この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

トランスジェニック・マウスの受精卵の美しさにひかれて

───中学生になると、少しは進路などを考えるようになったのですか。

いいえ、まだ、それほどしっかりした将来の見取り図を持ってはいませんでした。週1回授業として選択するクラブ活動で演劇クラブに入ったこともあって、女優になりたいなんて思ったくらいなんですから(笑)。母が翻訳の仕事をしていて、FAXなどもありませんでしたから、母に代わってその原稿を東京の出版社に届けることがあって、出版社の雰囲気などが気に入ってマスコミで働きたいという希望を持ったこともありました。でも、それも必ずマスコミに入りたいとかというのではなく、漠然としたものだったと思います。

───どんな学科が好きだったのですか。

中学生の頃に好きだったのは英語と国語でした。理科、数学は嫌いだった。理数科目は何がおもしろいのか分かりませんでした。通っていた中学校は新設されたばかりで、生徒が自分たちでクラブをつくったのですが、私たちは水泳クラブを創設して夏は水泳に明け暮れていました。屋内プールがなかったので冬になると解散して私は卓球部で活動していたんですよ。そんなわけで、成績は中の中くらいだったでしょうか。
そうした状況が変わったのは高校に入ってからでした。生物の主任の先生がとても良い先生で、授業はその先生が用意したプリント教材を使って行われました。たとえば、イモリの胚を題材にしたシュペーマンの発生学の実験をとりあげ、「この実験からどんなことが考えられるか」を生徒自身に考えさせるものでした。自分で考えることによって、自分では実験していないのにもかかわらず、あたかも自分で実験しているようなバーチャル実験体験を得ることができたんです。私は、暗記などはおもしろくなかったけれど、子どものころから空想することは大好きだったので、この生物の授業はハマってしまい、初めて理科系の科目がおもしろいと感じました。

───その時の体験が現在のトランスジェニック動物の研究に続いているわけですか。

そうですね。ちょうどその頃、遺伝子を改変したトランスジェニック・マウスの発生を映像で紹介するテレビ番組を見て、その受精卵がすごくきれいだったことや、発生工学によって動物の発生の運命が変えられることを知って、すごく感動しました。子どもの頃、なぜ自分がここにいるのか、どうしたらヒトができてくるのかなどについて考えたりしていたのですが、その生物学的な回答がここにあるような気がしたのです。倫理的な問題とは別に、こうした発生の仕組みがすべて分かれば、試験管の中で生き物を誕生させることができるのではないかなどと、想像を巡らせていました。それで、大学は絶対に生物学を学ぼうと思ったのです。

高校の修学旅行にて(下段中央)

高校の修学旅行にて(下段中央)

───大学では農林学類に入学していますね。

地元ということで筑波大学を選びました。生物学を学ぶ選択肢としては、定員80名の生物学類と120名の農林学類があったのですが、定員が多い方がひっかかる確率が高いと父が勧めるわけです。私は「大学に入って田植えなんて・・」って抵抗したんですが、父に「いまバイオといえば農学なんだ!」と押し切られて(笑)。
農林学類では2年生の終わりまでは、園芸や田植えなど農学の全体を学び、3年生になって専門学科を絞り込みます。私は最終的には遺伝子改変を学びたいと思っていて、動物の個体を扱える畜産学研究室を志望しました。大学時代はカヌー部や有機農法を実践する会などに入って、車で全国を回るなどとても楽しく過ごしたんですが、あまり勉強をしなかったので、競争率の高い畜産学研究室がある専門コースに入れるかどうか心配しました。そこに入れなかったら、第2志望の造園学科に進んで、将来は自分で公園を設計してそこで昼寝していようなんて思っていたのですが(笑)、幸い畜産学研究室に入ることができました。
3年生の後半に研究室に配属され、そこでヤギの性周期がホルモンによってどう調整されているか、簡単に言うとヤギの赤ちゃんがおっぱいを吸っている間、母ヤギの排卵が起きないのはなぜかについて研究しました。発生工学を学ぶためには、卵子や排卵などについて知っておく必要があると考えたからでした。

カヌーの試合

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シバヤギのホルモン測定中

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