フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」 第19回 膵島移植の臨床研究に取り組む 福島県立医科大学 臓器再生外科学講座 後藤 満一 教授 インタビュー

ラットの膵臓から600個の膵島を分離

───医師の道を選んだのはどうしてですか。

小学生の頃でしたか、風邪をひいて何度か開業医の先生に診察してもらったことがありました。慣れてくると、自分から「この症状だったら、この薬がいいでしょ」というと、先生は「よく分かるなあ」と感心してくれました。そんなことで、ずいぶん仲良くさせていただいたんです(笑)。
それから、当時、脳外科医を主人公にした「ベン・ケーシー」というテレビ番組があり、患者さんが劇的に回復している場面を見て、その主人公にあこがれましたよ(笑)。そんなわけで、高校生のときはもう医師になることを決めていました。

───膵臓移植を専門にするきっかけになったのは?

私は1976年に大阪大学医学部を卒業して、79年に研究室に戻ってきたとき、そこでは肝臓移植をテーマにした研究をしていました。当時はまだ肝臓移植は動いておらず、再開へむけての動物実験を繰り返す段階だったのですが、実にチャレンジングなテーマだと胸を躍らせた思い出があります。けれども、肝臓移植の研究は非常に大がかりなチームでなくては行えず、担当の先生方も、留学するなどし、人員が確保できず、いったんその研究は中断いたしました。
そこで、少人数でも研究ができる膵臓の移植を志しました。膵臓移植の中でも膵臓の内分泌機能、血糖制御の研究をテーマにして研究を続けていました。ただ、膵臓移植はまだ実験レベルだったし、膵島移植についても日本では研究できなかったですね。

その後、アメリカのハーバード大学に留学した際、モナコ教授のもとで膵島移植の研究をするようにとの課題をいただいたのです。当初は、分離も難しかったのですが、新しい分離法を開発し、ラットの膵臓から600個の膵島が得られるようになり、一挙に研究が展開しました。膵島を長期に生着させる免疫抑制法の基礎研究も随分やりました。

アメリカから帰国して肝臓移植の実験をスタートさせるとともに、膵島の臨床医療を手がけようと思っていましたが、世界的に成績が今ひとつで、踏み切れませんでした。そんなことをしているうちに、2000年にカナダ・エドモントンのアルバータ大学により考案された免疫抑制剤の組み合わせと短期に複数回の移植を行う方法は、移植後の膵島細胞の生着率を著しく向上させることが明らかになり、「エドモントンプロトコール」と呼ばれ、これに基づく膵島移植が全世界で行われるようになりました。日本でもこのプロトコールを利用した膵島移植の臨床研究が2004年に始まり、2007年まで実施されました。その後、さらに改良されたプロトコールができており、それには私がアメリカで研究していた抗体療法と同じ種類のものが使われています。2012年から再開した高度医療下の膵島移植ではこの薬が使われます。これまで行った基礎研究の成果が臨床に生かされると思うと、感慨深いものがあります。

───中・高校生にメッセージをいただけますか。

高校時代はハンドボールに夢中でしたね。勉強だけでなく身体も動かすことが大切ですよ。それと、チャレンジ精神をもってほしい。なにかロマンを持って、それを達成するための努力を続けてほしいですね。私の経験でいうと、ロマンを持てばいつか、それに近づくことはできると信じています。

(2012年8月15日取材)

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