特別編 3次元脳オルガノイドが拓く脳研究の近未来
4 脳オルガノイドはコンピュータになるか?
コネクトイドによって、複数のオルガノイドをつなぐことが可能になった。これにさまざまな刺激を与えることで、さらなる機能の変化も期待できそうだ。池内先生は、今後どのような研究を進めていくのだろう。
「直近の目標は、コネクトイドがいろいろな種類の刺激を区別できるようにすることです。また、時系列で刺激を与えて順番を覚えさせるといった、学習につながる機能を引き続き見ていきたいですね。そして、もうひとつはコネクトイドを使った精神疾患方面へのアプローチです」
精神疾患へのアプローチとは、たとえば統合失調症などの精神疾患モデルづくりだ。妄想など、疾患特有の特徴の再現は動物では難しい。健常者と患者双方からヒトiPS細胞を採取してオルガノイドをつくり、神経活動の違いと遺伝情報やタンパク質の発現状態などを比較することによって、ヒトならではの疾患の原因解明や病態の再現、さらには創薬のスクリーニングにも活用できる。先生はそうした研究を臨床の医師とも協力して進めているという。
「さらに、もう少し未来の話をすれば、脳オルガノイドをコンピュータの演算素子として使うバイオコンピュータの可能性についても、企業と共同でプロジェクトを進めています。脳はいま使われている半導体と比べて消費電力が圧倒的に少なく、効率よく並行処理を行うので実用化への期待は高いのです」
バイオコンピュータの開発には、現在、世界のさまざまな企業や研究者がチャレンジしている。
たとえばオーストラリアのスタートアップ*4、Cortical Labs社は2021年に、電極に接続された培養皿上の脳オルガノイドに卓球ゲームのプレイをさせることに成功。2025年3月にはiPS細胞から培養された数十万個もの神経細胞をシリコンチップ上に配置したシステムを発表した。課題に対して正解と不正解の場合で異なる電気信号を与えることで、正しい応答を学習させる、世界初の商用バイオコンピュータと謳っている。
また、スイスのFinalSpark社は、培養した脳オルガノイドを組み込んだバイオプロセッサに電気刺激を送りその反応を解析。バイオコンピュータを実現するために、どのようにオルガノイドをトレーニングするべきか、現在世界各地の研究者とクラウドでの遠隔実験を行っているという。
*4 スタートアップ:革新的なアイデアや技術を基盤に、社会に変革をもたらすような新しいビジネスモデルを展開し、短期間で急成長をめざす企業のこと。
もっとも、こうした脳オルガノイドが長期間の培養にどの程度耐えることができるか、またどのような刺激を与えて学習させるのかなど、課題は山積みだ。
「現在、人類がたどりついたコンピュータは、ハードとソフト、メモリとプロセッサが別々です。一方、脳はそれらが一体化して、多様な機能をシームレスに切り替えています。素子としての神経細胞と、それがネットワーク化して機能するメカニズムの理解とには大きなギャップがあって、本格的なバイオコンピュータの実現には、まだまだ何段階ものブレイク・スルーが必要でしょう。まず私たちは、コネクトイドを足がかりにして、複雑なオルガノイドのネットワーク構築の研究に注力していきます」