この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第8回 機械工学も、生命科学の進歩に大きく貢献できるんですよ。 早稲田大学高等研究所 岩崎清隆 准教授

この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第8回 機械工学も、生命科学の進歩に大きく貢献できるんですよ。 早稲田大学高等研究所 岩崎清隆 准教授

Profile

岩崎清隆(いわさき・きよたか)
1997年早稲田大学理工学部機械工学科卒業。2002年同大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士課程修了。2001年同大学理工学部機械工学科、兼、大学院理工学研究科生命理工学専攻助手、2004年早稲田大学大学院理工学研究科COE講師、早稲田大学先端科学・健康医療融合研究機構講師、米国ハーバード大メディカルスクール(Brigham and Women's Hospital)リサーチフェローなどを経て、現在、早稲田大学高等研究所准教授、東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設(通称、両校の頭文字とInstitutionの頭文字をとってTWIns:ツインズ)で研究を推進。エジプト-日本科学技術大学招聘教授。博士(工学)。組織無細胞化技術を基盤に、体内で自己細胞によって再生を促す移植用組織の開発をはじめ、生体内の拍動圧力・血流環境を模倣した組織培養装置で細胞から血管組織をを創る研究、ステント等の医療機器の加速耐久試験や、大気に接触せずに拍動流下で行う医療用材料の抗血栓性評価回路の開発など、医用生体工学・生体材料学分野で独創的な研究を続けている。

profile
機械工学というと、ロボットを作ったり、クルマや航空機や工作機械などを設計したり…といったイメージを持っている人が多いんじゃないかな。でも、機械工学は生命科学分野にも大きな貢献ができるんだ。岩崎先生は、医学と工学を結び付けた医工連携の研究機関で、動物のからだの組織から細胞を取り去って無細胞化した組織をつくり、それを体内で自己の細胞が入ってくる再生の足場として応用するという独創的な研究をしている。先生が心臓弁の研究や、機械工学の視点から生命科学分野にアプローチしたのは、どんなきっかけがあったのだろう。

背番号「1」をもらって、野球チームに入る

幼少期

幼少期

───小さい頃から勉強ばかりしていたのですか。

いえ、その逆で運動ばかりしていました。東京・世田谷区の三軒茶屋に住んでいて、地域の野球クラブに入っていました。野球をはじめたのは、そのチームの監督をしていた近所のおじさんが家を訪ねてきて、いきなり背番号「1」をくれたから。野球少年のあこがれの的だったジャイアンツの王貞治選手が現役時代につけていた背番号で、その背番号をもらえるなら野球のチームに入ってもいいかなと(笑)。
野球だけでなく外で飛び回ることが好きでしたね。家のすぐ裏に大学があって、キャンパス内の池で、ヤゴやオタマジャクシなどをつかまえることができたんです。生物学が好きだとか、そんなたいそうなことじゃなかったけれど、幼虫をポケットに詰め込んで家に持ち帰って怒られたり(笑)。

───中学でも野球をしていた?
幼少期

ラグビー部に所属した高校時代。試合前のひととき(写真右)

中学では野球から陸上に鞍替えし、1500mに挑戦しました。高校に入ってからはラグビーに夢中になりました。ポジションはフランカーで、だれよりもはやく球に触らなければならないし、からだの大きな相手にもアタックしなければならない。でも優秀な先生が教えてくれたおかげで、東京地区予選のベスト16まで行ったんですよ。

───得意科目は何でしたか。

小学校時代から算数は好きでした。国語はだめ(笑)。算数は先生がよかったこともあるけれど、「なぜ」と考えることが好きで、算数には疑問を出して、それに答えを出す魅力がありました。算数や数学については中学、高校、そして予備校時代までずっと好きでした。たとえば、ギザのピラミッドは、縦と横の長さの比がもっとも美しいとされる黄金比でできているなどと授業で聞くと、数学の持っている奥深さに感嘆したものでした。

───そうすると、大学は迷わず理系に進学しようとしたのですか。

ええ、子どものころから私をかわいがってくれたおじさんが早稲田の理工出身で、同じ理工系に進学しようと決めていました。数学科に進学しようかどうか迷ったのですが、少なくとも文系に進むつもりはまるでなかったですね。といっても、高校時代にとくに理工系に進学してどんな職業に就きたいとかということは考えなかった。結局、モノづくりが楽しそうだなということで、機械科を選びました。

PAGE TOPへ
ALUSES mail