この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第7回 「エピジェネティクス制御」は、これからの皆さんの研究テーマですよ。 大阪大学大学院 医学系研究科 生命機能研究科 仲野 徹 教授

がんの研究などにも重要な意味を持つ「エピジェネティクス」

───その後と現在の研究についてお聞かせください。

京都大学から大阪大学に移ったとき、血液の分化の研究を行いながら、他の研究にも手を伸ばそうと考えて、生殖細胞の分化の研究を始めたんです。
研究には2つのタイプがあって、一つは目的指向の研究。何をどうやれば、どんな結果が出るか、おおよそ見当がついている研究で、もう一つがどんな研究になるか見当がつかない研究です。地図を見ながら進む研究と、地図をつくることから始める研究といえば分かりやすいかな。場合によっては地図がつくれないリスクもあるけれど、あまり研究が進んでいないから自分がパイオニアになれる。血液細胞分化の研究は前者のタイプで、生殖細胞の研究は後者のタイプです。
まぁ、血液細胞などの体細胞は基本的には一代限りで、寿命が短いのに対して、生殖細胞は遺伝情報として世代を超えて続いていくので、血液細胞と生殖細胞の2つを研究するのはバランスがとれているかな、という意識もあったんですね。ところが、この2つが結びついたんです。それが、エピジェネティクスの研究です。

───エピジェネティクスって、なんですか? 聞いたことがない言葉なので、分かりやすく教えてください。

困ったなあ。エピジェネティクスを皆さんに分かりやすく説明するのは、とてもたいへんです。まぁ精一杯がんばって、説明してみましょうか。
私たちのからだは、精子と卵子でつくられる受精卵が分化して、眼や腕や心臓などの細胞が形づくられていて、どんな細胞をつくるかは遺伝子によって決まります。どの細胞も基本的には同じ遺伝情報を持っているのに、それぞれ別々の細胞になるのはなぜか。それはそれぞれの細胞で使われる遺伝子と使われない遺伝子が決まっているからです。そして、それぞれの細胞には、使われる遺伝子と使われない遺伝子に、ある種の目印がついています。これが「エピジェネティクス制御」です。

───その目印ってどのようなものなんですか?

エピジェネティクス制御には2種類あって、DNAを核の中に巻き取っているヒストンというタンパク質に目印をつける場合と、DNAをメチル化することによって目印をつける場合があるのですが、ここではとくに最近注目されているDNAのメチル化について話しましょう。
DNAはA(アデニン)T(チミン)C(シトシン)G(グアニン)の塩基が連なっていて、その配列によって遺伝子が決定され、アミノ酸を指定して、どんなタンパク質をつくるかが決まるのでしたね。DNAのメチル化とは、4つの塩基の中のC(シトシン)についている水素がメチル基(CH3)に変わることを言います。ここの細かい部分は無理に理解しなくても結構ですが、重要なポイントは、「塩基配列のある部分がメチル化すると、遺伝子の働きが制御される」ということです。
DNAの4種類の塩基の並び方だけが遺伝子の働きを決めるのではなく、こういったエピジェネティクスによってどんな遺伝子が働くかが決まるということなんです。

エピジェネティック制御
───受精卵はどんな細胞にもなれるはずです。遺伝子の働きを制御するメチル化はどんな場面で起きるのですか。

精子の遺伝子も卵子の遺伝子も相当なDNAがメチル化されていますが、受精したとたんメチル化が御破算になっていったんすべて消えてしまいます。この過程を、細胞分化のプログラムがいったんなくなる、ということで、「リプログラミング」と呼びます。受精卵が何にでもなれるのは、このリプログラミングが生じるためです。そして、発生が進行して受精卵が分化していくプロセスの中で、それぞれの細胞の遺伝子DNAに、それぞれのメチル化パターンが生じて特定の遺伝子だけが働くようになっていくのですね。

受精後、まず、DNAの脱メチル化が生じて、どのような細胞にでもなれる状態になる。次に、発生が進むにつれて、いろいろな細胞に適したDNAメチル化状態が確立される。

受精後、まず、DNAの脱メチル化が生じて、どのような細胞にでもなれる状態になる。次に、発生が進むにつれて、いろいろな細胞に適したDNAメチル化状態が確立される。

───エピジェネティクスによって遺伝子の働きが制御されるということは、どんな意味を持つのですか。

DNAのメチル化は、不必要な遺伝子を働かせないようにして、それぞれの細胞をつくり出し、私たちのからだを正常に保つ働きをしています。けれども、DNAのメチル化が異常を起こすと、それぞれの細胞にとって必要な遺伝子の働きを阻害したり、抑制されなければならない遺伝子を促進してしまう場合が出てきます。
たとえば、がんの細胞を採取するとDNAのメチル化に異常があることが分かっています。がんはがんを抑制する遺伝子の働きによって防がれているのですが、たとえば、メチル化の異常によってがん抑制遺伝子が働かなくなり、発がんするケースもあります。このような場合は、エピジェネティクス状態を制御する薬剤によってDNAのメチル化を正常化することができれば、がんを治療することも可能になると考えられているのです。
このほか、先天性疾患や統合失調症、生活習慣病などの後天性疾患、老化の制御などでもエピジェネティクス制御がかかわっているとの報告があります。
ただ、まだエピジェネティクスに関しては、その輪郭と重要性は分かっていて、そこに大きな科学的な意味のある大陸が横たわっていることは間違いないのですが、その大陸の内部に何があるのか分からない、そんな状況なんですね。
中高校生の皆さんは、エピジェネティクスなどという言葉は聞いたこともなかったかもしれませんが、エピジェネティクス制御はこれから医療分野、製薬分野で重要な役割を果たしていく分野です。ぜひ頭の片隅にいれておいて、興味を持ってほしいですね。

※2 「フクロウ博士の森の教室」の「タンパク質はスーパーマン」を参照のこと。

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