フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

iPS細胞技術を使ったがん研究のおもしろさとは

───この研究で最も難しかった点はどこですか。

マウスの体細胞に山中4因子を導入して、いわば中途半端に初期化し、腎芽腫のようながん細胞をつくり出すところまではとんとん拍子に進んだのですが、そこからが難しかった。私たちは研究の最初の段階から、できたがんはエピゲノムの異常によるものだと考えていましたが、いまお話したように、遺伝子の傷ではないことをどのようにしたら明らかにできるか、そこが悩みどころだったのです。傷がついているのであればその傷を示せばいいのですが、シークエンサーでDNAを網羅的に解析して、ほぼ傷はないようだと確認できても、では絶対に傷がついていないとはいいきれません。「ない」ことを立証するのは難しいのです。
そこで腎芽腫に似たがん細胞をiPS細胞化することを思いつきました。iPS細胞にする際には遺伝子の変化はともないませんから、iPS細胞にしてキメラマウスを作り、非腫瘍性の腎臓ができたときは、「やった!」と思いましたね。
それと、マウスなので実験に時間がかかることも困難の一つでした。


不完全な細胞初期化による腎臓腫瘍(左)からiPS細胞をつくり、腎臓へと再分化させたところ、非腫瘍性の腎臓細胞に変化(茶色の細胞)した(右)

───それにしても、不完全な初期化によって小児がんに似た腫瘍ができたことは興味深いですね。

ニューロブラストーマ(神経芽腫)という小児がんがあります。遺伝性のものではないことは分かっているのですが、なぜできるかまだ謎の多いがんですが、これは一気に増えて途中でパッと消えてしまうことがあるんです。がんなのに途中で腫瘍が消えてしまうのは不思議でしょう。もしエピゲノムの異常が原因ならば、エピゲノムを正常に戻せばがんを治すこともできるかもしれません。小児がんには原因遺伝子が特定されていないものも多く、今の研究が遺伝子の異常ではない小児がんの理解に役立つのではないかと考えているところです。

───iPS細胞技術を使ったがん研究のおもしろさはどんなところにありますか。

本編でも触れましたが、神経細胞、骨細胞、筋肉細胞、皮膚細胞など、普通の体細胞は一度分化してしまうと、神経細胞は神経細胞のまま、皮膚細胞は皮膚細胞のままというふうに、自分のアイデンティティを保とうとする。いってみれば、細胞の運命はその段階で固定されてしまうのです。
けれども、iPS細胞などがつくられ、リプログラミングされることによって、一度決められた細胞の運命を変えることができるようになった。
さきほどお話しした研究では、ドキシサイクリンを使い初期化因子の働く時間をコントロールすることによって、投与してからある時期までは元の腎臓の細胞でいるのに、それからがん細胞になったりiPS細胞になったりするわけです。細胞の身になって考えると、どこで自分のアイデンティティを保てばいいか、それをどう理解しているかを考えると面白いですね(笑)。
たとえば、がん細胞はiPS細胞にすることがすごく難しいのです。がん細胞はもしかすると正常な細胞よりアイデンティティにこだわりがあるのかもしれません(笑)。

───がん細胞をiPS細胞にすることができにくい理由は分かっているのですか。

がんの中でも、慢性骨髄性白血病などは比較的初期化抵抗性が低くiPS細胞ができるという研究がありますが、一般には難しいとされています。このメカニズムについても探求しているところですが、これまた「できにくい」ということを証明するのは、「ない」ことを証明するのが難しいと同様、なかなか困難なのです。でも、iPS細胞になりにくいというのも、がんが持っている性質と密接に関連するだけに、なりにくいメカニズムの一端が明らかになることで、がんの理解が進むはずです。

───これからの研究についてお聞かせください。

私たちはそうしたがん細胞のアイデンティティへのこだわりを壊して、がん細胞の運命を変え、がんの治療や創薬につなげていければと思っています。ただ、がん細胞といっても、がんの種類によっても性質が違うので、一つの種類でもいいからがん細胞の運命をコントロールできたらいいなと考えています。

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