フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

アメフラシの長期記憶に関係する遺伝子を採る

───その後、アメリカで記憶の分子メカニズムの研究に取り組むことになるわけですね。

いろいろ文献などを調べるうち、のちにノーベル賞を受賞するアメリカ・コロンビア大学医学部のエリック・キャンデル教授の「近い将来、記憶のメカニズムが分子の働きから明らかにされるだろう」という論文が、『ネイチャー』という学術雑誌に掲載されていたのを見つけました。
ぜひキャンデル教授の研究室に入りたいと考え、日本で有名な大脳生理学者の先生を訪ねて推薦状をもらいに行きました。ところが、その先生に「脳の研究はそんなに簡単なものではない。遺伝子から脳の記憶や脳の機能が分かるはずがない」と、断られてしまったんです。
そこで、長期記憶でオンになる遺伝子を採るにはこうしたらいいという具体的な実験方法を盛り込んだアプリケーションレター(志願書)を書き、キャンデル教授に送りました。ダメでもともとと考えていたのですが、驚いたことに2週間ほどで教授から「私のラボに来なさい」という手紙が届きました。当時は電子メールなどという便利なものはありませんから、教授は私の志願書を見てすぐに返事を書いてくれたのでしょう。
後で分かったことですが、教授は長期記憶に必要な遺伝子を採りたいと考えていたのですが、教授のラボの研究者はみんな生理学者なので、分子生物学ができる研究者を探していたらしいのです。
その後、推薦状を書いてもらえなかったその高名な先生にキャンデル教授の研究室に採用されたと報告に行くと「まさか、脳科学をやったこともないキミが採用になるとは思わなかった」と驚いていましたね(笑)。

───日本で記憶の分子メカニズムの研究に取り組むということは考えなかったのですか。

そのころ私は日本の分子生物学分野ではそれなりの地位を築いていました。そのまま日本で脳科学の研究を続けるという選択肢ももちろんありましたが、それでは、脳科学研究がうまくいかなかったとき、元の分子生物学研究に簡単に戻ることができる。それでは脳科学研究を極めることができないのではないか、米国に渡ることによって退路を断とうと考えたのです。

───キャンデル教授のもとでは、どのような研究に取り組んだのですか。

アメフラシが長期記憶をする際にどのような遺伝子の発現が誘導されるのか、その遺伝子を探す研究をしていました。当時、どんな遺伝子が関与しているか全く分かっていなかったのです。アメフラシは海中にすむ体長20~30㎝ほどの軟体動物で、ニューロンが2000個くらいしかなく、しかもニューロン1個の大きさが0.5㎜もあり肉眼で見えるんです。初めて見たときにはびっくりしましたね(笑)。
アメフラシはエラ呼吸をする生物で、外敵がアメフラシの体に攻撃を加えようとすると、大事なエラが損傷されないようにエラを引っ込める動作をします。アメフラシの頭を軽く棒でつつくと最初はエラを引っ込めるけれど、何回もやっているとそれ以上の危害は加えられないと学習してエラを引っ込めなくなります。けれども思い切り強く棒で頭をたたくと、今度は他の部位に触っただけでもエラを引っ込めるのです。
こうしたアメフラシの学習・記憶にはニューロン間のシナプスの伝達効率が強くなったり弱くなったりすることが関わっているのですが、私の研究はその時に発現した遺伝子を採ることでした。
キャンデル教授のラボで2年半その研究を続け、成果を出すことができ、1997年に『セル』という学術雑誌に研究成果が掲載されました。


キャンデル教授とともに

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