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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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マンガdeひもとく生命科学のいま ドッキン!いのちの不思議調査隊

第13話 嗅覚の進化を探る

調査のまとめドッキンレポート

においを知覚するしくみ

ラーメンのにおい、バラのにおい、汗臭い剣道着のにおい…。世界はいろんなにおいに満ちている。そもそも私たちは、においをどのように知覚しているんだろう?

においの正体は、空気中をただよう揮発(きはつ)性の「におい分子」で、鼻の奥にあるにおいを感じる受容体(ちょっとむずかしい言葉で「嗅覚受容体[きゅうかくじゅようたい]」というから覚えておいてね)がにおい分子をキャッチする。におい分子と嗅覚受容体はカギとカギ穴の関係になっていて、におい分子が嗅覚受容体に結合すると受容体が活性化し、そのシグナルが脳に送られてにおいとして認識されるというわけ。この嗅覚受容体はヒトの場合、約400種類あるんだって!

においを知覚するメカニズムの研究は、コロンビア大学のリチャード・アクセル博士とリンダ・バック博士が1991年に嗅覚受容体遺伝子を発見して大きく進展したんだって! 2人はこの功績によって2004年にノーベル生理学・医学賞を受賞したよ。

*においを知覚するメカニズム:
鼻腔(びくう)の天井部分にはにおいを感知する「嗅上皮(きゅうじょうひ)」と呼ばれる場所があり、そこにはにおいのセンサーである嗅神経細胞が何百万個もびっしり並んでいる。それぞれの嗅神経細胞の先端からは繊毛が伸びており、その表面にある嗅覚受容体がにおい分子と結合すると、その情報が電気信号に変換されて「嗅球」という領域でにおい情報が統合され、さらに脳の奥のほうを通って、前頭皮質の嗅覚野でにおいとして知覚される。ただし、嗅覚情報が脳のどこでどのように処理されるかの詳細はまだよくわかっていない。
◎においを知覚するメカニズムは、フクロウ博士と森の教室「脳の不思議を考えよう」第10回「匂いの脳科学」を参照。

たった400種類で、なぜたくさんのにおいを嗅ぎ分けることができるのだろうか?
脳内で神経間の情報をやりとりする例で説明するよ。「ドーパミン受容体」は、神経伝達物質「ドーパミン」だけに結合して、「セロトニン」には結合しないんだって。一般に、受容体はその結合する相手とは「1対1」の関係にある。でも嗅覚受容体の場合は、1種類の嗅覚受容体にさまざまなにおい分子が結合するし、1種類のにおい分子もさまざまな嗅覚受容体と結合するという「多対多」の関係にあるそうだ。

「多対多」ってどういうことか、模式図で説明するよ。例えば、におい分子はトランプのマーク、におい分子を受け取る嗅覚受容体A・B・Cの3つはそれぞれ異なった形のカギ穴を持っているとしよう。嗅覚受容体はにおい分子全体ではなく、一部だけを認識すると考えられていて、スペードもハートもクラブも丸い部分があるからAの受容体に結合できる。こうしてスペードは全部の受容体に結合し、ハートはAとB、クラブはAとC、ダイヤはBに結合する。ここまではいいかな?
嗅覚受容体はにおい分子と結合して活性化し、その信号が脳に伝わるんだったよね。AとBとCの全部が活性化したらスペードのにおい、AとBが活性化したらハートのにおいというふうに、活性化する嗅覚受容体の組み合わせのパターンによって、どんなにおいなのかを脳は認識するんだ。400種類の嗅覚受容体がにおい分子と結合する組み合わせパターンを考えると、天文学的な数ドキ!!

