この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」第20回 ワシントン大学の厳しい指導教授に鍛えられたことが財産に 名古屋大学大学院 理学研究科 生命理学専攻 教授 森 郁恵

この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」 第20回 ワシントン大学の厳しい指導教授に鍛えられたことが財産に 名古屋大学大学院 理学研究科 生命理学専攻 教授 森 郁恵

Profile

森 郁恵(もり・いくえ)
1980年お茶の水女子大学理学部生物学科卒。同年同大学大学院理学研究科生物学専攻修士課程入学。82年文部省国際交流派遣制度の留学生として英国サセックス大学に留学。83年国立がんセンター研究所、88年米国ワシントン大学生物医学系大学院で博士号(遺伝学)取得。89年九州大学理学部生物学科助手、98年名古屋大学大学院理学研究科助教授。2004より現職。専門は行動遺伝学、分子神経生物学。2006年自然科学分野で優れた業績を挙げた日本の女性科学者に贈られる「猿橋賞」受賞。同年井上学術賞受賞。

profile
ドッジボール、野球、ソフトボールが大好きで、中学から高校までソフトボール部のキャプテンでピッチャー、4番打者で自称「体育会系」の森先生。高校時代から行動生物学に興味を持ち、大学の生物学科に入学。ワシントン大学に留学中、新しい実験モデル動物の「線虫」に出合い、以後、線虫の記憶や学習、行動を制御する神経回路システムを探究している。

夢は天体物理学者、科学実験に夢中の少女時代

───子どものころはどう過ごしていたのでしょう。
七五三

七五三

東京で生まれ、小学校3年生の時から神奈川県の平塚に移り、小中学生時代は平塚で過ごしました。ちょっと歩けばデパートがあり、商店街がある、どこにでもある普通の街でしたね。田園風景なんて知らないし、そういう意味ではいわゆる故郷がないんですよ。
小学校時代で印象に残っているのは、1年のとき、東京オリンピックが開かれたことでしょうか。オリンピック中継を見せるために、小学校の教室にテレビが設置され、世の中がオリンピック一色だったような気がします。
私は国立競技場に陸上競技を見に行ったのですが、競技が終わると、選手と観客が入り混じって交流したんです。そのとき、女性アスリートと一緒に写真を撮った覚えがあります。

───成績はいかがでしたか。

小中学校ともに、近所にある普通の公立学校に通学していて、そういってはなんですけど、あまり勉強しなくても成績は良かったと思います。ただ、背が高いこともあって、とかく目立ってしまう。たいてい席が一番後ろでしたから、授業中に友達とおしゃべりしては先生に叱られました。「おしゃべりの罰に漢字100字書きなさい!」なんて(笑)。
理科は好きでした。学研の「科学」という雑誌を小学校高学年から講読していて、付録についていたイーストでパンを焼いたり、いろいろな実験をして遊びました。夏の自由研究では、浴槽に水を入れていっぱいになると、スイッチがオンになってブザーが鳴るという装置をつくったり。そうそう、プリンづくりに凝って、毎週のようにつくったこともあります。卵の配合や蒸し時間によって、プリンの固さ、なめらかさが違います。どうしたら理想のプリンになるだろうと研究を重ねて、一人では食べきれないものだから弟に無理やり食べさせて・・・・・・。そういう科学的な遊びに粘り強く取り組む子どもでしたね。お正月のお年玉で天体望遠鏡を買って、将来は天文物理学者になるんだなんて考えていました。
本を読むのも好きでした。ピアノを習っていたこともあって、バッハ、モーツァルト、ベートーベンなどの音楽家の伝記を読んで感動しました。

───とすると、外遊びより、家で勉強しているほうが好きだったのですか。

いいえ、どちらかというと体育会系(笑)。
ドッジボールが好きで、あまりやりすぎて、腕の骨が折れてしまったのではないかと勘違いするくらい熱中しましたね(笑)。それと、野球が大好きでソフトボールをやっていました。当時、王、長嶋、いわゆるON(オーエヌ)が活躍するジャイアンツの全盛時代。私もご多分にもれずジャイアンツファンでした。中学のソフトボール部でのポジションはキャッチャー。守りの要だし、監督以外に試合に参加して指示を出せるのはキャッチャーなので、すごく魅力を感じたんです。
でもあるとき、先輩に「森さん、ちょっと投げてみて」と言われて、投げたところ「あなた、今日からピッチャーね」と、その日から投手に転向することになりました。打順は4番で中学3年生の時はキャプテンを務めました。ソフトボールはその後も高校、大学とずっと続けました。大学時代には、早稲田大学のソフトボール愛好会が女子部をつくるというので、日本女子大と一緒に参加しました。毎年合宿して、お酒飲んで酔っ払って(笑)。こうお話しすると、ほんとうに体育会系ですね(笑)。

───活発だった様子が目に浮かぶようですね。

「女の子らしく」とか「~だから○○」と十把一からげにする「レッテル張り」が昔から嫌いでした。小学校4年生のときこんなエピソードがあります。家庭科で裁縫箱を買うことになったんです。担任の先生が「青とピンクの裁縫箱をまとめて注文します」というので、「私は青い裁縫箱にしてください」ととっさに口に出しました。ほんとうはピンクが好きだったのに、「青は男子、ピンクは女子」と決めつけられてしまうのがとにかくイヤだったのです。

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