フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」 第8回 ニューロンの情報伝達の仕組みとは 科学技術振興機構ERATO岡ノ谷情動情報プロジェクト 黒谷 亨研究員インタビュー 基礎から応用への段階に入ってきた脳研究

フクロウ博士の森の教室 シリーズ1 生命科学の基本と再生医療

第8回 脳と情報伝達

基礎から応用への段階に入ってきた脳研究

科学技術振興機構 ERATO岡ノ谷情動情報プロジェクト
黒谷亨研究員 インタビュー

profile

Profile

黒谷 亨(くろたに・とおる)
1959年東京生まれ。83年東北大学理学部生物学科卒業。大阪大学大学院基礎工学研究科を経て1987-2000年京都府立医科大学第二生理学教室助手、専任講師。2000-06年名古屋大学環境医学研究所専任講師。06-09年理化学研究所脳科学総合研究センター研究員。09年科学技術振興機構ERATO岡ノ谷情動情報プロジェクト研究員。著書に大学の一般教養課程程度の学生向けに著した「絵でわかる脳のはたらき」(講談社)。

ここ数年、脳についての関心は高まるばかりだ。テレビのクイズ番組などを通じて断片的知識ははんらんしているけれど、さて、では脳の中で情報はどんな仕組みで伝わっているんだろう? 長年脳のシナプス伝達の研究を続けてきた黒谷さんに、情報伝達の仕組みと、脳研究のおもしろさ、今後の進展が期待される脳の研究分野についてお伺いした。

ゾウリムシの神経細胞の研究からはじまった

───脳の研究に入られたのはどんなきっかけからですか。

私は、もともと電気生理学に興味がありました。
電気生理学というのは、神経や脳、筋肉、心臓などの組織や細胞を、電気的な性質や生理機能の面から研究する学問です。大学4年生のとき植物生理学の教室に配属され、そこで本格的な電気生理学の面白さに出会って、強く惹かれました。大学院のときには、単細胞生物のゾウリムシを対象にして、外部からの刺激がどんなふうに受け取られるのか、つまり、ゾウリムシの細胞内情報伝達・処理の研究をしていました。これがとてもおもしろかった。実験してみるとゾウリムシだって記憶があるんですよ。彼らは、飼育されていた温度を覚えていて、その温度を快適だと感じるようなんです。細胞1個分の体しかないゾウリムシにすら、外部からの刺激に適応して生き延びようとするメカニズムが備わっているのは驚くべきことです。電気生理学を使って、その仕組みを解明する研究をするうちに、やはり究極的な目標としては、脳細胞がたくさん集まった多細胞生物の脳のはたらきを調べる研究をしたいと思うようになっていったんです。

───具体的にはどんな分野の研究をしたのでしょう。

1981年にハーバード大学のデビット・ヒューベル教授とトールステン・ウィーゼル教授が、視覚と脳細胞との研究でノーベル賞を受賞しました。彼らは、生まれて間もない子猫の片方の眼に眼帯をかけて育て、その後どのような視覚の変化が起きるかを実験・観察したんです。すると、ネコの視覚野(目からの情報を処理する大脳の領域)では、眼帯を掛けていた眼への刺激に反応する神経細胞はほとんどなく、開いていた方の眼への刺激に反応するニューロンばかりだったというのです。このことは、幼児期の脳は、外界からの適切な刺激がないと正常に発達できないことを示したもので、脳生理学分野で大きな反響を呼んだものでした。こんなこともあって、80年代半ばには脳と視覚系の研究に注目が集まるようになっていました。
私も、電気生理学と関連づけた視覚野の研究ができないかと思い、その分野の研究室に入ったんです。

───その研究室で印象に残った研究にはどんなものがあったんですか?

むずかしそうな名称ですが「シナプスの可塑性」っていうんです。
「森の教室」でも少し触れましたが、脳の情報伝達は、ニューロンの軸索の終末部から化学物質を送り出し、受け手の神経細胞が、受容体でその物質を受け取ることで成り立っていましたね。
「シナプスの可塑性」とはかんたんに言うと、たくさん使われたシナプスは信号が通りやすくなり、逆にあまり使われなかったシナプスでは信号の通りが悪くなる現象のことで、記憶や学習に関係する海馬の神経回路では、たいへん詳しく研究されています。繰り返し使うことによってシナプスの伝達効率が高まることが、私たちが記憶や学習をするときに必要な、脳内の基本的なメカニズムであると考えられています。
このシナプス可塑性はのちに、海馬だけでなく、脳のいろいろな場所で起こることがわかってきました。子猫の眼帯の実験で、閉じていた目へ光を見せても、それに反応する神経細胞が少なくなっていたのは、視覚野でもシナプス可塑性が働いている証拠です。私はこうした脳の可塑性現象に興味をもって、ずっと研究を続けてきました。

PAGE TOPへ
ALUSES mail