フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

障害者に触れ合った経験からリハビリ医学に

───里宇先生は、なぜリハビリテーション医学の道を選んだのですか。

大学の医学部の5年生くらいになると、神経内科、小児科、整形外科、循環器科、呼吸器科など、いろいろな科を回って勉強するのですが、どの科に行っても、運動、動きという観点から見るととてもおもしろいのです。
だから、たとえば神経内科に行ったときにはこの科に入局しようと思うのですが、でも、神経内科を専門にすると小児科も循環器内科も整形外科も専門にできない。それで悩んでしまいました(笑)。
そこで、ある領域を専門にするのではなく、動きという観点から横断的に関われる科がないかと考えてみたのです。そうして浮かび上がったのがリハビリテーション科でした。リハビリテーション医学は、運動障害をきたす疾患や外傷を対象としますが、臓器・疾患別でなく、先にお話ししたように運動障害をシステムとして捉えるのです。

───当時もリハビリテーション科は注目されていたのですか。

いいえ、私が大学に入学した今から40年ほど前には、まだ大学にリハビリ科があるのは3大学くらいしかなく、慶應義塾大学にもリハビリ医学の授業はありませんでした。そんなわけですから、父は内科医でしたが、「リハビリを専門にしたい」というと、「わざわざ医学部に入って、いったい何を考えているのか」と、ずいぶん驚いていました。
けれども、私はある枠に限定された学問をやるよりも、枠にとらわれず、まだ確立していない医学・学問なら、やれることはたくさんあるはずだと感じて、リハビリ科を選んだのです。それと学生の頃に、ボランティアで障害を持った人と触れ合う経験をして、障害に悩んでいる人のお役に立てたらという気持ちもありました。
リハビリテーションの領域なら、あまりしがらみを持つことなく、自分の力で切り拓いていけるという点も大きな魅力でした。

───それからどんなふうにリハビリテ―ション医学を学んでいったのですか。

医学部を卒業するとき、慶應義塾大学にはまだきちんとしたリハビリテーション医学講座もないし、すぐにアメリカに留学しようと考えたこともあったのですが、日本でこの分野でのパイオニアになるのもいいなと思い5年間、米国でリハビリ医学を学んで来られた先輩のもと、日本で研修を続けました。
その後、1984年に米国ミネソタ大学に留学しましたが、自分が学んできたリハビリのレベルとそれほど大きな隔たりは感じませんでした。ミネソタ大学のレジデント(研修医)より多くのことを知っていたので、チーフレジデントを任されました。
当時はまだ、大人になってからの脳は一度壊れたら元に戻らないというのが生物学の常識であり、アメリカでのリハビリも残った機能を最大限に活用することを目的として行われていました。
日本に帰ってきて、90年代になると、脳は再生可能という考え方が普及するようになり、2000年代になるとリハビリにおいても脳の可塑性を高め、身体の機能を回復させるための研究が始まり、文部科学省の脳科学研究戦略推進プログラムによって、BMIとリハビリの研究がさらに大きく進展したわけです。

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