フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

フクロウ博士の森の教室 シリーズ2 脳の不思議を考えよう

第4回 脳と心

集団性とランダム性を兼ね備えた神経細胞のネットワークが心を生み出す

大阪大学大学院 生命機能研究科 時空生物学講座 心生物学研究室
八木健教授 インタビュー

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八木健(やぎ・たけし)
1984年 東京都立大学(現首都大学東京)理学部生物学科卒業。日本赤十字社中央血液センター研究員、千葉大学理学研究科大学院を経て、1991年東京大学理学研究科 生物化学専攻修了。理学博士。同年4月理化学研究所基礎特別研究員。1993年岡崎国立共同研究機構生理学研究所にて研究室を立ち上げる。2000年大阪大学細胞生体工学センター教授。2002年より現職。専門は複雑なニューラルネットワーク形成機構の解明 。平成23年度採択CREST(脳神経回路の形成・動作原理の解明と制御技術の創出)代表

ただの物質の集まりである脳から、喜んだり、悲しんだり、感動したりする心はどのように生まれるのだろう。多くの脳科学者はこの問題に関心を寄せ、答えを出そうと挑戦し続けてきた。大阪大学大学院 心生物学研究室の八木健教授は、脳が心をつくり出す仕組みを、神経ネットワークの形成原理を探ることによって解き明かしたいと研究を続けている。

人間にも科学にも興味があった高校時代

───八木先生が心や意識について研究したいと考えたのはなぜなんでしょう。

高校時代から物理学や宇宙方程式など、世界を統一的に見ることができる分野が好きだったのですが、一方で人間の営みである心や意識についても興味を持っていました。「人間って何だろう」と考える中で文学書を読み、村上春樹や写真家で著述家の藤原新也を愛読していました。
大学で生物学科を選んだのは、生物学は理系なので物理学的な分野も学べるし、人間も生物なのだから人間的なものも学べるだろうと考えたからです。まあ、足して2で割ったようなものですね(笑)。

───実際に大学に入ってから、どんな勉強をしたのですか。

私が進学した都立大学(現首都大学東京)には人文学部に文化人類学の講座があり、理学部で勉強しながら講義を聴きました。文化人類学は一言でいえば、人間的なものを科学的にとらえる学問なので、高校時代から「物理的なものと人間的なもの」の両方に関心があった私は興味を持ちました。梅棹忠夫の「文明の生態史観」のような自らの観点で文明を切るような研究に憧れを抱いていました。ただ、文化人類学で自分の学問的な方向を見つけることができなくて、この分野を専門的に研究することをあきらめました。
都立大学は自由な雰囲気のある大学で、自分の興味のある分野を好きに勉強することができました。生物学科での卒論は小笠原諸島に生育しているセイロンベンケイソウという植物を研究対象にしました。セイロンベンケイソウは葉から芽が出る植物で、葉から新しい芽が出てくることが生命の自由を感じさせる現象だったので、興味を持ち研究しました。森の中や崖などに葉を置いて、どんな環境条件なら発芽しやすいのか、種からも発芽できるかなど、さまざまな発芽実験を行いました。しかし、生態学はどうしても現象の解釈になってしまう部分があります。私はなぜその現象が生じるのか、メカニズムに迫ることに関心があったので、生態学的な手法には物足りなさも感じていました。

───大学を卒業するとすぐに研究者の道に進んだのですか。

大学院に残ろうとも考えましたが、ちょうど日本赤十字病院で血小板の研究員を募集していたので、日赤の研究員になりました。その後、もっと専門的に学びたいと、千葉大学大学院に入り、ここでは筋肉の発生の研究をしました。筋肉は一つの細胞が分化して細胞膜が融合してチューブ状になり、アクチン、ミオシンという物質が細胞の中できれいな格子状の構造となり収縮することができていきます。細胞と細胞の接着構造を起点として筋肉が形成されていくのを研究することはとてもおもしろかった。
そんな中で、細胞の培養技術、抗体のつくり方、電子顕微鏡の操作方法などを習得することができましたが、その頃一緒に研究していた先生との議論の中で、やはり遺伝子についての知識・技術がこれからは絶対に必要だと考えるようになったのです。それも線虫やショウジョウバエではなく、ヒトやマウスなど哺乳類を使った遺伝子技術研究を行いたいと考え、博士課程は東大の大学院に進みました。

───そうして、実際に遺伝子技術を習得していったわけですね。

ええ。その後、理化学研究所の基礎特別研究員として研究をすることになり、そこで、簡単に言えばある特定の遺伝子に変異を起こさせる遺伝子ターゲティング技術の開発に携わりました。
今でこそ、マウスを使った遺伝子改変はポピュラーですが、当時ノックアウトマウスをつくる技術を持った人は少なかったのです。どんなフィールドで自分が開発・習得した遺伝子操作技術を活かせるかを考え、脳から心が生まれる仕組みを研究したいと考えるようになりました。

───脳と心について研究するきっかけになったのは?

本編でもお話ししましたが、脳と心についての研究のヒントとなったのは、どんな未知の病原に対しても攻撃できる免疫システムです。ちょうど理化学研究所の利根川進先生がこの免疫システムの研究でノーベル賞を受賞し、免疫に注目が集まっていた頃です。外敵に対応して、遺伝子を切り貼りして自分を変化させて抗体をつくる免疫のシステムは、抗原に出会う以前にあらかじめ準備されているわけですよね。興味深いことに、遺伝子が同じ一卵性双生児同士であっても、新型ウイルスに反応してできる抗体は、それぞれ異なるのです。自分がもともと持っていた遺伝子を使いながら、外界に対応し、さまざまに変化するメカニズムのおもしろさに魅せられました。それと同じように、脳の神経ネットワークも、外部の環境を自分の中に取り込みながら、遺伝子にコードされたプログラムを超えて、新しいものを生み出していくに違いないと考えたのです。
私たちの脳には記憶を司る海馬や、哺乳類の中でもヒトにおいて著しく発達した大脳新皮質などの部位がありますが、こうした部位を形成する神経細胞で発現している遺伝子などの分子メカニズムを探りたいと思いました。

───本格的に研究に取り組んだのはいつからですか。

1993年に岡崎国立共同研究機構生理学研究所に移ってからで、ニューロンのシナプスの機能に関わる研究や、軸索を延ばして神経回路をつくる遺伝子の研究などを共同で行うようになりました。そうした研究を進めていくうちに、遺伝子が神経回路の形成にどうかかわっていくのか、そしてそのさらに先に脳が心をどのようにしてつくっていくのか、ある意味では現代サイエンスのブラックボックスを埋めていきたいと考えるようになったんです。そんな研究の中から、脳と心の関係を解明するカギになる遺伝子群を発見したのです。

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