この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第2回 私たちが種をまいた網膜再生の研究をいまの中高生の世代に花開かせてほしい。独立行政法人理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チーム チームリーダー 高橋政代 氏

アメリカの研究所で自由な研究生活を送る

───医学部に入ってからは、研究づけの毎日だったのですか?

それがまた、そうじゃなかった(笑)。 大学に入ってからは、テニスに夢中になったの。京大の医学部のテニス部は医学部のテニスの全国大会があるといつもベスト8に入るくらい強かった。練習はハードだったけれど、とても楽しくて、大学時代はずっとテニスコートにいたような気がします。でも、テニス部にいて猛練習に明け暮れたおかげで根性は鍛えられましたよ。
医学の勉強に本腰を入れるようになったのは、自分の専門分野として眼科を選んでからですね。何のために学問をするのかという目的意識が明確になったんです。「自分は眼科医として患者さんの眼を治したい」という思いが、研究に情熱を注ぐモチベーションになりました。

───医学部を卒業してからは、どのようにされていたのですか

当時京大眼科では、一人前の医者になるには、大学院で4年、留学で2年、臨床に4年の10年かかるといわれていて、私は京大で大学院生活を送ったのち、今から10年ちょっと前、アメリカのカリフォルニアにあるソーク研究所に留学しました。
ソーク研究所では神経幹細胞という新しい分野の研究を始めていました。それまでは、からだの中で脳、脊髄などの中枢神経系は一度損傷を受けると再生できないといわれていました。眼は脳の神経の先端部分でもあるので、中枢神経が再生できないということは網膜などの再生もできっこないと考えられていたわけです。けれども、ソーク研究所のゲージ博士が、大人の脳にも神経幹細胞が存在し、新しい脳細胞を生み出していることを発見したことで、網膜の再生医療に光が差してきたんです。私はそれまで網膜の臨床を中心にしていたので、神経幹細胞分野の先端の研究を応用することができるのではないかと考えました。

───アメリカの研究所の雰囲気はどうだったんですか

すごく自由な雰囲気でした。私の研究室は主に脳の研究をしていたのですが、私が網膜の研究をしていても、いわば放し飼い状態で、結果を出せば何も言わない。枠をはめられずに自由に研究することができました。もともと京大の眼科自体も自由な環境で、私はかなり言いたいことを言うので、「自由に育てられたのですね」って、他の大学の先生からからかわれましたよ(笑)。

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