フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

パックス6遺伝子と自閉症

───先生が研究しているパックス6遺伝子と自閉症との関係について、もう少し詳しく教えてください。

本編でもお話ししたように、自閉症には現在800ほどの遺伝子が関係していると考えられています。パックス6も自閉症に関係する可能性がありますが、自閉症遺伝子としては決してメジャーな遺伝子というわけではありません。しかし、パックス6は脳の領域形成や神経幹細胞からニューロンの産生などにかかわりがあり、ヒトの遺伝学的な解析から自閉症にも関係があることがわかってきたのです。
人間には「虹彩」部分(いわゆる黒目部分)がない「無虹彩症」(Aniridia)という先天異常があります。無虹彩症の患者さんの中には、さらに腎臓の腫瘍(Wilms Tumor)、泌尿生殖器異常(Genito-Urinary Anomalies)、精神発達遅滞(Mental Retardation)などの疾患を併発する場合があり、このような症例は各疾患の英語の頭文字をとって「WAGR症候群」と呼ばれています。
精神発達遅滞は発達障害の一つであり、自閉症に合併する場合もあります。実際、WAGR症候群の患者さんの場合も、20%以上が自閉症を示すことが報告されています。そして、WAGR症候群の患者さんには染色体の一部に欠損があり、この欠損した領域を調べたところ、パックス6の遺伝子座が見つかったのです。

WAGR症候群患者にみられる染色体の異常
11番の染色体の短いほうで、p11.2とp13(矢印部分)に欠落が見られる
(Kyung Sun Minらの報告による)
Korean J Pediatr. 2008 Dec;51(12):1355-1358 より

───パックス6遺伝子の異常があると、脳にどんな影響が出るのですか。

私たちが父方と母方から一つずつ受け継いだ、一対の遺伝子のうち、片方だけが変異していることを「ヘテロ接合」、両方とも変異していることを「ホモ接合」と言います。ラットの脳形成の実験研究で、パックス6遺伝子の変異をホモ接合として有している場合、つまり、パックス6遺伝子が全く働かない場合には、野生型に比べて大脳皮質の厚みが非常に薄くなってしまいます。そして、視床から大脳皮質への神経回路がつくられず、小脳も小さくなり、脳の機能に重大な影響が出ると考えられます。このパックス6ホモ接合個体は出生直後に死亡します。

───死亡しなかったラットに行動異常は起こるのですか。

一方、パックス6遺伝子変異をヘテロ接合として有するラットは、普通に飼育している場合には、特段動きに異常が見られることはありません。交配して仔ラットも生まれます。けれども、特別な行動解析テストを行うと、攻撃性の増加、引きこもり傾向、母子分離超音波発声の低下、興味が限定されるなど、野生型とは異なる行動異常が明らかになりました。
これらの行動異常は、自閉症の3つの中核症状、「社会性の発達の障害」「コミュニケーションの障害」「常同行動(興味の限定)」に対応しており、また、自閉症に現れることの多い感覚異常や記憶・学習の低下なども観察することができました。

───自閉症の原因に遺伝子の異常があるとすると、親から子に遺伝するのですか?

多くの人が誤解しているのですが、「自閉症が遺伝子の異常によって起きる」ことと「親から子に遺伝する」こととは必ずしも同じではありません。親の遺伝子異常がそのまま子に遺伝することもありますが、親が異常なのに子どもに異常がなく、親が正常なのに子どもの遺伝子に異常が起きることもあるのです。
そして、脳の発生発達に際して遺伝子がどんな働きをしているかについて、まだ多くの謎が残っています。だから、「自閉症はこの遺伝子によって引き起こされる」といった断定的な言い方をすることはできないのが現状です。
もちろん、遺伝子異常と自閉症について研究することは非常に意義のあることです。男児のX染色体の異常によって起きる「脆弱性X症候群」や、多くの場合女児に起きる「レット症候群」などの自閉症を伴う症候群が、遺伝子の異常によって起きることが解明されて以来、この分野の研究は世界中で続けられています。遺伝子レベルで自閉症の解明が進み、薬剤の開発や治療法の発見につながっていくことが期待されています。

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