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大事な思い出は何が決める? 脳細胞の新たな記憶のしくみを解明~理研CBS・長井淳先生を訪ねて~

試験勉強の基本は、教科書や単語帳を繰り返し読み直すことだ。でも"繰り返すこと"がなぜ記憶を強めるのか、その分子レベルのメカニズムは十分には解明されていなかった。それを、ニューロンの隙間を埋めるグリア細胞の研究から解明したのが長井先生。大事な記憶を選んで残すために、グリア細胞のひとつ「アストロサイト」が関わっているとわかったのだ。いったい、どのように記憶し保存しているのか。詳しいお話をうかがってみよう。

長井 淳(ながい・じゅん)

理化学研究所 脳神経科学研究センター(理研CBS)
グリア-神経回路動態研究チーム チームディレクター

早稲田中学・高校から2007年に早稲田大学に入学。2015年早稲田大学先進理工学研究科先進医科学専攻博士課程修了。博士(理学)。16~20年カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部生理学科研究員を経て、20年11月より現職。専門は神経科学。とくにグリア細胞と神経細胞の連携から脳機能や疾患について調べている。特技はピアノ。

ショートムービーで見る研究のあらまし

脳の半分を占める謎の存在「グリア細胞」

3日前のお昼に何を食べたかよく覚えていないのに、かなり時間が経っても、旅先でのおいしかった食事や何回も繰り返して勉強したことは覚えていたりする。そんな脳のしくみについて、これまでは学習や経験によって特定のニューロン(神経細胞)の集団に物理的・化学的な変化が生じて「記憶痕跡(こんせき)」=エングラム*として残り、それが記憶を保持し、再び活性化すると記憶を思い出すと説明されてきた。でも、エングラム細胞群がどう形成され、再活性化されるかのメカニズムは完全には解明されていなかった。
2025年10月、ニューロンではなく、その隙間を埋めているグリア細胞の一種「アストロサイト」が、強い感情を伴う体験を、その後数日間にわたって分子レベルの「痕跡」として残し、2回目の体験時にそれを記憶として選び取って定着させる「安定化スイッチ」として働くという研究がネイチャー誌に掲載された。言ってみれば、「ここは試験に出るぞ!」と先生に言われたページに、後からすぐに読み返せるよう"付箋"を貼っておくように、アストロサイトも特別な体験に"付箋"をつけて、後から思い出せるようにしていたというわけだ。

*エングラムについては、「フクロウ博士の森の教室 シリーズ2 脳の不思議を考えよう」第2回「記憶のヒミツ」参照。
本編アニメーション:https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/s2_02/slideshow.html#
井ノ口馨先生インタビュー:https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/s2_02/interview01.html

グリア細胞やアストロサイトって?? という人もいるかもしれないので、簡単に紹介しておこう。もともと19世紀の半ばに、開発されたばかりの「クロミウム銀染色」という染色法で脳組織を見たところ、ニューロンとニューロンの隙間を埋める「膠(にかわ)」のような細胞が見つかった。ギリシャ語で膠を意味するGliaにちなんで名づけられたのがグリア細胞だ。
「グリア細胞は、長らく単なる支持組織とみなされてきました。20世紀後半に電気生理学が発展し、脳のパルスを測れるようになっても、グリア細胞は電気信号にはまったく反応しなかったため、脳の主役であるニューロンに栄養を供給するだけの脇役的存在と考えられていたんです。しかし、細胞内カルシウムを可視化する技術の発展が、この見方を大きく変えていきます。1980年代には宮脇敦史(みやわき・あつし)先生*(現・理化学研究所脳神経科学研究センター 細胞機能探索技術研究チーム チームディレクター)の師匠であったロジャー・チエン博士らによって蛍光カルシウム指示薬『Quin-2』や『Fura-2』などが開発され、生きた細胞の中でカルシウム濃度の変化を測定できるようになりました。これにより、神経細胞だけでなくグリア細胞にも能動的な生理反応がある可能性が見え始めます。そして1990年、蛍光指示薬『fluo-3』を用いた培養アストロサイトの研究によって、グリア細胞でもカルシウム濃度が変化することが直接示されました。これは『グリアは受動的な細胞ではない』という認識への重要な転換点でした。グリア細胞は脇役ではなく、情報や物質をやりとりし、脳活動を調節している可能性が次々に報告されるようになってきたのです。我々の記憶や行動、疾患にも大きな影響を与えているのではないかという仮説が出てきたのが、ここ15年ぐらいのことです」

