フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

ゲノム編集技術を使い、学習や記憶の分子機構解明をめざす

───コオロギの場合はどのような学習の実験をするのですか。

私の研究室で使っているフタホシコオロギは、匂いの学習が得意です。数日間、水を与えなかったコオロギにバニラやペパーミントなどの匂いをかがせ、その直後に報酬として水を飲ませると、わずか1回の訓練で匂いと水を結び付けることができます。時間とともに記憶が減衰していくのですが、3回訓練すると4 日間記憶を保持しますし、幼虫の初期に5 日間連続で訓練すると、その記憶はほぼ一生保持できるんですね。
では、どれだけの種類の匂いを記憶できるかを調べるために、14種類の匂いを7組に分けて、一方を水、一方を高濃度の塩水(罰) と結び付けて覚える訓練をしたところ、そのあとは必ず水の匂いを選びました。14種類の匂いについて、報酬と罰とを連合させて同時に記憶できたのです。


コオロギの匂い学習のための訓練装置。訓練時にはそれぞれの匂い源に応じて水(報酬)や食塩水(罰)を飲ませた

───それはすごいですね! こうした罰と報酬の選択にあたって、どんな神経がかかわっているのかなどはわかっているのですか?

ちょっと専門的になりますが、最近のゲノム編集技術の進歩によって、特定の遺伝子のノックイン・ノックアウトが簡単にできるようになり、従来からの薬理学的な研究とあわせて、どの受容体が報酬や罰学習にかかわっているかといった学習や記憶の分子機構の詳細が明らかになりつつあります。
そして、昆虫の学習の仕組みと、ヒトをはじめとする哺乳類の仕組みが似ている部分があることも次第にわかってきました。
たとえばヒトやラットの学習の仕組みとして、「予測誤差モデル」という理論があります。哺乳類の脳はあらかじめ何が起きるのかを予想しており、予想外の出来事が起きると驚いて学習するというものです。ヒトの場合は、ドーパミンニューロンが関わっているのですが、私たちの研究で、コオロギの学習にも同じように予測誤差モデルが適用できることがわかりました。
先ほどコオロギの匂い学習についてお話しましたが、匂いと報酬の水とを関連付けて学習したのは、匂いのあと思いがけず水をもらえたからです。ではいったん学習が成立したあと、匂いと模様とを同時に提示し、水と関連付けた学習をさせようとしても模様については学習しません。もうすでに匂いとの連合学習が成立しているので新たな驚きがない、つまり「ブロッキング」が起こっているため学習しないと考えられます。そして学習前にオクトパミンという伝達物質の受容体阻害剤を投与し伝達を阻害すると学習が成立しないこともわかりました。一方、ドーパミンの受容体を阻害したコオロギでは、報酬学習はできるのですが、罰学習はできません。つまり、コオロギの場合は、報酬学習には「オクトパミンニューロン」が、罰学習には「ドーパミンニューロン」が関わっているのです。
ヒトの場合は報酬学習と罰学習の双方にドーパミンニューロンが関係していると考えられています。オクトパミンとドーパミンの分子は比較的似ているので、進化のプロセスで分子が入れ替わるなどしたのかもしれません。
現在、ゲノム編集技術を使ってさらに高度な学習メカニズムについて探りつつあります。

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