───いつごろから将来は理科系と決めていたのですか。
そうですね。小学生のころから天文物理学者になりたいなんて思ったくらいだから、漠然と理系の研究者への憧れはありました。ただ将来は野球選手というのと同じで、なんとなく研究者ってかっこいいなというレベルのものでしたけれど。動物が好きだったので、将来は獣医になって動物園で働きたい、とも思っていました。
本格的に進路を決めたのは高校生になってからです。私が通った高校は、1年生の3学期に理系と文系のクラス分けをしたのですが、迷わず理系のクラスに入りました。1学年400人中、理系の女子は15人だけ。そのうちほとんどの人は医学部か薬学部志望でした。でも、私は医者になるつもりはまったくなかった。「お医者さん」とか「先生」と呼ばれると、職業にスタンプを押されてしまい、それに縛られるような気がしたのです。それより、研究者のほうが自由な感じがしました。研究業績だけが評価の対象で、たとえはおかしいかもしれませんが、演歌歌手がCDを地方巡業して売り歩くのに似ているな、と(笑)。研究者は、自己責任の世界だと考えたのです。
▲ 高校時代 後列左から2番目
───どの分野に進むかの決め手となったのは?
高校時代に夢中になって読んだのが、コンラート・ローレンツの『愛と憎しみ』『攻撃―悪の自然誌』、ミツバチのダンス言語を研究したカール・フォン・フリッシュの「ミツバチの8の字ダンス」など動物行動学の本です。京都大学の教授で独自の進化論を発表していた今西錦司の本も読みました。行動生物学をやりたいと、お茶の水女子大学の理学部生物学科への進学を決めました。
───生物学の中でも集団遺伝学をテーマに選んだのはなぜでしょう。
お茶の水女子大からは上野動物公園が近くて、よく足を運び、サル山を観察していました。そうすると、母親でもないのに、おじさんサルが赤ちゃんサルを抱いて子守をしているのが見えたのです。私は、このおじさんサルは、甥っ子を抱いているのではないか、自分の遺伝子を持っている子どものサルに血の濃さを感じているのではないか、そんなことをいろいろ考えているうちに、動物の社会性行動がどう進化してきたのかを研究したいと思うようになりました。そのためには遺伝学をきちんと勉強することが大切です。「集団遺伝学」をテーマに定め、卒業研究では小笠原諸島の父島由来のショウジョウバエ集団が保有する遺伝的変異量を推定する研究をしました。
修士課程を経て博士課程に進学するとき、「遺伝子の言葉で行動を語るような研究がしたい」と指導教官に話したところ、「森さん、それは贅沢というものです。そんな学問はありません」といわれ、日本では自分のやりたい研究ができないと思って、ワシントン大学の博士課程に入学しました。
▲ お茶の水女子大学卒業
▲ 大学院修士課程時代