この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第13回 三次元造形によるオーダーメイドの人工骨再生に挑む。 東京大学大学院工学系研究科 バイオエンジニアリング専攻  鄭 雄一 専攻長・教授

この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第13回 三次元造形によるオーダーメイドの人工骨再生に挑む。 東京大学大学院工学系研究科 バイオエンジニアリング専攻 鄭 雄一 専攻長・教授

Profile

鄭 雄一(Ung-il Chung/Yuichi Tei)
1964年東京生まれ。1989年東京大学医学部卒業。1997年東京大学大学院医学系研究科修了(医学博士)。1998年ハーバード大学医学部講師。2001年ハーバード大学医学部助教授。2002年東京大学大学院医学系研究科助教授などを経て、2007年東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻教授(医学系研究科兼担)。専門は再生医学/組織工学、バイオマテリアル工学、骨軟骨生物学。著書に『骨博士が教える 老いない体のつくり方』がある。

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絵を描くのが好きだった小学生は、高校生のとき画家になる夢を医者になる夢に変えた。やがて臨床の現場から研究者への道を歩むが、画家に憧れた少年は「形」というものに研究者になってもこだわった。からだの形を決めていく「骨」を研究し、人工骨によって欠損した骨の再生に挑む「骨博士」に、これまでの研究生活や研究の醍醐味をうかがった。

セザンヌが好きな少年は画家になりたかった

───どんな子ども時代を過ごしましたか。

東京の新宿区で生まれ、幼稚園に入るまでは千葉県の印旛沼のほとりにある安食(あじき)というところで育ちました。すごい田舎で、田んぼや川があって、家ではニワトリやウシ、それにネコとイヌをそれぞれ10匹くらい飼っていました。大きなコリーの背中に乗って遊んだりしていました。でもウシは近くに行くと怖かったなあ(笑)。そういう環境で遊びまくっていましたね。
幼稚園にあがるちょっと前に埼玉県の浦和に移りました。この頃から絵を描くのが好きになって、絵画教室に通って油絵を習ったりしていたんです。両親と休みの日にはデパートの展覧会や国立博物館などを見て回りました。好きな画家はセザンヌと佐伯祐三。今でも好きですよ。それに、モローやルドンにも魅力を感じました。

写真:幼少時代

東京・上野にある国立西洋美術館で(右は弟さん)

写真:幼少時代

弟さんとともに

───遊びまくっていたとすると、スポーツは得意でしたか?
写真:小学校時代

小学校時代、休日はあちこちに出かけた

いえ、運動神経はそれほど良くなくて、球技をやるとよく突き指をしましたね(笑)。ただ、体力だけはあったようで、長距離は得意でした。今でもマラソンは好きですよ。また歴史モノが好きで、「日本史探訪」などの本を読みふけっていました。言葉にも興味があって、英語の辞典を買ってもらって読んだり…。
中学校は開成中学に進学しました。比較的放任主義で、私の性格にはとても合った学校でした。ここで記憶に残っているのは、英語の授業が素晴らしかったこと。先生方が自分で教科書をつくり、テープ付きの読本を丸暗記させる授業でした。数学は代数とユークリッド幾何学をいきなりやるんです。これにはなかなかついていくことができなかった。
クラブは美術部に入り、放課後は毎日絵を描いて過ごしていました。テニス部にも入ったのですが、こちらは間もなくやめちゃいました。どうも運動部は性に合わなかったようです。

───そのころ、将来の進路は思い描いていましたか。

漠然と絵描きになりたいなどと考えていたかなぁ。石膏デッサンなどをやり始めたのもこの頃。でもすごい才能を持った芸術家の作品を前にすると、自分が本当に芸術家になれるだろうかという思いもありました。それと、ひたすら本を読んだおかげで、倫理や思想史がおもしろく、哲学者になりたいという希望も持っていました。まだ理系に行こうなどとは考えてもいなかったですね。

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