*宮脇敦史先生と蛍光タンパク質については、「いま注目の最先端研究・技術探検!」「蛍光タンパク質を使って生きた脂肪の活動をリアルタイムに観察」を参照
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/technology/14/index.html

代表的なグリア細胞は次の3種類だ。ニューロンの軸索に巻きつき絶縁体のような働きをして情報伝達の速度を高めている「オリゴデンドロサイト」。損傷したニューロンを取り除くなど、免疫系の働きをする脳のマクロファージ的存在、「ミクログリア」。そして、今回の研究の主役である「アストロサイト」。突起が星雲のように広がっていることから名づけられた。一つのアストロサイトの突起が、10万を超えるニューロンやシナプス、血管とつながり情報や物質のやりとりを行っていて、その機能や役割はまだまだ謎が多いという。

グリア細胞の役割

興味深いことに、脳の発達に伴ってグリア細胞の分布比は高くなっており、ヒトの場合ニューロン860億個に対し、グリア細胞の数はその同等数を占めているとされる。つまりグリア細胞が高次な脳機能になんらかの役割を果たしているようなのだ。そしてグリア細胞の約半分を占めるのがアストロサイト。ヒトのアストロサイトの前駆細胞をマウスの脳に移植したところマウスの学習・記憶能力が上がったという研究や、アストロサイトが睡眠覚醒に関与している*といった研究もある。

*アストロサイトが睡眠覚醒に関与している研究については、「この人に聞く『生命に関わる仕事っておもしろいですか?』第76回「9歳のときの『脳ってスゴイ』が原点。なぜ夢を見るのかを明らかにしたい」を参照。
https://www.terumozaidan.or.jp/labo/interview/76/index.html

そもそも、長井先生はなぜグリア細胞の研究を進めるようになったのだろうか?

マウス脳組織の共焦点顕微鏡画像。絡み合う2種類の神経ネットワーク(紫と黄色)の隙間にあるアストロサイト(水色)。

ピアノをあきらめ脳科学の世界へ

長井先生は、子供のころは生物に興味はなく、DNAやセントラルドグマ*についてきちんと学んだのは大学に入ってからだという。
「どちらかといえば物理や化学のように理論が確立された世界が好きでした。そのおかげで、今でも顕微鏡の原理や細胞の解析といった技術的な部分にすごく興味があるし、それが研究の強みになっているかもしれません」

*セントラルドグマ:遺伝情報がDNA→RNA→タンパク質という流れで伝達されることで発現するというすべての生物に共通する普遍的な原則。DNAの二重らせん構造を発見したフランシス・クリック(Francis Harry Compton Crick)が提唱。

自宅で音楽を教える両親の影響もあって、小さいころはピアノが生活の大部分を占めていた。小学生時代はピアノの全国大会で上位入賞するほどだったが、中学受験で合格したのは早稲田中学校。千葉の実家から都内まで片道2時間かけて通学することになる。それでも毎日ピアノに向かい、休日も練習に明け暮れていたが順位はどんどん下がってしまった。

「音大をめざして頑張っていたんですが、ピアノの先生から『ピアノはコンクールのために弾くものじゃない。ほかに興味のあることはないの?』と問われて、子供のころは脳に興味があったことを思い出しました。脳障害のある家族がいたことから特別支援学級に友達も多く、脳のわずかな違いが人の感じ方や行動のあり方に大きな影響を与えてしまうことが不思議でならなかったんです。ふたりの祖母を脳腫瘍で亡くしたこともあり、医者になって脳の病気を治せればと思いました」

ところが、早稲田大学には医学部がない。知り合いの医師に相談すると「脳医学ではまだ治せない病気が多い。研究者として脳の病気を解明する道もあるよ」と助言されたそうだ。ちょうどそのタイミングで、早大は東京女子医科大学と連携して「先端生命医科学センター(TWIns)」を立ち上げた。医学・医療と理工学を融合し、最先端の生命科学や再生医療、ロボット、医用工学などの研究を推進する研究教育施設だ。先生はその第一期生として入学することになったのだ。
「最初の4年間は学生生活を謳歌しましたが、院生になってからは大島登志男(おおしま・としお)先生の研究室に入って、ニューロンの発生や再生に関する研究を始めました。発達障害や脳腫瘍に関心があったので、まず脳ができあがっていく過程が知りたかったのです」

