フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

脳の病理学と生化学研究をベースにすることが大切

───先生はなぜ、医療の研究者になったのですか。

高校の生物の先生がDNAの二重らせんの発見でノーベル賞を受賞したワトソンとクリックの話をしてくれたのがきっかけでしょうか。そのとき、分子生物学がすごく面白そうだと思ったのです。それで大学では生物学を専門にしようと考えたのですが、つぶしがきかないと言われ、東京農工大に進学しました。ですが、あまり興味をもてなくて半年で退学し、その後富山大学の生物学科に入り直しました。卒業研究ではホヤのATPaseの研究をさせていただいたのですが、より分子生物的な研究をしたいと考えて、大学院は筑波大学の修士課程に進みました。山中啓先生の研究室に加えていただき、カビが産生するレクチンというタンパク質の精製とそのモノクローナル抗体作製に取り組みました。その際、基礎医学の新井孝夫先生のところで抗体の作り方を教えていただいたことがその後の研究につながっています。

───修士のあと、そのまま研究を続けるか、それとも就職するか、迷わなかったのですか。

実は一度ある民間会社に就職しましたが、どうしても基礎研究に対する未練があり2年半で退職しました。新井先生にアルツハイマー病研究のパイオニアである東京都老人総合研究所の井原康夫先生を紹介され、アルツハイマー病の研究をすることになりました。井原先生は当時から「アルツハイマー病は蓄積病」と正しく指摘されていました。

───そこからアルツハイマー病の研究がスタートしたわけですね。

はい。当時はアミロイドβ前駆体蛋白がクローニングされたばかりでしたので、アミロイドβ前駆体を抗体で検出しながら、脳から精製する仕事をしました。このとき、大学院時代の抗体作製やタンパク質精製の経験が生きましたね。
でも研究を進めるうちに、患者さんの脳内に蓄積するタウが重要ではないかと考えるようになり、タウの異常リン酸化部位の解析をはじめました。亡くなられた患者さんの脳に蓄積するタウを精製し、消化したり、質量分析をしたりして、正常のタウとどこがどう違うのか、徹底的に詳しく調べ、異常リン酸化部位を同定しました。そのときの経験があるので、アルツハイマー病のタウのことは誰よりも自分が知っているという自負がありますし、大きな自信につながっています。その後、あるシンポジウムでMRC Laboratory of Molecular Biologyのミシェル・ゴダート先生にお会いし、英国のケンブリッジに留学することになりました。
ミシェル先生のラボに留学して一週間くらいたったとき、タウのリン酸化実験に立ち会いました。硫酸化多糖の一種であるヘパリンを添加すると、高分子のタウのバンドが現れていることに私が気づいたのです。「これは何?」と疑問を投げかけたところ、ミシェル先生が「電子顕微鏡で見てみよう」ということになり、覗いてみるとアルツハイマー病の異常タウ線維(Paired Helical Filament = らせん構造をした線維)と似たタウ線維ができていたのです。世界で初めてアルツハイマー病のタウが試験管の中でできたということでNature誌に掲載されました。
この他、1997年にレビー小体の主要タンパク質がαシヌクレインとわかったときのこと、前頭側頭型認知症にタウ遺伝子の変異が見つかったときのことなど、留学中、歴史的な発見の場に何度も立ち会えたことは強い印象として残っています。

───日本に戻ってからも認知症の研究を続けたのですか。

東京大学薬学部の岩坪威先生の研究室で、レビー小体型認知症の患者さんの脳に蓄積するαシヌクレインを詳しく調べる研究をさせていただきました。その後、東京都精神医学総合研究所の室長となり、池田研二先生の指導のもと、まだ正体が不明であった異常構造物の解析にとりかかりました。そして、現在筑波大におられる新井哲明先生と一緒に、それがリン酸化されたTDP-43であることを同定しました。
そしていまは、これまでお話ししたように、タウ、αシヌクレイン、TDP-43など、脳の神経変性に直接関与する異常タンパク質の広がりに関する研究を続けています。

───先生が研究において重要だと考えているのはどんなことですか。

最近の分子生物学の飛躍的な進歩により、培養細胞やマウスで遺伝子の改変がやりやすくなっていることがありますが、みんな同じようなことをやっているように見えます。細胞に変異タンパク質を発現させたり、遺伝子改変マウスをつくったり、遺伝子が翻訳されないノックアウトマウスをつくって、そこから病変の解明をしようとする研究ですね。
流行というのもあるかと思いますが、患者さんの脳を詳しく見る、調べるというスタンスの研究者が少なくなっているように思います。確かに、神経内科や神経病理の先生でないと、実際の患者さんの診察やその脳を調べるということは困難かもしれません。でも、専門的な立場におられる先生でも、そのように見えるので少し心配です。遺伝子の研究が悪いというわけではないのですが、モデル動物を調べる前にまず、実際の患者さんの脳を知る、調べるという基本姿勢が大切だと思います。遺伝子改変モデルの多くは、必ずしも実際の患者さんの病態を反映していないように私には思えるからです。

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