中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

インクジェットの液滴のサイズは細胞のサイズと同じだ!

中村先生の「細胞を使って臓器をつくる」という発想のもとには、「ティッシュ・エンジニアリング(組織工学)」の考え方があった。これは、1993 年に米国の医師と工学者が提唱したもので、「機能を失った臓器や組織やその代替品を、生命科学と工学をうまく組み合わせて、修復したりつくり出したりすること」を言う。私たちのからだは、60兆個の細胞でできているといわれるが、細胞だけでできているわけではない。細胞と細胞の間にマトリックスという物質があって、これがいわば足組みの働きをして細胞同士を結び付けて、皮膚や臓器などの組織を形づくっている。

「これまでは、足場となる生体材料に細胞を技師さんが手でまぶして組織をつくっていました。けれども、私たちの心臓や肺、肝臓など、からだの重要な組織は、1種類の細胞だけでできているわけではなく、何種類もの細胞がそれぞれ特殊な3次元構造を持っているんです。細胞を人の手でまぶす方法では、そうした顕微鏡でなければ見えない構造はつくれない。ミクロの細胞を適材適所で並べる方法はないかと考えていました」

そのようなふうに研究のことを考えているうちに、毎日使っているインクジェットプリンターも、最新式のものでは打ち出された写真の画質が写真と同じほどきれいに仕上がるようになっていることに気づいた。インクジェットプリンターは、ヘッドの細いノズル(吹き出し口)から赤・青・黄の3色の液体のインクを噴出させ、それを紙に定着させることでカラー印刷している。吹き出すインクの液滴が微細であるほど、高画質な印刷が可能になる。
「昔のカラープリンターの画像は粒子が粗かったので、年々進歩するプリンター技術の進歩に驚いていました。写真印刷の精細な画像を印刷するために、各社、ピコリットル(1mlの10億分の1)の液滴量を競っていました。

そんな2002年のある日のこと、では、ひとつひとつのドットはいったいどれくらいのサイズなのか、もしかしたら、細胞くらいの小ささになっているかもしれないぞ、確かめてみよう、と顕微鏡でのぞいたところ、予想通り、ほとんど細胞の大きさと同じではありませんか。それならば、インクの代わりに細胞を吐出させれば、思いどおりの3次元の位置に細胞を配置できるのではないか、本気で取り組んでみる価値があるぞ、と考えたんです」
そこで、数社の中からもっとも研究に適していると考えた某社のプリンターを選んで、カタログではわからなかったヘッド部の穴のサイズを、同社のお客さまセンターに問い合わせてみた。しかし、数値は教えてもらえなかった。

「とにかくやってみるしかないと考えて、プリンターを購入し、実際に印刷してみました。インクジェットで打ち出された液滴のサイズを顕微鏡で調べると、25~30マイクロメートルくらいでした。赤血球の細胞のサイズは8マイクロメートルくらいですから、これなら大丈夫! 血液を打ち出して文字を創ろうかなんて考えていたんですが、3回ぐらい打ち出したところで、血液細胞が固まって、ノズルが詰まってしまった。大失敗です(笑)。一般に販売されているプリンターではだめだ、なんとかそのプリンターメーカーに研究用のプリンター開発に協力してもらうしかないと考えて、またお客さまセンターに電話したんです。ところがまた丁重に断られてしまった(笑)」

中村先生はここであきらめなかった。あるナノテクロノジーの講演会で、そのメーカーがインクジェットについての発表をすると聞いて会場に足を運び、そこで、同社の部長と会うことができた。
「部長さんに細胞を打ち出すことができるインクジェットプリンターの協力をお願したところ、わが社のプリンター技術が世の中に貢献できるならと、喜んで研究に協力しようと許してくださいました。普通のヘッドはステンレスが使われていて、細胞を培養する時に使うアルコールなどで錆びてしまうのですが、ガラスとシリコンでできた研究用の特別のヘッドを貸してもらうことができました」
この研究用のヘッドを取り付けたプリンターで血液細胞を打ち出してみたところ、ノズルで固まることもなく、しかも、生きたままの細胞を打ち出すことができたのだ。

インクジェットの特徴 組織工学、再生医療への応用への利点
写真画質の高精細印刷
・ナノメートルオーダーのインク吐出位置の制御が可能
・ごく微量のインク滴の量の制御が可能
細胞や生理活性物質でのナノメートルオーダーでの位置制御が可能
ピコリットルレベルでの液滴量の制御が可能
カラー印刷が容易、複数インクによる高画質化 多種の細胞、多種の生理活性物質などが、独立して配置しながら吐出することができる
高速印刷(毎秒数千滴以上のインク滴の吐出能力がある) 生体組織の迅速な構築、大きな組織の作製に有利
コンピュータとの接続技術が確立されている コンピュータと機械による組織工学、再生医療への応用・発展が行いやすい
印刷対象として、紙、立体物、ゲル、液体への吐出が可能 培養ティシュや培養用ディスク、シート、ゲル、液体への吐出が可能、手術創への吐出も可能
非接触での吐出が可能 2液反応性材料が使える、対象物への摩擦や擦過傷害の防止、雑菌の混入防止など
生きた細胞を生きたままほとんどダメージなく打ち出せる 生きた細胞を直接配置する組織構築が可能
水溶液中にゲルで造形可能 乾燥防止、細胞へのダメージ縮小
水溶液中にもかかわらず、にじまない印刷が可能 にじみ防止
3次元積層構造が可能 3次元積層造形

2009 プリンタブルエレクトロニクス「Electronic Journal別冊」より作成

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