この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第6回 新しい発見は、絶対見つけたいと思う研究者に微笑んでくれる。 京都大学再生医科学研究所 再生増殖制御学分野 瀬原淳子 教授

この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第6回 新しい発見は、絶対見つけたいと思う研究者に微笑んでくれる。 京都大学再生医科学研究所 再生増殖制御学分野 瀬原淳子 教授

Profile

瀬原淳子(せはら・あつこ)
1953年、京都に生まれる。76年京都大学薬学部卒。78年同大学大学院薬学研究科修士課程修了、82年同大学院医学研究科博士課程修了。81~83年在学中にスイス チューリッヒ大学分子生物学研究所留学。84~87年癌研究会癌研究所生化学部嘱託研究員・日本学術振興会がん特別研究員。発がん物質誘導型遺伝子の転写制御機構を解明する。88~98年国立精神神経センター 神経研究所遺伝子工学研究部室長。メルトリンα、β、γの同定に成功する。98~2000年東京都臨床医学総合研究所 細胞生物学研究部門室長。2000年京都大学再生医科学研究所 再生統御学研究部門教授。医学博士。専門は分子生物学・細胞生物学・発生生物学。

profile
生物の発生・形成にマムシなど猛毒を持ったヘビ毒に似たタンパク質が関係している!? こんなユニークな研究を手がけているのが瀬原淳子教授だ。メルトリンというそのタンパク質は、細胞と細胞の間で交わされるコミュニケーションにも関わっているという。少女時代は「虫愛ずる姫君」だったという瀬原先生の、研究生活を語っていただいた。

少女時代は「虫愛ずる姫君」。チョウの採集に熱中

───どこで子ども時代を過ごされたのですか。

いまは世界遺産に登録されましたが、京都の下鴨神社の近くで育ったんです。当時はまだ自然も豊富に残っていました。私はすごくムシが好きで、バッタやセミを捕まえるのは得意でした。特にチョウは目がなくて、あまり夢中になって追いかけたため熱射病になったほど。熱射病にかかってもうわごとで「あ、チョウチョが飛んでいる」って(笑)。なかでも、ヒョウモンチョウ(豹紋蝶)は羽にいろいろなパターンを持ったチョウですが、これを採集して標本をつくったりした。

下鴨神社境内にて(小学校1年くらい)

下鴨神社境内にて(小学校1年くらい)。下鴨神社にはヒョウモンチョウやセミなどの昆虫採集によく出かけた。当時は子どもの誘拐事件などもあり、暗い森にはあまり行かないように言われていたのだが、おかまいなしだった

小学校1年頃

小学校1年頃、鳥取県の田舎にあるお母さまの実家で過ごした夏休みのスナップ。「花を持ってカッコをつけているけれど、本当は昆虫少女だったんです」と先生

───昆虫少年はいっぱいいるけれど、女の子としてはちょっぴり変わっていたのですね。

ええ、ところが、小学校5年生になるころ、突然、ムシが嫌いになってしまったんです。ムシを手で触るなんてとんでもないという感じになってしまった。どうも私は収集癖があったみたいで(笑)、ムシがきらいになったら、こんどは植物のカタバミの採集に凝りはじめました。道端に咲いているカタバミは何十種類もあるんですよ。それを押し花にしたりして楽しんでいた。

───好きな学科とかは?

体育です(笑)。ほんとうに遊ぶことが好きで、ドッジボールで遊ぶために朝早く登校して場所取りをするほどでした。算数の試験なんか、ほかの問題は全部できているのに、早く教室の外に出て遊びたいばかりに最後の問題を見落としてしまうなんてミスがけっこうあった(笑)。算数は得意でしたね。それに対して、国語の作文が大の苦手。遠足に行った感想文なんて「楽しかった」で終わっちゃう。何を書いていいかわからないんです(笑)。

───大きな転機となったことはありましたか。

中学1年生のとき、父親が西洋史の研究者だった関係で、父親についてドイツに1学期間行っていたのですが、この経験がその後の人生を変えたと思います。子どもなりにグローバルな視点ができた。ドイツに行って一番感動したのは、クレーやカンディンスキーなどの現代抽象絵画でした。とくにそこで描かれている青い色にひきつけられたんです。
それとモスクワでメーデーを見たことや、ソ連(当時)の同級生の女の子と知り合いになり、日本に帰ってからも3年間ほど文通をしました。こうした経験が私の目を世界に開かせてくれましたね。

ルーブル美術館にて(中学1年)

ルーブル美術館にて(中学1年)。左は妹さん。文化を大切にするヨーロッパの人々の姿勢に心うたれた。グローバルな視点を得たことと美術館巡りが趣味となったその両方の意味で、先生の原点というべき時期とのこと

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