哺乳類の嗅覚受容体の数を比べてみると…

さっきも紹介したけど、ヒトの嗅覚受容体は約400種類だったよね。つまり、ヒトは約400個の嗅覚受容体遺伝子を持っているってわけドキ。

新村先生たちのグループがさまざまな動物の嗅覚受容体遺伝子の数を調べた結果が次のグラフだよ。霊長類が300~400個ぐらいなのに、マウスやウマ、ウシは1000個を超え、アフリカゾウはなんと2000個近くもある。イヌもヒトの約2倍だ。

主な哺乳類の嗅覚受容体遺伝子の数

嗅覚受容体遺伝子の数が多いと鼻がいいと考えてよいのだろうか?
「『鼻がいい』という表現には2通りの意味があります。例えば、『イヌはヒトよりも100万倍鼻がいい』などと言われます。100万倍かどうかは議論の余地がありますが、動物の体臭といった特定のにおいに対して、ヒトが感知できないようなわずかなにおいでもイヌが感知できるのは間違いありません。この場合の鼻がいいは、『感度がいい』ということです。でも果物のにおいとなると、肉を食べるイヌにとっては果物が熟れているかどうかなんて関係ないので、嗅ぎ分ける必要はありませんよね。果物に関しては、イヌは決して鼻がいいわけじゃない。
鼻がいいというとき、特定のにおいに対する感度の良さのほかに、もうひとつ『識別能力が高い』という意味もあります。例えば、嗅覚受容体遺伝子がヒトの5倍もあるアフリカゾウは、ヒトが嗅ぎ分けられないような微妙なにおいの違いも区別できることがわかっています。嗅覚受容体とにおい分子との対応関係は『多対多』ですから、嗅覚受容体遺伝子の数の多さは、その動物が識別できるにおいが多いと考えるのが適切でしょう」

一方、イルカの嗅覚受容体遺伝子の数はたった12個で、嗅覚受容体は12種類しかもっていないドキ。
「イルカはまったく嗅覚をもっていないと考えられています。イルカの鼻は呼吸するためにあるだけ。鼻と脳をつなぐ神経も退化しており、イルカの脳には嗅覚情報を処理する領域もありません。そのかわり、エコーロケーションといって、音波がはね返ってくるまでの時間から、物体の位置や大きさ、動きをキャッチすることができます。イルカは嗅覚のかわりに聴覚を発達させた生き物なんですね。
ではこの12個の嗅覚受容体遺伝子がどんな役割を果たしているかというと、実はよくわかっていません。でもこれらのような役割不明の遺伝子がどんな器官で使われているかをマウスなどの動物で調べると、目や肺、心臓、腸などからだのさまざまな場所で発現していて、例えば血液中の乳酸の濃度測定に使われているようです。嗅覚受容体遺伝子はもともと外界の化学物質を検出するシステムとして発達してきたわけで、特定の分子を検出するために嗅覚受容体遺伝子を使いまわしていると考えられます」

嗅覚受容体遺伝子を探す

新村先生たちは、嗅覚受容体遺伝子の数をどうやって調べたのだろう?
その話を進める前に、遺伝子やDNAについて簡単におさらいしておこう。

すべての生物の細胞の中の核には、生命の設計図ともいうべきDNA(デオキシリボ核酸)がしまいこまれている。DNAは、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4つの塩基が鎖のようにつながっている物質で、このATGCの配列が親から子へと代々受け継がれていくってことは、生物の授業で習ったと思う。
その生物がもっているDNAの情報のすべてをゲノムといい、ヒトの場合は約30億塩基、つまり30億個の文字がつながっている。そしてゲノムのうち、タンパク質をつくる情報が書き込まれている部分が遺伝子ドキ。でもゲノム全体で見ると遺伝子の領域はたった1.5%程度。残りは遺伝子がタンパク質に翻訳されるタイミングや量をコントロールする領域や、染色体の構造をつくるときに重要な働きをする領域などさまざまで、機能がよくわかっていない領域もたくさんあるんだって。

生物学の発展によって、いろいろな生物のゲノム、つまりATGCの全部の配列が明らかになってきた。何十億もの文字の連なりから嗅覚受容体遺伝子の配列を探し出すわけだ。人力でやると途方もない時間がかかるけれど、コンピュータならこういう仕事はお手のもの。特徴的なパターンに当てはまる配列の候補を一気にリストアップしてくれる。その候補の中から、大事なアミノ酸が抜けていないかとか、文字列がずれていないかなどを調べていって、ヒトの場合は約400個あるとわかったんだって。
もっとも400個という数字は個人差がとても大きいそうだ。400個より多い人もいれば、もっと少ない人もいるし、ミシル君のもっている嗅覚受容体遺伝子がカシコちゃんにはないって場合もよくあるんだって。ということは、一人ひとりが感じるにおいも、少しずつ違っているのかなぁ?

