは、今話題になっているES細胞の培養に私が日本で初めて成功したこと。でも、これは私の手柄じゃないんですよ。25年も前にES細胞やiPS細胞の時代が来ることを予見した岡田先生がすごいんです。

───それから、フランスに留学するわけですね。

当時、女性の研究者が少なくて、大学院で研究を終了するか、さらにプロの研究者になるか悩みました。京都大学の大学院生活は楽しかったけれど、プロになるならもう一度修業し直さなければならない。そこでフランス国立科学センター(CNRS)発生生物学研究所に留学したんです。この研究所の所長はフランス科学界の重鎮であるニコル・マーサ・ルドワランという女性研究者でした。
厳しい先生だということは留学する前から知っていたのですが、いやあ、想像以上! 「こんなとこ来るんじゃなかった」って何度思ったことか(笑)。厳しすぎて、半年間泣きべそかいてました。でも、泣きべそかこうが何しようが、やる気のない奴はみんな叩きだしちゃう(笑)。生き延びるためにはそれこそ必死です。彼女を納得させることができれば研究者としてやっていけると思って、面白そうなテーマを見つけては持っていくのですが、何度提出しても、「なんですか、こんなくだらないテーマは」って突っ返されるわけ。そこでたたき込まれたのは、人のまねではなくて自分にしかできないことをやること、自分ならではの手法・解法を編み出すことでした。初めて「これは」というデータが出たのは、渡仏後1年半のことです。
このようなギリギリのところに自分を追い込むトレーニングを積めたことは、非常によい経験になりました。ルドワラン先生は、今でも私の恩師です。

写真:フランスCNRS研究員時代

フランスCNRS研究員時代。ルドワラン先生とともに

───研究のアイデアはどんなふうに思いつくのですか。

まず大前提は、研究者なら研究することが好きなこと。好きでないと考え続けられません。私は研究が好きだから、24時間考えている。うまくいかなかった、こうしたらいいじゃないかとか考えているうちに、「あっ、これ、いいやん」ってことが思い浮かぶわけね。

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