フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

学際的なアメリカの研究システムに驚く

───アメリカに留学したのはなぜですか。

博士課程を修了したあと81年頃に出したポリマーに関する論文をユタ大学のキム先生が読んでくれて、ユタ大学で研究しないかと声をかけてくださったんです。その頃ユタ大学では世界で初めて人工心臓を使った治療を行っていたのですが、脳や腎臓などに血栓ができて、血流に乗って抹消の細い血管を詰まらせてしまうという問題を抱えていました。私の論文は抗血栓性の材料に関係するものでしたからキム先生の関心を引いたのだと思います。
私も、日本の中にいてみんなが同じ発想で研究を続けていても新しいものは出てこないと思っていましたから、喜んで渡米することにしました。

───そこでどんな研究をしたのですか。

キム先生は薬学部だから私も薬学部で研究を始めました。その頃、薬学研究では治したいからだの場所に、薬を運んで治療するドラッグデリバリーシステムが盛んになっていて、私も日本人の研究者と抗がん剤を皮膚からからだに入れる研究をしたりしていました。それと同時に、これは「森の教室」でお話しした「温度応答性培養皿」にも関係してくるのですが、温度に応答して水への溶解度が変わる「温度応答性のハイドロゲル」の研究を始めたんです。

───アメリカの研究生活で印象に残ったことがありますか。

アメリカに行っていちばん勉強になったのは、研究分野を狭く捉えないで教えていることでしたね。たとえば、半導体を研究している物理畑の人に、生命科学や高分子化学を教えているわけです。日本では考えられないことなので、ある日教授に「そんなことに意味があるのか」と尋ねたんです。

そうしたら、「われわれは21世紀の、人類未来のライフサイエンスのフィールドを耕そうとしているのだ。従来の教育と同じ教育をしていては私たちのコピーをつくることしかできない。その限界を乗り越えられる人間をつくるためには、われわれが教育されなかったコンセプトとテクノロジーを教えるべきだ」と言うのです。
実際、それから10年たつと、アメリカの研究者は半導体と遺伝子を組み合わせた遺伝子チップを開発しだした。日本では考えられないことでした。

───アメリカに残って研究生活を続けようとは考えなかったのですか。

最初はそう思って、アメリカに家も買ってあったんです。その頃、東京女子医科大学と早稲田大学の理工学部が連携した研究施設(先端生命医科学研究所の前身)の助教授に就任しないかという話が持ち上がって、最初はお断りしていたのですが、片岡先生が「医学と工学を結びつけた研究施設が日本にも誕生して、これは国の財産でもある。日本に帰ってくるべきだ」と、熱心に誘ってくれたことなどもあって、日本に戻ってきました。

それから先端生命医科学研究所の設立に携わることになったわけですが、ぜひアメリカでの体験を活かして、幅広い分野から人材を集めようと考えました。異分野の人たちを集めることによって、医療の世界に21世紀のブレイクスルーを起こしたい、そう決意したわけです。

───今、その思いが実現し始めているということでしょうか。

ええ、この研究所には、循環器専門の医師、分子生物学の研究者、歯科医、人体工学など、さまざまな分野の人たちが結集して研究を進めています。いままで医学や工学単独ではできなかったことを、先生と学生、研究者が一体となって取り組む体制づくりができてきたように思います。20世紀にはなかったような科学技術の基盤づくりをここからつくりあげていって、たとえば将来、心臓や腎臓、すい臓などの臓器をつくるなど、再生医療の発展に尽くしたいなと思いますね。

細胞シートの積層化の技術の発展により、今後の多面的な医療への応用が期待されている

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