フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

細胞の種類によって働く遺伝子が違うのはなぜなのか?

───遺伝子やタンパク質についての研究では、面白い発見がありそうですね。

遺伝子やタンパク質は、生命活動の源ですから、まだわかっていないことがたくさんあります。
たとえば、その一つが、ゲノム上の約2万5000個の遺伝子がどうして別々に働けるのかというものでした。脳で働く遺伝子と血液で働く遺伝子が隣り合ってゲノム上にあったとします。脳で働く遺伝子があるのに、なぜ隣りの遺伝子は血液で働くのか。私たちのグループでは、こうした遺伝子の独立性についての謎にチャレンジすることにしました。

遺伝子は、メッセンジャーRNA(mRNA)に転写された後に、アミノ酸がつながったタンパク質に翻訳されます。そうして、脳や血液など、さまざまな細胞や組織をつくります。この遺伝子の転写を調整するものに、遺伝子のONとOFFを決める「プロモーター」と、プロモーターの強弱を調整する「エンハンサー」があります。オーディオにたとえると、プロモーターはスイッチ、エンハンサーはボリュームということになるでしょう。

このエンハンサーとプロモーターが互いに協力することによって、遺伝子が働くことになります。ところが、隣り合う遺伝子と遺伝子の間には、この協力を阻止するものがあることが、ハエなどの生物でわかってきました。それを「インスレーター」と呼び、工業製品でいえば絶縁体という意味です。
つまり、インスレーターが遺伝子と遺伝子の「境界」を決めているのです。遺伝子が働く領域を明確にすることによって、多くの遺伝子が独立して働くことができるのです。もしインスレーターがなければ、脳で働く遺伝子と血液で働く遺伝子という、細胞や組織の区別ができないことになってしまいます。

───先生の研究グループはインスレーターの謎をどのように解いたのですか。

ヒトを含むほ乳類で、インスレーターに結合する特別なタンパク質がわかってきました。それは「CTCF」と名づけられたタンパク質です。しかし、どうして遺伝子間の境界をつくることができるのか、もっとも重要な点がわかっていませんでした。私たちは、CTCFと協力して働く仲間のタンパク質を探すことにしました。その結果、「CHD8」と呼ばれる、クロマチンを変化させる酵素がインスレーターの働きに必要であることがわかりました。その後、CTCFは「コヒーシン」と呼ばれるタンパク質と一緒に遺伝子間の境界をつくることを明らかにすることができました。

次に取り組んだのが、インスレーターがどのように働いているのかを調べることでした。ほとんどの細胞の核の中にゲノムが納まっていて、そこに数多くの遺伝子があります。ゲノムは何重にも細かく折りたたまれて、すべての遺伝子はループ状になっていると予想することができますね。実験を積み重ね、遺伝子につくられるループの根元のところにインスレーターがあって、その根元になるインスレーターで、CTCFとコヒーシンがまさに協働していることがわかりました。

CTCFとコヒーシンが遺伝子のプロモーターとエンハンサーの働きを調節するのを証明した世界で最初の例が、ヒトのアポリポタンパク質(APO)群の遺伝子領域です。APOはおもに肝臓や小腸でつくられて、血中の脂肪の運搬に関わっているタンパク質です。数種類があって、いわゆる、血液検査で調べる善玉や悪玉のコレステロールをつくるものです。このため、その量やバランスが変化すると、血中に脂肪が多くなる高脂血症、肥満、糖尿病、脂肪肝などの病気につながります。
しかし、そんな大切なタンパク質であるにもかかわらず、おおもとのAPO遺伝子群が肝臓でどのように働いているのか、詳しくわかっていません。
私たちは、アポリポタンパク質群をつくるAPO遺伝子群の領域で、2つのループが形成されて、その根元にインスレーターがあることを突き止めました。そのループの中で、プロモーターとエンハンサーが働き合って、肝臓でだけAPO遺伝子群が働くのです。もしもインスレーターの働きが低下すると、APO遺伝子群の転写が変わり、生活習慣病にもつながる可能性が出てきます。

───生活習慣病の話が出ましたが、若い人にも肥満になっている人がいますね。これにもエピジェネティクスが関係するのですか?

その通りです。私たちは肥満の原因にエピジェネティクスが直接に関わるという事実について明らかにしました。
人類の歴史をさかのぼれば、大昔は食物が思うように手に入らず、長い間、飢えの時代を経験してきました。そんな飢餓の時代を生き延びるために、人類が獲得したのは、できるだけエネルギーを蓄積しようとする遺伝子、つまり「倹約遺伝子」でした。こうして、食べることができない時に備えていたわけです。
しかし、生存のためにこのような遺伝子を持ってしまうと、良いことも悪いこともあります。日本を含む先進国のように食料が豊かな国では、からだに余分なエネルギーが蓄積して肥満の原因となってしまいます。言い換えると、私たちのからだは過食や肥満には弱いということができます。
私たちは、エピゲノムの印づけに働く「LSD1」という酵素について研究しています。この酵素は、ヒストンタンパク質のメチル化を取り除く「脱メチル化酵素」として働きます。そして脂肪が多量にあると、LSD1が脂肪の消費を抑制して、むしろ、その蓄積を促すことを発見しました。つまり、私たちのからだは、たくさん脂肪を摂ると、「あるから使う」のではなく、逆に「貯めよう」とします。太れば、ますます太るということです。
実験的に高脂肪食を与えたマウスにおいて、LSD1の働きを阻害すると、脂肪組織でエネルギー消費の遺伝子群の働きが高くなって、ミトコンドリアという細胞内の工場で脂肪を消費して、肥満が改善することを明らかにしました。
LSD1の研究は、肥満の予防と治療に関する理解を進めるものと考えています。

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