この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

文化祭で演劇を上演、高校生活を楽しむ

───ミラノから日本に戻ったのはいつですか。

中学2年生の途中です。また新宿区の戸山に戻り、いまは統廃合でなくなってしまった区立中学に編入しました。高校受験では国立大学の附属高校も受験したのですが落ちてしまい、家から一番近い都立戸山高校に進学しました。
ここはいわゆる旧制中学の雰囲気が残っている学校で、先生方も生徒に愛情を持って接してくれました。非常に個性的な生徒も多く、東大に入って宇宙物理学をやりたいという子もいれば、ニューヨークに行ってダンサーになりたいなど、価値観が多様な友人たちに恵まれ、自由な雰囲気で過ごせたのは有意義な体験だったと思います。
高校ではスキー部に所属しましたが、滑りに行くのは冬と春休みぐらいで、それ以外は近所を走ってばかり(笑)。友人が漫画研究部に入っていて、私も絵が好きだったので手伝いにいったりして、一緒にクレイアニメをつくったり、生徒募集ポスターを描いたりしました。好きな漫画は小学校のころは手塚治虫の「ブラックジャック」「火の鳥」など、その後、竹宮恵子、萩尾望都や山岸涼子などを読んでいました。

───高校時代に楽しかった思い出などがあれば教えてください。
高校時代。学校近くの新宿御苑で(右から2番目が先生)

高校時代。学校近くの新宿御苑で(右から2番目が先生)

戸山高校は行事が盛んで、応援合戦をしたり、文化祭となると映画をつくったり、演劇を上演したりと、クラス対抗で競い合う伝統がありました。私はそういうイベントには積極的に参加するほうだったので、文化祭が近づくと結構忙しかった。
3年生のとき映画をつくる予定だったのですが、クラスで揉め事があって映画づくりは中止になってしまい、その代わりに演劇をやろうというので、ヘミングウェイの「武器よさらば」の脚本づくりからみんなでやることにしたんです。一生懸命やって、結構いい出来栄えだと思ったのに、賞をもらえなくてみんなでがっくり(笑)。
でも、もし揉め事がなくて映画づくりをしていたら、夏休みあたりから準備に追われて勉強する時間が無くなって大学の現役合格は難しかったかもしれません。高校2年生まではパッとしない成績だったのですが、3年生になってスイッチが入って、集中的に勉強して、ようやく成績が上がっていったんです。

───高校生のころは、どんな教科が好きだったんですか。

理数系が好きでしたね。とくに生物は好きで、子どものころから興味を持っていた生き物の機能について学問的な意味づけがなされていくおもしろさにハマりました。生物の先生が情熱的に話してくれた、トランスポゾン(転移因子)を発見してノーベル賞をとったバーバラ・マクリントックや遺伝子の二重らせんを発見したワトソンとクリックの話など、いまも心に残っています。
マクリントックは同じ遺伝子セットを持っているはずの一本のトウモロコシの一粒一粒が一様に同じ色にならないのはなぜかを考え、色を決める遺伝子を2セット持っているものと、1セットだけしか持っていないもの、全く持っていないものがあるからだと結論付け、トランスポゾンを発見することになるのですが、栄誉を求めて研究したのではなく、何の役に立つかわからないけれど、こつこつと研究を重ねたことでノーベル賞をとったという先生のお話は、その後、私が基礎研究をやっていく力を与えてくれました。

───大学選びにあたって重視したことはありますか。

理系に進みたいとは思っていたけれど、どういうわけか数学、物理は点数が悪く、嫌いなはずの英語、国語のほうが点数が良かったのです。幸い、生物と化学はできたので、理科はこの2教科を選択しました。
ただ何を専攻したいかまでは高校時代に決めることはできなかったので、大学に入ってから興味のある学科の選択ができる大学を選ぼうと、東大の理科2類を受験しました。ここなら2年後半の進学振り分けの段階で、生物、薬学、農学などから学科を選べますから。

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