フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

脳機能研究は21世紀に残された科学の最後のフロンティア

───先生の最近の研究について聞かせてください。

高校生のころ、「人間って何だろう」ということに関心を持っていたとお話ししました。今でもその問題意識は持ち続けていて、記憶についての研究がその疑問に対する一つの答えを用意してくれると思っています。
人間の大きな特徴として、知識や概念を形成していくことがあげられます。その知識や概念を形成するためには一つひとつの記憶を連合させることが必要です。たとえば動物という概念がどのように形づくられていくかを考えてみると、「イヌのように足が4本で動く生き物は動物」、「カラスのように羽があり、空を飛ぶ生き物も動物」といったいくつもの経験、記憶が関連付けられて、「動物とはこういうもの」という知識、概念が形成されるわけです。こうした知識や概念を基に、より高次な精神活動などが営まれるのではないでしょうか。「人間とは何か」の問いに答えるためにも、どのようにして記憶が連合していくのか、そのメカニズムを探る研究に取り組んでいます。

───具体的な研究例を教えてください。

本編でも触れたように、私たちの記憶は特定のニューロンのセットが「記憶痕跡(エングラム)」として脳内に蓄積されていて、そのニューロンのセットが刺激を受けて活動すると記憶が想起されます。ある記憶はAというニューロンセットに、別の記憶はBというニューロンセットに記憶痕跡となって蓄積されるのです。
たとえば、マウスを四角い部屋に入れてその場所を記憶させたあとに電気ショックという恐怖体験をさせると、四角い部屋と恐怖体験を結び付けて覚え、四角い部屋に入れただけで高い恐怖反応を示します。一方、丸い箱に入れたあと、四角い部屋で電気ショックを与えたときは、丸い箱と恐怖体験は連合していないため、丸い箱に入れただけでは恐怖反応はあまり示しません。それぞれの場所での記憶が、独立した記憶として蓄えられているわけですね。

さて知識や概念のもとをつくる仕組みを探究するためには、異なった記憶同士が連合して質的に異なる新たな記憶を形成するメカニズムを理解する必要があります。そこで私たちは、独立した2つの記憶を人工的に連合させ、新たな記憶を構築・再現することができるかの実験にチャレンジすることにしました。そこで採用したのが光遺伝学という手法です。

───光遺伝学というのはどんな実験ですか。

遺伝子導入によって特定の波長の光をあてると活性が変化する「チャネルロドプシン2(ChR2)」などの分子を発現させることで、狙った細胞の機能を光で制御する方法です。神経細胞にChR2を発現させると、光をあてることで、人為的に神経細胞の活動を誘導できるのです。
先ほどお話しした四角い部屋での電気ショックの記憶と丸い箱の記憶を持っているマウス(アン・ペア群)がくつろいでいるときに、海馬と扁桃体に刺した光ファイバーを通じでレーザー光を2分照射することで丸い箱での記憶のニューロンセットと、恐怖体験の記憶痕跡を同期活動させてみました。するとマウスは、電気ショックを受けなかったはずの丸い箱でも、恐怖体験を思い出して怖がるのです。つまり、別々の記憶が連合して偽の記憶が形成されたので恐怖を覚えたわけです。

───この実験が持つ意味を教えてください。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)や統合失調症などの精神疾患は、記憶の蓄え方、連合の仕方が異常になっている場合が多いのです。統合失調症では、関係のない記憶が結び付いてストーリーをつくって妄想や幻覚、幻聴などに悩まされる人が多い。記憶のメカニズムを解き明かして、根本的な理論からこれらの精神疾患の患者さんの治療にあたれば、画期的な治療ができると考えています。

───記憶を研究対象にする醍醐味は何でしょうか。

研究一般についていえることですが、実験データを見て我々の仮説が正しいと分かったときには、世界中70億人の誰も知らない、我々だけしか知らない世界がここにある、こんな楽しいことがほかにありますか(笑)。
それと記憶の研究に関していえば、脳研究の中でも記憶の研究が一番進んでいて原理的なことから分かっています。その最前線で研究に取り組んでいるということは、脳の機能について自分たちが明らかにしているという実感がありますね。
脳科学はまだ未開拓で、21世紀に残された科学の最大のフロンティアだと思います。

───中高校生にメッセージがありましたらお聞かせください。

エジソンにこんな言葉があります。彼が白熱灯を発明したとき、1万回実験に失敗して1万何回目かに成功しました。新聞記者が「1万回も失敗したのにあきらめなかったのですか」と質問したところ、エジソンは「1万回失敗したということは、できないという方法を1万回、一つずつ潰したということだ。あとには成功する方法しか残らないじゃないか」と答えたというのです。
中高校生には、あきらめないで好きなことを続けてやってほしい。成功する人と成功しない人の差は、あきらめないで挑み続けるかどうかなのです。

(2015年6月3日取材)

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