当時、生物学は2003年にヒトゲノムが解読されたことをうけて、遺伝子を操作したノックアウトマウスを使った分子生物学が一気に進んだ。一方、神経科学では、さまざまなイメージング技術を駆使して神経の電気生理学的な動きを可視化して脳活動を解明する研究が注目されていた。
「でも、現在のように分子生物学と電気生理学を融合した研究が始まったのはつい最近で、当時は2つの流れはまだ別々の印象でした。私はノックアウトマウスで遺伝子の機能を調べていましたが、脳は代償性といって、一部がダメになってもその機能を肩代わりする働きがあるので、2万数千個もある遺伝子のうち1個の遺伝子の発現を抑えたところで、何も表現型に変化がないということが多いのです。運と根気の必要な研究でした」

2年間、よいデータが得られずにいた先生は、教授の紹介でカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の短期留学プログラムに参加することにした。
「そこで、脳卒中の権威であるカーマイケル(S. Thomas Carmichael)教授に出会い、脳においてグリア細胞が重要だという話を初めて聞きました。ニューロンが再生するときには、アストロサイトが集まって周辺の組織を整理する手助けまでしているというのです。帰国してからはノックアウトマウスで遺伝子と脳や精神疾患の関係を調べながら、アストロサイトの活動データも採ってみることにしました。そのころには、ポスドク(博士研究員)はグリア細胞をテーマにしようという気持ちが決まっていました」

2015年9月、博士号授与式の直後に、ガウンを着たまま授与会場から歩いてすぐの母校の前に移動して写真撮影。

アストロサイトに迫る解析ツールを開発

大学院修了後、先生は自分で研究費を獲得して再び渡米。UCLAに1週間ほど滞在して、いろいろなラボを回っては、アストロサイトがニューロンの情報伝達をどう調節しているかについて調べたいと、自分のやりたいサイエンスについてプレゼンテーションを繰り返した。
「でも多くのラボで、『そんな研究はポスドク1人でできる仕事じゃない』と言われました」

ようやく脳での役割が注目され始めたグリア細胞だが、当時はまだ観察研究がメインだった。そのため、ニューロンの活動とアストロサイトの活動に相関関係があることがわかっても、それが分子レベルでどんな因果関係で起こっているかは証明できなかった。それを調べるには、いくつもの技術的壁があったという。
「ニューロンとアストロサイトは同じ脳神経幹細胞からつくられます。脳神経幹細胞は胎児のころからニューロンをつくり始めますが、生まれたとたんにニューロンをつくるのをやめてグリア細胞をつくり出します。だから、2つの細胞の性質はとてもよく似ていて、分子生物学的な手法で介入すると、アストロサイトを操作しているつもりでニューロンまで操作してしまうことがある。個別に切り分けることがとても難しかったんです。それをはっきりさせるために、アストロサイトだけを標的にした解析手法を開発しようと考えていました」

そんな長井先生を採用してくれたのが、バルジット・カーク(Baljit Khakh)教授だ。
「バルは、イギリス出身の神経科学者。短期留学で出会ったカーマイケル教授とも交流のある先生で、野心的なテーマが気に入ったと、意気投合しました」
カーク教授も、アストロサイトとニューロンの相互作用や神経疾患・精神疾患への影響を探るために、新しいツール開発をめざしていたのだ。

北米大陸西海岸のインド料理屋での夕食会。右から2人目がカーク博士、4人目が長井先生。

長井先生はカーク教授のラボで、アストロサイトを活性化したり、不活性化したりするツールを開発。アストロサイトがいつ・どこで・どのようにニューロンと影響を及ぼしあうかの解析を進めた。そして大脳基底核の線条体*1に存在するアストロサイトが活性化すると注意欠陥・多動性障害(ADHD)*2に似た行動を引き起こすこと。不活性化すると強迫性障害(OCD)*3に似た行動を引き起こすことなど、アストロサイトとニューロンの相互作用のしくみとその重要性を明らかにした。
「ニューロンに着目するだけではわからなかった脳回路機能のしくみや疾患治療法の道すじが見えてきたことは大きな意味があったと思います。もうひとつ、アストロサイトだけを活性化するツールを開発した際に、ニューロンの活性化マーカーであり、記憶のエングラム研究でもよく用いられるFos遺伝子*4が発現していることに気づきました。このときは疾患にかかわるような強力な介入実験でしたが、ひょっとしたら自然な状態でもFos遺伝子が発現しているかもしれない。アストロサイトにFos遺伝子が発現するなら、エングラムに関わっている可能性もあるのではないか。それをハッキリさせたいと考えたのが、今回の研究の発端でした」