塩基配列中の嗅覚受容体遺伝子の配列。網がかかっているのが嗅覚受容体遺伝子だ。

DNAの配列は究極の進化情報

新村先生は、さまざまな動物のゲノム配列から嗅覚受容体遺伝子を探し出し、その変化のパターンや遺伝子の増減を調べることで、進化の謎を探ってきた。

遺伝子の配列情報から進化を探るって、いったいどんな方法かな??
先生に詳しく聞いてみたよ。
「進化研究の歴史を振り返ってみましょう。かつては、それぞれの動物の形を比べて、似たもの同士を集めて分類し、進化の道筋を探ってきました。でも形が似ているか、違っているかは、どの部分に注目するかでも違ってきます。化石で調べる方法の場合は、発掘された化石が完全ではないため、進化の一部しかわかりませんでした。
しかし、DNAが遺伝情報を担うことが明らかになった20世紀後半以降、ATGCの配列情報こそが、化石には残らない突然変異の歴史が刻まれている究極の進化情報と考えられるようになりました。とくに次世代シーケンサーと呼ばれる配列読み取り装置が登場し、コンピュータの計算能力が飛躍的に向上したいま、ゲノム配列の変化から進化を明らかにするゲノム進化学が注目されているのです」

「遺伝子重複」に注目!

ここでとくに重要になってくるのが、「遺伝子重複」ドキ。
細胞が分裂するとき、DNAのコピーがつくられるけれど、ヒトの場合30億もの塩基をコピーするわけだから、その過程でコピーミスが起きることがある。これが突然変異だ。コピーミスによってある遺伝子が壊れてしまいタンパク質がうまく作れなくなってしまうと、生物にとって有害になることがある。でも通常、そのような変異は淘汰され、次の世代には引き継がれない。
「でも、誤って二度コピーされ、遺伝子が2個になった場合はどうでしょう? その場合、片方の遺伝子に突然変異が起きても、もう一方が正常で元の機能が保持されたままなら、その生物が死ぬことはありません。そして、突然変異によって新たに獲得した機能が有益なもの、例えばそれまで認識できなかったようなにおいを嗅ぐことができるような変化が起きた場合は、新しい機能として受け継がれていきます」

こうした遺伝子重複によって、進化の過程で遺伝子の数は増えていく。逆に、ある機能が生物にとって不要になってしまった場合は、その機能を担っていた遺伝子は減っていくのだという。
「不要になってしまった遺伝子の領域にコピーミスが起きたとします。その生物にとってはダメージはないけれど、遺伝子の残骸がゲノムに残ってしまう。このような、かつて機能していたけれど、もはや機能しなくなった遺伝子のことを『偽(ぎ)遺伝子』といい、ゲノムの中にはそんな偽遺伝子がたくさん眠っているんですよ」

偽遺伝子って言葉を初めて聞いたよ! ヒトの嗅覚受容体遺伝子(機能遺伝子)は約400個なのに偽遺伝子は約440個もある。アフリカゾウにいたっては、約2000個の機能遺伝子に対して、偽遺伝子は約2200個ドキ!!

