この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第14回 多くの人との出会いが、研究生活を豊かにしてくれます。 独立行政法人理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 組織形成ダイナミクス研究チーム チームリーダー 倉永 英里奈 先生

英語は大の苦手。生物への興味もあって農学部に進学

───中学、高校時代はどのように過ごしたのでしょう。
写真:駅伝大会にて

駅伝大会にて

中学時代は、軟式テニス部に入り、郡の大会で優勝したこともあります。陸上部を掛け持ちして、夏場には気持ちが悪くなって吐いてしまうほど練習しました。長距離走が速かったので駅伝大会などにも選ばれたんです。その駅伝大会は3年生の11月中旬まであったので、難しい高校への受験は諦めて、地元の進学校に進むことにしました。
高校時代は文化系のクラブに入りたくて、好きな歌を歌える合唱部に入って楽しく過ごしました。高校2年になると、理系、文系のクラス分けがあります。理系を選ぶ女子は45人中10人くらいと少なかったけれど、私は理系を選び、3年生になると薬学部に行きたいとか、医学部を目指したいとか、同じ理系の女子同士で将来の夢を語り合ったものでした。

───理系を選んだのはどんな理由からだったのですか。

なにしろ英語が苦手だったんです。物理も公式を理解するのが苦手だったんですが、物理ができなくとも化学や生物を取れば受験には差し支えないけれど、英語が苦手では文系に進めないと思ったのです。それと、生物の遺伝学に興味がありました。もちろん高校の時ですから「メンデルの法則」のような、古典的な遺伝学ですが。それと、再生可能なエネルギーであるバイオマスエネルギーについても興味を覚えて、理系に進学することを決めました。

───大学受験で農学部を選んだのは?

農学部なら生物のことも学べるし、農芸化学を学べば農業を営んでいる祖母の役に立てるという思いがあって進路選択しました。もっとも学科分けで第一志望の農芸化学には点数が足りなくて入れずに、畜産学科で勉強することになったので、父親の影響で卒業したら公務員にでもなろうかなと考えていたのです。けれども、研究室の藤原昇教授がたいへんおもしろい先生で、研究室に残りたいと思うようになりました。藤原教授は、絶滅寸前のトキをどう救うかなど夢を大きく語る先生で、研究ってとても楽しいんだ、楽しんだモン勝ちなんだと、研究者のイメージを変えてくれました。そんなこともあって大学院に進んで研究をしようと決めたんです。

───大学院へはスムーズに入れたのですか。

いえいえ。藤原先生に東京大学の農学生命科学研究科の高橋迪雄先生の研究室を勧められたのですが、英語がまるでできなくて不合格。3問あって1問半だけしかできなかったんですよ。でも、受ける前に「英語ができないので試験に落ちると思いますが、高橋先生のところで1年間研究していてもいいですか」ってお聞きしたら、「そんなに言うのなら、いいよ」って(笑)。そういうわけで、院浪中も、研究室の院生と同じ扱いをしてくださいました。
高橋先生からは、先輩の仕事を引き継ぐ形でテーマを与えられ、先輩の残したプロトコル(規格・手順)やメールでのやりとりを頼りに、実験を進めていきました。その結果、3年間で3本の論文を国際誌に発表することができて、海外研究者とのやりとりや、論文発表の仕方など、貴重な経験を積むことができました。

───修士のときに国際誌に発表できたことはキャリアとして大きかった?

そうですね。修士の学位審査の時「ドクター論文を読んでいるようだ」と評価していただいて(笑)。もちろん、通常は2年間の修士課程を、他の人より1年長く、3年間研究させてくださった高橋先生のおかげです。試験も英語も苦手な私が、英語で論文を書いたり、海外の研究者ともやりとりして、研究者としてやっていきたいなと思ったのはこの時期でした。

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