*1 線条体:運動調節・認知・意思決定にかかわり、行動・疾患に重要な脳部位。
*2 注意欠陥・多動性障害(Attention Deficit Hyperactivity Disorder:ADHD):①注意が持続しない②多動性(じっとしていることができない)と衝動性(刺激に反射的に反応する)を特徴とする。小児では5%、成人では2.5%の人がADHDといわれる。
*3 強迫性障害(Obsessive-Compulsive Disorder:OCD):強い「不安」や「こだわり」によって日常生活に支障が出る精神疾患。強迫観念を打ち消すために、過剰な手洗いや確認(強迫行為)を繰り返す。
*4 Fos遺伝子:外部刺激に応答して数分~数十分以内に発現が誘導される遺伝子群。神経細胞においては、特定の経験に対してどの神経細胞が反応しているか調べるために欠かせないツールとなっており、神経活動や可塑性の指標とされる。

大事な記憶はアストロサイトが選んでいた!

アストロサイトを活性化・不活性化するツールを開発した先生は、「グリア細胞をテーマにしたエングラム研究」を携えて理化学研究所の脳神経科学研究センターに応募し、コロナ禍の2020年11月、理化学研究所で研究室を立ち上げた。

「アストロサイトがエングラムに関わっているか否かをはっきりさせたかったんです。そこで、マウスの体験に応じて、アストロサイトが活動したときにだけ発現するFosを全脳スケールで蛍光標識し、1細胞レベルで可視化・解析する新たな技術を開発し、アストロサイトの活動を調べることにしました」

実験は、特定の場所でマウスに電気ショックを与え、数日後に同じマウスをその場所に連れてきて恐怖体験を思い出させる形で行った。データの取りこぼしがないよう全脳の活動をくまなく解析し、Fos遺伝子を発現したアストロサイトを探していった。
「ところが、最初の恐怖体験ではFos遺伝子の発現はほとんど見られなかったんです。ニューロンではFosの反応が出ているのに、アストロサイトでは出ない。UCLAで見た発現は、人為的な介入のためだったのかとがっかりしました。でも、解析を担当してくれた研究員の出羽健一(でわ・けんいち)君が、念のためマウスが体験を思い出したときのデータも調べてくれたんです。すると、そちらのアストロサイトではFosの反応が大きく上がっていた。しかも、扁桃体*という情動や記憶に重要な場所を中心に発現が見られました」

*扁桃体:脳の大脳辺縁系に属する領域で、生存、情動や記憶の情報の符号化(外部から入力された感覚情報や内部で生成された思考内容を、脳が処理し、後で検索・利用可能な神経的なコード[符号]に変換するプロセス)に重要な役割を担う。

やはり記憶と関係があったのか。そう思った先生は、最初の恐怖体験でFosが出なかった理由をさらに調べていった。すると、恐怖体験の後はアストロサイトにノルアドレナリンの受容体が増えていることに気づいた。ノルアドレナリンは強いストレスによって分泌される物質だが、その受容体の数に比例して体験を思い出したときのFos遺伝子も増減していたのだ。

「アストロサイトは恐怖(強い感情)をともなう体験をすると、まずノルアドレナリン受容体を増やして"付箋"を付けていたんです。そして、体験を思い出すとノルアドレナリンを受容して、それと比例してFos遺伝子も発現して記憶を定着させていました。ノルアドレナリンが多ければ記憶も強く残ります。アストロサイトは保存する記憶を取捨選択するヘルパーだったんです」

最初の恐怖体験(左)とその体験を思い出す際(右)に活性化するアストロサイト集団(白く見える部分)の分布。思い出すときに活動するアストロサイトは、全脳レベル(図上部)においても、海馬、扁桃体、視覚野などの領域いずれにおいても、最初の体験時に比べて明らかに多い。スケールバーは500マイクロメートル(μm、1μmは100万分の1メートル)。

さらに興味深いことに、アストロサイトのFos遺伝子の発現スピードは、ニューロンのFos遺伝子に比べて3倍以上も遅かったという。
「おそらく、ニューロンはパパパッと高速で体験してどんどん忘れちゃう。だけど、アストロサイトは長時間露光カメラのようにゆっくりと体験しながら、何と何が関連しているかタグを付けて、記憶を定着させているんじゃないかと考えています。子供みたいに走ったり転んだりしているニューロンを、アストロサイトが保護者のように見守りながら、同じところで転んだら地面に印を付けておくといった感じです。そうやって大事なものだけを記憶することで、脳のエネルギー消費を抑えて作業効率を上げているんでしょう」