哺乳類の嗅覚受容体の機能遺伝子と偽遺伝子数

ダイナミックに変化してきた嗅覚受容体遺伝子

さて、進化の過程で遺伝子重複によってできた配列と機能がよく似た遺伝子のグループのことを「遺伝子ファミリー」と呼ぶ。嗅覚受容体遺伝子は哺乳類の中でも最も巨大な遺伝子ファミリーで、遺伝子重複によって増えたり、偽遺伝子になって数が減ってしまったりとダイナミックに変化してきたそうだ。

「嗅覚受容体遺伝子の特徴は、このように飛びぬけて変化が大きいことです。嗅覚受容体遺伝子は、におい分子と受容体との関係が多対多であること、また遺伝子の数が多いこともあって、その増減が生存に直結するような遺伝子ではありません。しかし、においは食べ物を探したり、危険な敵から逃れたり、同じ種の仲間を見つけたりするのに重要な情報です。どんな嗅覚受容体遺伝子をもっているかが、それをもつ生物がにおいをどのように嗅ぎ分けているかを、雄弁に物語ってくれます。なぜ嗅覚受容体遺伝子が増え、どんな理由で減ったのか? 進化のシナリオを推理していくうえで絶好のツールといえるでしょう。ただし数が多いので、進化的な観点からどの遺伝子に着目するとおもしろいことがわかるかを考えて、研究を進めています」

目のいいサル、鼻のいいサル、においの嗅ぎ分けの秘密

2018年に新村先生のグループが発表したのが、霊長類の嗅覚受容体遺伝子の消失(偽遺伝子化)と食生活の変化を探った研究ドキ。
イヌやネコと同じように鼻先が湿っていて、鼻孔(びこう=鼻の穴)が左右にわかれた「曲鼻猿類(きょくびえんるい)」では嗅覚受容体遺伝子は600~800 個と多い。一方、鼻孔が下を向いている「直鼻猿類(ちょくびえんるい)」では少なくなり、ヒトやチンパンジー、アカゲザルなどは300~400 個、とくにテングザルなどの「コロブス類」は200個程度とかなり少なく、同じ霊長類でも4倍もの差がある。

「サルの鼻が悪くなったのは、夜行性から昼行性に変わってさまざまな色を識別できるようになり、嗅覚より視覚に依存するようになったためだと言われてきましたが、それだけでは、霊長類全般における嗅覚受容体遺伝子の数の変化をうまく説明できません。そこで、嗅覚の退化をもたらした原因を探るために、24 種の霊長類について(1)どんな色覚*を持っているのか、(2)昆虫食か果実食か葉食かなどの食性、(3)目や鼻の形態、(4)夜行性か昼行性かといった活動パターンから分析してみました。
その結果、色覚の違いや活動パターンの違いは嗅覚受容体遺伝子の数には影響を与えておらず、直鼻猿類への進化の過程で目と鼻の構造の大きな変化が起きて嗅覚から視覚に依存するようになったこと、そしてコロブス類の嗅覚受容体遺伝子数が少ないのは、果実食から葉っぱへという食性の変化によってもっともよく説明できることがわかりました」

24種の霊長類のもつ嗅覚受容体遺伝子の数
(Niimura et al. Molecular Biology and Evolution,2018 より改変)

*色覚:三色型色覚とは、光の波長に対する感度が異なる青、緑、赤三種類の錐体細胞をもっていて、ヒトと同じ色覚。緑の森の中で赤い果実を見つけるのに有利とされる。二色型は赤緑色盲に相当し、単色型は白黒写真のような見え方。

食性の変化で嗅覚受容体遺伝子が減ったというのはどういうことだろう?
果物を主に食べるサルにとっては、その果物が熟れているかどうかを判断するうえでにおいの情報は重要だけど、葉を主に食べるコロブス類にとってはさほど重要じゃないんだ。なぜなら固い葉を消化できる特殊な胃を持っていて、葉のえり好みをしないから。こうしてコロブス類は、どんな葉がよいかを嗅ぎ分ける必要がなくなり、遺伝子が減っていったと考えられるんだって。

