この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

大学時代の一番の思い出は、最高のパートナーに出会ったこと!

───農学部ではどんなことを勉強したのですか。

私が入ったのは農芸化学科です。発酵や醸造、土壌の分析、肥料、微生物、食品の研究などさまざまな分野がありますが、私は有機合成を選択しました。有機合成は化合物から有機物を人工的につくる学問ですが、これとこれをプラスするとこういう化合物ができるということがはっきりしているんです。学部学生の時は、新しい化合物を発見するというよりは、先生たちがやっていることをおさらいするだけなのですが、有機化合物ができていくのは楽しかった。
教授は日本でも有数の化学者でした。とても熱心に学生に教えてくださり、研究室がいつも活気づいていました。私もそうしたアクティブな雰囲気が大好きでした。

───大学時代にサークル活動はしていたのですか。

小学生のころピアノを習っていたこともあって、軽音楽のサークルに入りました。担当はキーボードで、演奏するのはもっぱらビッグバンド・ジャズ。日本のジャズ界では秋吉敏子さんがニューヨークでビッグバンドを率いて活動していて、カッコよかったですよね。家から通っていたので限度はあったけれど、ジャズ喫茶などにも通い、一生懸命打ち込んでいたように思います。ただ、好きだったけれど、残念なことになかなか上達はしませんでしたね。

───大学時代一番の思い出は?

主人に出会ったことかな(笑)。彼は修士課程まで岐阜大学にいて、博士課程は京都大学ウイルス研究所に移りました。私も修士課程は京都大学に行き、そのときに結婚することになったんです。

───現在、慶應大学大学院医学研究科で分子生物学がご専門の塩見春彦教授ですね。一緒に研究者の道を歩もうと、学部学生のころから考えていたのですか。

研究は楽しかったけれど、さあ研究者になるぞって、そんな意気込みはそのころありませんでした。でも、研究者になるきっかけや動機はいろいろだと思います。私は、たいしてしっかりした目的意識を持っていたわけではありませんでした。おもしろいから研究に携わっていたらここまで来ていた、という感じです。

───大学院ではどんな研究に取り組みましたか。

そのころバイオテクノロジー研究が日本でも盛んになってきて、私が師事した先生もバイオを手がけはじめたことから、遺伝子工学の研究をすることになりました。それまで取り組んでいた有機合成では、物質を媒介にして目的のものをつくり出しますが、遺伝子工学では物質の代わりに生体の中にある酵素などを使って目的のものを探し出す。そこが大きな違いですね。その酵素がどんな遺伝子でできているのかを探ることから研究が始まります。ゲノムの中から目的の遺伝子を探し出すスクリーニング、いわゆる「ものとり」ですが、数学が正しい数式から正しい答えを導き出すのと同じで、正しいスクリーニングを行えば目的とする遺伝子がとれる。とれたときは研究の醍醐味を感じますね。このころから研究のおもしろさを実感できるようになりました。

修士の際、同級生の結婚式の2次会。隣が塩見春彦先生

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