この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第3回 組織工学の手法で、気管再生に取り組む ハーバード大学 組織工学・再生医療研究室 小島宏司 准教授

この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第3回 組織工学の手法で、気管再生に取り組む ハーバード大学 組織工学・再生医療研究室 小島宏司 准教授

Profile

小島宏司(こじま・こうじ)
聖マリアンナ医科大学大学院卒業、同大学病院および国立療養所中野病院で研修医。1997年 聖マリアンナ医科大学病院呼吸器外科医長。1999年にバイオ気管の研究をめざし、渡米。マサチューセッツ州立大・チャールズ・バカンティ教授のもとで、気管再生の研究に取り組む。2002年5月、羊の鼻の軟骨からのどの気道を再生させ移植することに世界で初めて成功。2004年より、ハーバード大学医学部組織工学・再生医療研究室ディレクター。

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自分の細胞を培養して、人工材料や生体由来材料と組み合わせて人工臓器をつくれば、拒否反応もおきず、移植を待つ多くの患者さんを助けることができる。そんな組織工学の最先端の研究をめざして、小島先生は、単身、アメリカでの研究生活に飛び込んだ。いったいどんな生活が待っていたのだろう。

見聞きしたことをすべてノートにとって勉強した

───なぜお医者さんになったのですか?

小さなときから昆虫を捕ったり、動物を捕まえるのが得意で、いろいろな動物の解剖をしたり、産卵させて孵化するのを見たりするのが好きだったんです。その延長線上で外科医になりたいと思っていたんです。

───というと、中高校生のころは、猛勉強したのですか?

いや、それがほとんど勉強はせずに、遊びまくっていました。家族や先生にはずいぶん心配をかけたと思います。大学に入ってからも、それほど勉強した記憶がありません。本当に勉強をしたのは、研修医として患者さんに接するようになってからです。この頃から、人が変わったように勉強しましたね。

───何かきっかけがあったのですか?

医学部に入ると、将来どんな分野の医師になるか決めなければなりません。私は呼吸器外科を選びました。専門が決まれば、その専門分野だけ知っていればいいかというとそうじゃないんです。たとえば肺がんの患者さんが糖尿病や白内障などいろいろな病気にかかっている場合があります。一人の患者さんと深くつきあうためには、呼吸器外科の知識以外に、いろいろな分野について詳しくなければならない。いくつもの病気を併発している患者さんを手術して救うためには、勉強するしかないと考えたからなんです。
それと、もうひとつ、私が師事した長田博昭教授(聖マリアンナ医科大学名誉教授)の影響も大きいですね。先生は学会で最先端の情報を吸収することに熱心な方で、そのときにおまえのためになるからと、必ず私を連れて行ってくれました。 朝から晩まで学会で過ごしまして、遊ぶ暇などありませんでしたね。論文もたくさん読まされたし、学会での発表方法から質疑応答に対する内容まで、このときにマンツーマンで徹底的にたたきこまれたのです。 それは呼吸器外科の入局者が僕一人だったこともあると思いますが、その意味ではラッキーでした。そして、私自身、アメリカに来る前の5年間は、年に10−15回、学会で発表していました。まだ5、6年目だったので他の偉い先生と議論するために、必死で勉強したわけなんです。

───厳しい先生だったのですね。

長田教授からは、たくさんのことを学びました。すでにほかの外科医と比べると私は3−4年目には術者として肺がんに対するたいていの手術術式を経験していました。とはいえ、手術はいつも教授や先輩に手伝ってもらっていました。不安になったときは確認できるのです。
あるとき肺を切除する大きな手術があったのですが、私と医師になりたての研修医に向かって、教授は「私はこれから教授会があるから、君たちで先に手術を始めてください。すぐ戻ります」と言って、手術室を出ていってしまいました。すでに一度経験したことのある手術だったのですが、念のため手順を確認しました。先生は快く教えてくださいましたが、その晩食事をしながら「小島くん、今朝のあれはないだろう。自分がこの目で一度見た手術のことは、絶対に二度聞くな、君は外科医なのか?僕は一度も見たことがない時代に一生懸命勉強したり、聞いたりして努力してきた。今回の手術は、君には一度見せたはずだぞ」と厳しく言われました。
こんな経験から、どんなに急に手術が必要になってもそれに全部一人で対応できるようにしなければならないと考え、あらゆることをノートに書き留めるようにしたんです。手術する際の患者さんの体の位置、どの針をどの位置でどんな風に刺したのかなど、絵に描いたりしながら、すべてをノートにとりました。優れた技術を持っている先生の手術や、見学に出向いた有名な病院での治療法、また手術の方法だけでなく、患者さんへの手紙の書き方まで、私のノートには実にたくさんの重要な事柄が書き込まれていきました。
ノートをとり始めて1年くらいたつと、医師として大切なことが次第にわかってくるようになりました。ノートは何十冊にもふくれあがりましたよ。

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