霊長類の進化過程において嗅覚受容体遺伝子の消失速度が速まった系統
霊長類の各グループに対応する三角形は、現存する種の数に比例するように描かれている。

素粒子の研究からゲノムの進化へ

新村先生は大学では物理学を専攻し、宇宙の森羅万象を一つの方程式で示すような統一理論を提唱したいと素粒子論を研究していたそうだ。
「でも素粒子論をいくら研究しても、宇宙のことを理解したいと考える人間の脳の不思議は理解できません。そこで生物学に転向したのですが、自分の生涯をかけて取り組みたいと思えるテーマを決めかねていました。そんなとき、世界で初めてインフルエンザ菌のゲノム配列が解読されたという論文に出会いました。1995年、ちょうど私が大学院生のときのことです。あらゆる生物の情報がゲノムに書かれていて、それをコンピュータで理解できる時代がやってきた*。生物学の統一理論は進化だから、ゲノムの進化を研究したいと考えたのです」

*生命現象をコンピュータを使って研究する学問を「バイオインフォマティクス」と呼ぶ。バイオロジー(生物学)とインフォマティクス(情報学)が融合した学問領域で、1990年代半ばごろから急速に発展してきた。当初は、大量のゲノム配列データを解析するための手法の開発が中心だったが、その後、遺伝子の機能やタンパク質の構造を調べる、ゲノムを解析して病気のメカニズム解明や創薬に役立てる、コンピュータで生命のネットワークやシステムをシミュレーションする、画像解析に必要な新しいソフトウェア・情報技術を開発するなど、生命科学のさまざまな場面で重要視されるようになってきた。

博士号を取得した新村先生は、国立遺伝学研究所の五條堀隆(ごじょうぼり・たかし)先生の研究室で学んだ後、2002年に米国ペンシルバニア州立大学の根井正利(ねい・まさとし)先生のもとへ留学した。
「根井先生は、宮崎大学農学部のご出身で、遺伝子の配列から系統樹*1をつくる方法を考えるなど分子進化生物学の理論的な基礎を築いたレジェンドの一人です。ちょうどヒトゲノム計画*2によって、ヒトゲノムの全貌が見えつつあったころでした。遺伝子ファミリーの進化のパターンの解明に挑んでいた根井先生から、ヒトの嗅覚受容体遺伝子がどのように進化してきたかを解析するというテーマをもらい、調べ始めたのがこの研究に取り組むようになったきっかけです」

*1 系統樹:生物同士の類縁関係(系統)を、推定される進化の道すじに従って描いた図。もとの幹から太い枝、小枝へと、多数の枝分れをもつ樹木の形にたとえて表現されることから「系統樹」と呼ばれる。
*2 ヒトゲノム計画:人間の細胞核内にある全塩基配列を解析することを目的に、1990年にアメリカを中心に30億ドルの予算のもとに発足し、イギリス、日本、ドイツ、フランス、中国が協力し推進されたプロジェクト。2003年4月に解読完了が宣言された。

その後、マウスではどうか、水にすむ魚はどうか、カエルでは?…などと調べていく過程で、嗅覚そのものにも興味をもつようになったんだって。

解明したいテーマがいっぱい

嗅覚と嗅覚受容体遺伝子のおもしろさにすっかり夢中になった新村先生が、今後解明していきたいと考えているテーマはというと‥‥
「まず特定の環境に応じて、どういう受容体が増えたり減ったりするのか、嗅覚受容体遺伝子の増減と環境との関係をさまざまな生物で明らかにしたい。また味覚など他の感覚と嗅覚との相互作用についても調べてみたいですね。このほか、水にすむ生物でもイルカはたった12個だけどジュゴンは何百個も嗅覚受容体遺伝子がある。その違いの解明も興味をそそられます。もう一つ、イヌの進化についても研究を進めています。現在のほとんどのイヌの系統が誕生したのはたかだか数百年で、系統によって鼻の良さが違うと言われています。嗅覚受容体遺伝子の特徴からイヌの系統の違いを探っているところです」

次から次にアイデアが湧いてくるなんてすごいドキ。
コンピュータとアイデアさえあれば今がチャンス!

