この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第19回 発生学はアートだ。美しくなければ発生学ではない! 東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 教授 武田 洋幸

この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第19回 発生学はアートだ。美しくなければ発生学ではない! 東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 教授 武田 洋幸

Profile

武田 洋幸(たけだ・ひろゆき)
1958年生まれ。1985年東京大学大学院理学系研究科博士課程退学。理学博士。東京大学理学部助手、理化学研究所研究員、名古屋大学理学部助教授、国立遺伝学研究所教授を経て2001年より現職。専門は発生遺伝学、実験発生学

profile
中学時代は陸上部のキャプテン、高校時代はラグビー部でバックス。典型的な体育会系の生徒だった武田先生。高校の先生や予備校の講師から学問や研究のおもしろさを教えられ、生物学の道に進んだ。そして、日本人によるメダカの全ゲノム解読のプロジェクトを立ち上げて世界で初めて解読に成功し大きな話題を呼んだ。「美しくなければ発生学ではない」という信念を持つ武田先生に、研究のおもしろさを伺った。

子どもの頃の自然体験が、生命科学者の道につながった

───どんな子ども時代を過ごしたのですか。
2歳 自宅の庭で 愛犬とともに

2歳 自宅の庭で 愛犬とともに

新潟市で育ちました。比較的静かな住宅街でしたが、海岸までは2~3kmの距離で、周辺には田園が広がり川が流れている自然環境に恵まれた街でした。仲間と一緒に川や海で釣りをし、フナ、ボラ、ハゼなどの魚を釣り上げて遊んでいました。
母方の親戚が市街地よりさらに田舎にあって、田んぼに囲まれた家によく遊びに行きました。水路には昆虫や魚がいたので、そうした生き物をとっていましたが、後から考えると、そうした経験が生物学の研究者になった理由の一つかな。
私が子どもの頃の新潟市は、冬には雪が50㎝は積もりました。ちゃんとしたスキー場へは中学生になってから行きましたが、小学生の頃は、海岸にある松林や近所のちょっとした坂で滑っていました。なにしろ豪雪地帯でしたから、冬の間は玄関の雪かきが日課になるほど雪が降りましたね。

───スポーツや学業成績はどうだったのでしょう。

当時は背が高かったこともあって、小学校の上級生の頃からバスケットバールをやってました。中学生のときには陸上部に入って主将を務め、短距離や幅跳びにチャレンジしました。後からの話になりますが、高校時代はラグビー部でバックスをしていたんですよ。
成績は中の上くらいかな。読書なども嫌いで、どちらかというと体育会系で、昔の友人は今の私の職業が研究者だと知ると、みんなびっくりします(笑)。
ただ、生物の授業だけは好きで、フナの解剖などもおもしろかったけれど、研究者になろうとか、そんなことは考えてもいなかったですね。

中学2年生 友人たちと(左手前)

中学2年生 友人たちと(左手前)

中学2年生 スキー場にて

中学2年生 スキー場にて

───勉強がおもしろくなるような何か転機があったのですか。

新潟高校に進学して、良い先生方に巡り合えたことだと思います。英語、歴史、物理、化学などの教科の先生は、東大や京大で研究していたりして、学者的な感じがありました。英語の先生はシェークスピアの研究者でした。そんな先生方の授業を聴くうち、勉強に興味がわいてきたんです。
特に物理の体系には感動しました。ニュートン力学は本当に美しいと思いました。研究者になりたいと考えるようになったのはその頃からでしょうか。実は歴史もすごく好きで、理学か歴史学か、そのどちらかの研究者になりたいと思ったのですが、受験の成功率から理学に進もうと決めました。それと、本当に好きなものは趣味でやってもいいかなと考えたのです(笑)。
ただ、高校時代はラグビー部に入ってクラブ活動に夢中だったので、受験の面でいえば勉強が追いつかなかった。京都大学の理学部を受けたのですが、合格できず一浪することになりました。東京に出てきて駿河台予備校で勉強したとき、予備校の先生も大学の研究者で、学問を体系的に学ぶことのおもしろさを教えてもらいました。結局大学は生物・化学が学べる東大の理Ⅱに入学することになりました。

PAGE TOPへ
ALUSES mail