この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第2回 私たちが種をまいた網膜再生の研究をいまの中高生の世代に花開かせてほしい。独立行政法人理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 網膜再生医療研究チーム チームリーダー 高橋政代 氏

万能細胞を使って網膜の再生に取り組む

───いま、専門にされている研究の内容を教えてください

ひとことで言うと、網膜を再生する研究をしています。
網膜は、みなさんがものを見るときにとても重要な働きをしている器官です。目に入ってきた光は、透明な角膜(黒目のところ)を通って、眼球の内側にある網膜で受け取られます。網膜は500ミクロンくらいの薄い膜で、脳とは神経でつながっていて、脳の出っ張った部分と考えてよいでしょう。網膜には視細胞がぎっしりつまっていて、視細胞で光は神経信号に変換されて、最終的に脳の中枢に情報が伝わり、映像となって認識されるのです。

眼球の構造

眼球の構造


───この網膜を構成する視細胞が傷ついたり、機能が失われたりすると、目が見えなくなったりするわけですか?

目の病気にはいろいろあって、角膜から硝子体までの光の通り道が濁ってしまう病気、たとえば白内障などは治療ができます。でも、網膜剥離や網膜色素変性など、網膜の機能がいったん損なわれてしまうと、視力が大幅に低下したり、失明してしまいます。視細胞は元に戻ることはないため、これまでは有効な治療法がないとされてきたわけですね。
でも、どんな細胞にもなれる可能性を持った万能細胞から、視細胞や網膜神経部のすぐ外側にある色素上皮細胞をつくって移植すれば、網膜機能は再生すると考えられるようになってきました。私たちは、万能細胞から網膜の病気の治療に必要な視細胞や色素上皮細胞を多量に得る方法を確立すること、そして、これらの細胞を移植して、神経回路が機能するよう誘導する研究をしているのです。

万能細胞:からだの中のあらゆる細胞になる能力を秘めた細胞。受精卵から作るES細胞と、皮膚の細胞などに遺伝子を入れてつくるiPS細胞がある。
(万能細胞については、「フクロウ博士の森の教室」第3回でくわしく取り上げます)

───研究はどのくらい進んでいるんですか。

網膜の病気には様々ありますが、その中で網膜色素上皮の病気と視細胞の病気を対象にしています。いま、最も研究が進んでいるのは、このうちの網膜色素上皮です。科学的な研究はほぼすんでいて、サルを使った前臨床研究まできている段階です。あとは、人間の目を治療する場合にどんな手順でやればいいのか、どう安全性を確保すればいいのかなどを、厚生労働省と相談しながらすり合わせて、ヒトを対象とした臨床研究に移っていくということになっています。
けれども、視細胞の場合には、まだ科学的に詰めなければならない問題も残っています。たとえば、万能細胞から視細胞を作って移植するときに、純正な視細胞だけ選んで移植しないと、目のところに毛が生えたり腫瘍ができたりしかねないわけです。いまの段階ではこの純正な視細胞だけを得る技術が確立していないのです。

サルのES細胞からつくられた六角形の網膜色素上皮細胞(「Nature Biotechnology」2008年掲載の論文(26:215-224ページ)より)

サルのES細胞からつくられた六角形の網膜色素上皮細胞(「Nature Biotechnology」2008年掲載の論文(26:215-224ページ)より)


───たとえば、網膜色素上皮細胞の臨床研究がすんで、人間の治療に応用された場合、すぐに目が見えるようになるのですか。

いえ、ともするとそういう期待を抱かれる人が多いけれど、残念ながら今の段階では、まったく見えなかった視力が光を感ずる程度にしか回復できません。網膜は再生できないと約1世紀にわたっていわれてきて、やっと最近になって網膜も再生が可能とわかったわけで、完全に目が見えるような再生治療ができるのはもっと先の話です。
田中幹人さんも「iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか? 」(日本実業出版社)の中でおっしゃってますが、飛行機で空を飛ぶのと同じことなんです。最初は飛行力学の原理ができて、人間でも空を飛べると考えられるようになり、1903年にライト兄弟がわずかな距離だけれど実際に空を飛んでみせた。一般の人が飛行機に乗って旅行などに利用されるようになるまでは、長い時間が必要だったわけですからね。
網膜の再生は、私たちの世代が第一歩としてその種をまき、いまの中高校生の世代の研究者・技術者が20年、30年かけて完成させてくれると期待しています。そういう意味で、中高校生は網膜再生研究の“金の卵”ですよ。

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