最後に、中高校生へのメッセージをうかがったところ…。

「いまゲノム科学は特殊な局面を迎えています。ヒトゲノム計画は、30億ドルもの費用と13年という歳月、何千人もの研究者が関わった究極のビッグサイエンスでした。でもいまや生物のゲノムの解読は数十〜数百万円程度でできるスモールサイエンス。6万種以上ある脊椎動物のうち1万種ぐらいのゲノムを解読しようというようなプロジェクトも走っています。さまざまな研究者たちによって解読されたDNA配列のデータは公的なデータベース*に登録することが決められており、そのデータはインターネットで公開され、無料で利用できます。その膨大なデータが日々積みあがっている状況なんですね。
サイエンスは高額な装置がないとできないと思っている人もいるかもしれませんが、コンピュータとアイデアさえあれば誰でもゲノム情報にアクセスして、新しい研究ができる時代なんです。ゲノムデータのデータベースは宝の山で、まだ誰も解析していないデータがたくさん眠っています。今こそ新発見のチャンス! ぜひ取り組んでみてください」

*公的なデータベース:データベースは、国立遺伝学研究所が管理している日本のDDBJ (DNA Data Bank of Japan)、米国のGenBank、欧州のEMBL-Bankと世界3か所にある。そのデータ量は膨大で、2023年6月の時点で21兆7911億2559万4114塩基。

においや進化、研究者の生き方に興味がある人にオススメ

新村先生ににおいや進化に興味をもった人や、研究者をめざす人に読んでもらいたい本を紹介してもらったよ。

新村 芳人/著
『興奮する匂い食欲をそそる匂い~遺伝子が解き明かす匂いの最前線』

(技術評論社[知りたい!サイエンス] 2012年3月刊)

ムスクやジャコウなどの天然香料、化学的に作りだされる香水の成分、匂いの快不快に始まり、私たちがにおいを感じるしくみ、嗅覚受容体遺伝子の起源や進化とともに、フェロモンや味覚についても解説。

新村芳人/著
『嗅覚はどう進化してきたか~生き物たちの匂い世界』

(岩波科学ライブラリー 2018年10月刊)

匂いを感じるしくみや生き物たちの多様な匂い世界について紹介したあと、進化の道筋をゲノムでどのように探っていくか、霊長類の嗅覚受容体遺伝子によって読み解かれる霊長類の進化の道すじなど、先生の研究が詳しく紹介されている。

渡辺昌宏/著
『香りと歴史 7つの物語』

(岩波ジュニア新書 2018年10月刊)

歴史の裏に香りあり。アレクサンドロス大王を虜にした乳香や、中国の玄宗皇帝の愛人楊貴妃楊貴妃が最期まで身に着けたのは竜脳の匂袋だった、織田信長が切望した「権力者のステータスを示す香木の「蘭奢待(らんじゃたい)」、ナポレオン皇妃が愛したバラなど、知っているようで知らない香りの歴史がジュニア向けにわかりやすく紹介されている。

小倉明彦/著
『お皿の上の生物学』

(角川ソフィア文庫 2020年4月刊)

著書は神経科学者で大阪大学の名誉教授。同大学の人気講義をまとめた書籍を文庫化したのが本書。酸味を甘味に変える「味覚修飾物質」の仕組みとは?ウスベニアオイのハーブティーにレモンを入れると…、加齢臭の正体はなど、味や色、香り、温度、料理にまつわる身近な話題を切り口に、食べ物と感覚がどう関係しているかを解説。

中村祥二/著
『調香師の手帖(ノオト)―香りの世界をさぐる』

(朝日新聞出版 2008年12月刊)

調香師とは、香水や化粧品などの香りを作る専門家のこと。資生堂で研究生活を送った著者が、食事や生活を豊かにしてくれるハーブ、スパイス、香水、香道、お香といった香りやその歴史、香りの楽しみ方を紹介した本。いろんな香りについて知りたい人向け。

ジャレド・ダイアモンド/著 倉骨 彰/訳
『銃・病原菌・鉄―1万3000年にわたる人類史の謎〈上・下〉』

(草思社文庫 2012年2月刊)

