フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」 第12回 神経幹細胞の発現に関係する遺伝子「MUSASHI」を発見! 慶應義塾大学医学部生理学教室 岡野 栄之 教授 インタビュー 中枢神経系の発生と再生の研究を通じて臨床の現場に活かしたい。

ショウジョウバエの研究で神経幹細胞のマーカー「MUSASHI」を発見

───「MUSASHI」というタンパク質の発見は、ヒトの脳細胞にも幹細胞が存在することを証明することにつながったということですが、MUSASHI発見のいきさつをお聞かせください。

いまから20年ほど前のこと、渡米したばかりの私は、アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のプロジェクトに参加して、来る日も来る日もショウジョウバエの遺伝子の研究をしていました。ショウジョウバエを研究するときには、遺伝子に異常をきたした突然変異体(ミュータント)をたくさんつくって、発生過程や成体になったときにどんな変化が現れるかを観察します。そのとき、どんな研究をしていたかというと、ごく簡単にいえば、ショウジョウバエの染色体に入り込んで遺伝子を破壊するP因子というものがあります。このP因子をショウジョウバエの遺伝子に入れて、成長過程でどんな異常が生じるかを観察し、神経系の異常に関係する新しい遺伝子を発見しようとしていたのです。

───いったいどのくらいの数のショウジョウバエを調べるものなのですか?

その研究室のプロジェクトが用意したショウジョウバエのミュータントは約8000匹でした。エレクトロレチノグラムという方法で、ショウジョウバエのからだの中に起こる電位変化を1匹ずつ調べるのですが、1日100匹調べたらもうくたくた。それを80日間ぶっ通しでやらなければならない。慣れない海外生活の上にそのハードワークが続いたものですから3カ月で10kgやせました(笑)。けれども1000系統以上調べてもおもしろい遺伝子はなかなか見つからなかった。それが1989年の12月に興味深い遺伝子を発見しました。それがMUSASHIだったのです。

───MUSASHIは、どんな遺伝子なのか、わかりすく説明していただけますか。

MUSASHI遺伝子について話す前に、細胞がどのように分裂するかから話しておきます。 細胞が分裂(分化)するときには、二つの仕方で分裂します。分裂するとき、まったく同じ細胞になる場合(対称性分裂)と、自分と同じ細胞をつくりながら、もうひとつ別な細胞をつくる場合(非対称性分裂)とがあります。非対称性分裂の代表例が幹細胞です。幹細胞は自分を複製すると同時に、前駆細胞をつくり、その前駆細胞が別な細胞に分化していくのです。

非対称性分裂

非対称性分裂

このことを踏まえて、ショウジョウバエのMUSASHI遺伝子の働きを考えてみましょう。
通常、ショウジョウバエに生えている毛は、1本の毛穴から1本の毛が生えています。これは、細胞分裂するとき「非対称性分裂」をして前駆細胞が「毛」「毛穴」「ニューロン」「グリア細胞」の4つをつくるからなんです。
ショウジョウバエは毛を感覚器官として使っていて、毛が何かに触れると、それが毛穴を通ってニューロンに伝わり電気信号を発生させます。また、グリア細胞は神経細胞の一種でニューロンのまわりにあって、ニューロンを支えています。この「毛」「毛穴」「ニューロン」「グリア細胞」の4つが揃ってはじめて毛が感覚器官の役割を果たし、外の様子を脳に伝えることができるのです。
ところが、MUSASHI遺伝子に異常があるものでは、細胞分裂するとき、「対称性分裂」をしてしまい、ニューロンやグリア細胞の代わりに、毛がもう1本生えてしまって、2本になっていたり、毛が生えていなかったりするんです。このため、毛が感覚器官の役割を果たせなくなってしまうのです。

正常なショウジョウバエとMUSASHI変異体
MUSASHI変異体

MUSASHI変異体は本来1本のところから2本の毛が出ている。毛のバラツキや毛穴だけのものも見られる。

つまり、MUSASHI遺伝子は、正常な毛の感覚器官を生みだすために必要な神経幹細胞に関係する遺伝子ということなんです。その後の研究で、MUSASHIは神経幹細胞の発生・分化を司る重要な遺伝子で、MUSASHIがあるかないかを調べることで神経幹細胞の有無を判断することができる、つまり、MUSASHI遺伝子は、神経幹細胞の目印(マーカー)になるということがわかりました。

───ショウジョウバエだけでなく、哺乳類やヒトの神経細胞でもMUSASHI遺伝子があれば、神経幹細胞があるということになるわけですね。

はい。そこで、私たちは、まずマウスにもMUSASHI遺伝子があることを発見し、さらに「森の教室」でお話ししたように、成人したヒトの神経細胞にも存在することを世界で初めて明らかにしていったのです。

───MUSASHIっておもしろい名前ですが、なぜそんな名前をつけたのですか。

ほら、宮本武蔵という江戸時代の剣豪がいるでしょう。若い人はバガボンドといった方がわかりやすいかな。彼は二刀流を使ったけれど、MUSASHI遺伝子が正常に働かないとショウジョウバエの毛の穴から毛が2本生えてしまう。つまり二刀流というわけなんだ(笑)。

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