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中高生と“いのちの不思議”を考える─生命科学DOKIDOKI研究室

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特別編 3次元脳オルガノイドが拓く脳研究の近未来

1 大阪万博に登場した脳オルガノイド

「人間は脳をつくることができるのか?」。これは、ヒポクラテスが「脳は人間の心の座である」と説いて以来、いまだに人類の大きなクエスチョンの1つだろう。科学者はもちろん、文学者はアンドロイドや人工脳の物語を夢想し、哲学者や社会学者も倫理の立場から思考を重ねている。
現実の世界では2000年代に入ってヒトiPS 細胞から3次元の人工臓器「オルガノイド」がつくられ、脳の中のいろいろな領域のオルガノイドの作製も報告があがっている。脳オルガノイドをコンピュータの計算ユニットとして活用する「BPU(Brain Processing Unit)」の開発には大手IT企業がこぞって参入し、もはや単なる夢物語ではなくなってきた。

そして、EXPO2025大阪・関西万博のスイスパビリオンでは、最新の「脳オルガノイド」が出展されている。開発したのは、東京大学生産技術研究所の池内教授のグループ。会場では、池内先生の研究室に所属しているドゥンキー智也特任研究員が中心となって開発した脳オルガノイドを顕微鏡で観察できるほか、2万6400個の電極が記録した、さまざまな刺激に反応して神経が活動する様子がディスプレイに映し出される。ついに、人間の脳をつくることに成功したと言えるのだろうか?

「その通りです! と言いたいところですが、本物の脳にはまだまだ及びません。しかし、軸索という神経の束で脳オルガノイドをつなぎ、ネットワーク化する新たな手法を使うことで、脳オルガノイドを大きく前進させられると思います。つながったオルガノイドは、これまでの単体で培養したものや、脳オルガノイド同士を直接連結させたものとは明らかに違う活動がいくつも見られるからです」(池内先生)

スイスパビリオンで3つ目の球体の企画展示室で、2025年6月12日から8月12日まで、「Life/生命」をテーマにしたスイスの先端技術と未来のビジョンの一つとして展示されている。

展示ブースの前のドゥンキー特任研究員。手前の顕微鏡で、脳オルガノイドを観察できる。その隣の横型のディスプレイには、記録されている脳オルガノイドの活動の波形が流れ、奥に脳オルガノイドの拡大モデルと培養過程を紹介する映像が映し出される。

高密度微小電極アレイ上の脳オルガノイドの拡大モデル

大阪万博に出展されている脳オルガノイドの顕微鏡像。18個の脳オルガノイドが互いに軸索(緑色)を伸ばして他の脳オルガノイドとつながりあっている。
(写真提供:ドゥンキー智也)

縦2mm×横4mmの小さな電極チップの上に並ぶ18個の脳オルガノイド。チップはスイスのMaxWell Biosystems社製。2万6400個の電極があり、細胞の活動を記録できる。
(写真提供:ドゥンキー智也)

お父さんに抱えられて、顕微鏡を覗き込む。

来場者に説明するドゥンキー特任研究員。「もしアインシュタインのiPS細胞が手に入って、それを培養して移植したら自分も天才になるだろうか」などという質問もあった。「それは不可能でしょうが、創薬や、脳の疾患の解明など、いろいろな可能性がありますね」。ゆくゆくは、300個の脳オルガノイドの回路をつくり、刺激を与えることでネットワークを機能的に変化させていくことができるかを検証したいそうだ。

ここで、脳オルガノイドについて少しおさらいしておこう。脳オルガノイド研究はiPS細胞やES細胞といった、さまざまな細胞に分化できる幹細胞研究の進展とともに急加速した。幹細胞を神経の分化や脳領域の形成を制御する因子を含んだ液の中で培養することで、これまでに大脳をはじめ、視床や海馬など脳のさまざまな領域のオルガノイドがつくられている。

人間の脳は、1000億以上の神経細胞が、100兆以上のシナプスを通じて大脳や視床、海馬などの各領域間で情報をやりとりすることでさまざまな機能を生み出している、極めて複雑で精巧な組織だ。しかし現状の脳オルガノイドは、培養日数が短くて生体に比べて未熟なこと、血管がないため組織内部に栄養や酸素が行き渡らず細胞が早く壊死してしまいスケールアップが難しいこと、均一の空間で培養しており各領域間の相互作用や情報のインプットやアウトプットがないことなどが、高度な脳機能をそなえた脳オルガノイド実現の大きな壁となっている。

池内先生たちは神経細胞をつなぐ軸索に着目し、細胞を培養するデバイス(容器)を独自に開発して、軸索が自由に伸びる環境を整え軸索の束をつくった。そして、脳オルガノイド同士を軸索でつないだ人工神経回路組織「コネクトイド」をつくることに成功。コネクトイドによって、複数のオルガノイド間の情報伝達や相互作用による神経活動が見られるようになり、脳の複雑な構造に一歩、近づいたのだ。今後は、これを脳の発生や発達のメカニズム解明、精神疾患の治療や創薬の研究などに活用していきたいという。

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