世界史の勢力地図は、侵略と淘汰が繰り返されるなかで幾度となく塗り替えられてきた。1万3000年にわたる人類史を俯瞰し、銃器と金属加工技術の有無、農耕収穫物や家畜の種類、運搬・移動手段の違い、文字の存在などをたどりながら、ユーラシアの文明がなぜ生き残り、他の文明を征服してきたのか、歴史の勝者と敗者を分けた要因や、現在の世界に広がる富と権力の「地域格差」を生み出したものは何かなどについて、進化生物学、生物地理学、文化人類学、言語学などの最新の知見をもとに解き明かした本。原書は1997年に刊行、日本語版は2000年に出版され、文庫化されたものが本書。

スヴァンテ・ペーボ/著 野中香方子/訳
『ネアンデルタール人は私たちと交配した』

(文藝春秋 2015年6月刊)

遠い昔に私たち現生人類と分岐し、異なる進化の道を歩んで3万年前に絶滅したネアンデルタール人。その化石骨のゲノム解読に成功し、2022年にノーベル医学・生理学賞を受賞したペーボ博士の30年にわたる研究生活を記した自伝。研究の苦悩やライバル研究者との駆け引き、さまざまな困難を乗り越えて「古遺伝学」を開拓し偉業を達成するまでの道のりは実にスリリングだ。

ジェームス・D・ワトソン/著 江上不二夫・中村 桂子/訳
『二重らせん―DNAの構造を発見した科学者の記録』

(講談社ブルーバックス 2012年11月刊)

DNAの二重らせん構造はどのように発見されたのか。共同発見者のフランシス・クリックやモーリス・ウィルキンスらとの出会いから、ライバルを蹴落とし、二重らせん構造の発見にいたった舞台裏を綴ったドキュメント。原著は1967年に書かれ、ワトソン博士ノーベル賞受賞から50年を記念して新書化されたもの。

藤原正彦/著
『若き数学者のアメリカ』

(新潮文庫 1981年6月刊)

数学者でお茶の水女子大学名誉教授である藤原正彦は、1972年の夏、ミシガン大学に研究員として招かれる。当時29歳、日本人であることを過剰に意識し、アメリカ人への対抗意識や劣等感と疎外感がないまぜになりながらもコロラド大学助教授に採用される。そんな著者のアメリカでの3年間の体験記は、いまも共感を呼ぶだろう。

糸井重里・早野龍五/著
『知ろうとすること。』

(新潮文庫 2014年10月刊)

原発事故後、情報が錯綜する中で、放射線の影響を分析し、ツイートで発信し続けた物理学者・早野龍五と、そのツイートと早野の姿勢を信頼し自らの指針とした糸井重里の対談。学校給食の調査や子どもたちの内部被ばく測定装置の開発などその後の活動やその背景、子供たちや市民の不安にどう応えていったらよいのかを考え、「科学的に考える力の大切さ」を伝えた本。

生命科学DOKIDOKI研究室の次の記事も読んでみてね!

  • ◎東京大学大学院農学生命科学研究科 生物化学研究室の東原和成教授に東京都立戸山高等学校の4人が訪問して、匂いの基本的な話をレクチャーしてもらった記事。当時、同研究室の特任准教授だった新村先生も登場。
    ■中高生が第一線の研究者を訪問「これから研究の話をしよう」
    第12回 匂いは生きていくための大切な情報源

    https://www.terumozaidan.or.jp/labo/future/12/index.html

  • ◎私たちが匂いを感じるメカニズムと、ショウジョウバエの脳活動パターンで匂いの好き嫌いを解読した研究について。
    ■フクロウ博士の森の教室「脳の不思議を考えよう」
    第10回 匂いの脳科学

    アニメーション
    https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/s2_10/slideshow.html
    風間北斗先生インタビュー
    https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/s2_10/interview01.html

  • ◎マウスに先天的な恐怖を感じさせるにおいを嗅がせることによって、人工冬眠状態に誘導し、生存能力が高まったことを見つけた小早川高先生の研究。
    ■いま注目の最先端研究・技術探検!
    第55回 「恐怖のにおい」が生命保護能力を呼び覚ます

    https://www.terumozaidan.or.jp/labo/technology/55/index.html

(取材・文:「生命科学DOKIDOKI研究室」編集 高城佐知子)

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