フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

ゴキブリは実験者を観察している!?

───アリゾナ大学ではどんな研究をなさったのでしょう。

当時はまだ昆虫の脳については視覚と嗅覚の研究が主流で、学習や記憶についての研究はほとんど行われていませんでした。専門的にいうと、学習というのは「経験に基づく行動の変化」と定義され、「学習された反応を保持する過程」を記憶といいます。私とストラスフェルド教授は二人で一緒に研究すればこの難しいテーマでも成果が出せると考え、昆虫がどのようにして場所を学習し記憶するのか、ワモンゴキブリを使って実験しました。

───場所記憶を調べるために、いったいどんな実験系を作ったのですか。

まず周囲を壁に囲まれた円形の広場を用意します。床は50℃と高温ですが、一カ所だけは常温にしておきます。ただし見た目は変わりません。壁にはタテ縞、ヨコ縞、白窓、黒窓と、目印となる模様が描かれており、常温の正面の壁はタテ縞です。
この広場にゴキブリを入れると、ゴキブリは高温の場所から逃げようと広場の中を走り回ります。そして偶然、常温の場所を見つけるとそこにとどまるようになります。これを5分間隔で数回繰り返すと、ゴキブリは目印のタテ縞と居心地の良い常温の場所とを結び付けて記憶し、次第に短い時間で常温の場所に到達するようになります。しかし、壁を回転させて模様を変えると、覚えた場所と異なるために到達時間が長引きます。つまり、ゴキブリに場所を学習し記憶する能力があることがわかったのです。模様ではなく、オレンジとバナナの匂いを目印として壁につけておくと、その匂いを常温の場所に到達する手がかりとすることもわかり、匂いと記憶が結び付いていることも確認できました。

───シンプルでとてもわかりやすい実験ですね。それで、昆虫の記憶に関係するのは脳のどの領域なのですか。

脳の中央部にあるキノコの形に似た「キノコ体」という中枢です。私たちは、ゴキブリの脳のさまざまな領域を破壊し、ゴキブリの行動の変化を調べました。脳手術と行動実験の結果、左右両方のキノコ体を完全に切断すると、場所記憶に障害が起きること、すなわちキノコ体が場所の記憶に関与していることが明らかになったのです。また、ゴキブリが行動を始める1秒くらい前から発火するニューロンがあることも解明しました。つまり、ゴキブリは単に何かの刺激によって反射的に行動しているのではなく、運動の開始に先行して行動を促す仕組みがあるわけです。こうした自発性運動の準備や制御にキノコ体が関わっていることを初めて示すことができました。

───ゴキブリを使った実験は難しいのですか。

ワモンゴキブリはハチやアリよりも大きくて、脳手術がしやすく、神経活動を記録しやすいというメリットがあります。ただ、ゴキブリは臆病で人を恐れていて、私たちがゴキブリを見ているとゴキブリもじっとこっちの様子をうかがっています(笑)。こちらは学習させているつもりなのに、ゴキブリのほうが人間を観察していて全然学習に集中していない。先生の顔色をうかがっていてちっとも勉強に集中しない学生に似ています(笑)。ですから、ゴキブリがリラックスして学習できるように細心の注意を払わなければなりませんでした。

───先生はコオロギを使った実験もなさっていますが、コオロギとゴキブリとでは、どちらがやりやすいのですか。

コオロギの方が扱いやすいですね。コオロギは警戒心が少なく、ヒトの眼を気にせずに鳴いたり食べたりしています。ゴキブリは賢すぎて、言うことを聞いてくれない(笑)。

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