この研究は2025年10月に世界的な科学雑誌であるNature誌に掲載された。
しかし、裏ではアメリカとヨーロッパのラボと激しい競争があった。先生たちが最後の実験に取りかかっていたころ、Nature誌に半年に一度は論文を出しているアメリカの敏腕研究者から「僕は、ほぼ書き上げたよ」と連絡が来たという。
「そのときは焦りました。彼はカーク教授とも交流があるので義理立てて報告をくれたのですが、私は一緒に研究を頑張ってきた学生たちの顔を思い浮かべるうち不整脈が止まらなくなってしまいました」
結果的に、論文は彼らの方が先にNature誌に掲載され、使った手法も先生と同じだった。ただ、その主旨は、アストロサイトにFosが発現し、それを抑えると記憶が思い出せなくなるという単純なものだった。一方、先生たちは掲載では後れを取ったものの、アストロサイトがなぜFos遺伝子を発現するのか、さらにノルアドレナリンと記憶がどうやって結びつくかまで提示できたため、さらなる知見の発表となった。

この論文にはさらにエピソードがある。不整脈が止まらなくなった先生は、受診した内科医との雑談でノルアドレナリンと記憶の関係を研究していると話をした。すると、その医師もノルアドレナリンを研究していて、さらに先生が手に入れたかったノックアウトマウスを持っていたのだ。
「それを分けてもらえたおかげで論文も書き上げられたんです。そして、論文が通ったら不整脈もケロリと治ってしまいました」

未知のグリア細胞も探求したい

今回の研究で、記憶の痕跡はニューロンだけでなくアストロサイトによっても形成されることが初めて明らかになった。この結果は、「強い感情をともなう体験は記憶に残る」、「何度も繰り返したことは忘れにくい」といった、昔からよく言われる現象も細胞や遺伝子から説明できることを示している。また、アストロサイトが記憶を選別し保存するしくみは人工知能のモデルにも応用できるという。
「現在のAIは、とりあえず情報をたくさん読み込んで記憶させるので、その電力消費は膨大な量になっています。アストロサイトのように大事な情報にタグ付けして残すことができれば、そうした課題も解決できるかもしれません」

研究室では今回の結果をもとに、楽しい思い出や社会的な記憶の選別、ストレスに関わるうつ病やPTSDといった疾患、老化や認知症などの解明につながる研究にも取り組んでいくそうだ。
「もともとは脳に関わる病気を治したい思いで研究を始めましたが、現在は独自の知識や技術でさまざまな謎を解明することに興味があります。脊髄損傷と脳卒中の間にも共通項があるかもしれないし、精神疾患の病気もスペクトラム(境界が曖昧で連続的)という認識が語られるようになっています。そうした病態を横串で貫けるメカニズムを見つけることが大事だと考えています」

1990年代まで学会でほとんど認知されていなかったグリア細胞だが、いまや脳神経系の学会ならセッションの10パーセントを占めるほど注目を浴びているそうだ。
「しかし、グリア細胞には知られていない種類がまだまだあります。脳内の特定の領域にしか存在しないユニークな細胞群もあるので、今後はそちらの研究も進めていきます。さらに、脳には細胞以外の物質もあります。たとえば脳の総体積のうち1割近くを占めている細胞外スペースにある『細胞外マトリックス(ECM:Extracellular Matrix)』。ヒアルロン酸やコラーゲンもそのひとつですが、ECMは300種類以上あるといわれていて、脳における役割についても研究はこれからです。それを新しい技術で調べてみるのもおもしろそうですね」

最後に、研究に興味をもつ若い人たちにメッセージをお願いすると「Follow your gut!」という言葉が返ってきた。
「とにかく自分の直感に従って、行きたい方向に進んでほしいと思います。今回の研究では2つの競合ラボから論文が出たおかげで、結果的にアストロサイトとエングラムについての研究が国際的に注目されることになりました。研究者同士は厳しい競争だけど、サイエンスの世界では共創できたわけです。大学受験も競争かもしれませんが、他人との勝ち負けより自分の中で困難を乗り越えて納得できる成果が出せれば、それでいいと思います」

小さいころからコンクールで切磋琢磨してきた先生だが、本当にピアノが楽しいのは家族や友人と合奏するときだという。演奏の楽しさと同様に、研究の厳しさも喜びも、少しずつ思い出の1ページに刻まれていくのだろう。

ラボメンバーとともに

(2026年2月25日更新)