この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

大学時代から企業の研究室で研究に取り組む

───大学時代はどんなことに興味を持ったんですか。

東大は1、2年生のときは駒場の教養学部で学ぶのですが、学生有志で物理や生物の先生方をお呼びしてワークショップを開催しました。他にも細胞内の異常なたんぱく質を分解するオートファジー研究の大家である大隅良典教授のところの輪読会に参加したりと、今思えば、冷や汗ものですが(笑)。
このころ、医学部の授業は、生死、健康・病気、自己、精神、など、私にとって魅力的なテーマが詰まっていました。けれども、これらの概念は物理や化学などの学問のようには体系化されていない。どうしたら体系化できるか一生懸命考えていたんです。
3年生になってから、生物の全遺伝情報であるゲノムを丸ごと読んでしまおうという「ゲノムプロジェクト」が発表されました。それは生物の個体が自分を書き表す言葉のすべてを読むようなもので、これまで捉えどころがなかったものが明らかにできるのではないかと、まあ、そう思い込んだわけです。
全ゲノムを取り扱うとなると、ヒトだと約30億個の塩基対、約2万数千個の遺伝子が研究対象になります。コンピュータを知らなければとても勝負できない。また、ゲノムをモノとして扱うには工学の知識も必要不可欠です。自分はその両方を身につける必要があると考えていた時に、今はソニーコンピュータサイエンス研究所の所長をなさっている北野宏明先生のセミナーがありました。北野先生のこれからコンピュータを使って生命科学を研究するという話に、とても興味を引かれました。

東京大学医学部6年生(左から2人目)

東京大学医学部6年生(左から2人目)

───それで、北野先生のところで研究をすることにしたんですね。
大学院時代

大学院時代

そうです。その年の夏だと思いますが、北野先生のところに押しかけて行きました。先生は「変な汗臭い奴が来たなあ」と思ったそうです(笑)。ソニーコンピュータサイエンス研究所で、細胞内のプロセスをコンピュータでシミュレーションする研究を始めました。
その後、ソニーと山之内製薬で共同研究が始まり、私もプロジェクトの一員に加わりました。ちょうど大学院への進学を考える時期で、大学と企業とが手を結んで研究をする産学連携が注目されるようになったこともあり、東大医学部薬理学の飯野正光教授が、私を製薬会社が派遣した研究員として研究室に受け入れてくださったのです。

───大学院に属さず、製薬会社の社員として研究を続けていく道はとらなかったのですか。企業は自由ではなかったとか?

いえ、むしろすごく自由に研究活動をすることができましたね。私はそのころまだ博士号は持っていなかったのですが、グループリーダーにしていただき、修士号や博士号を持った社員をスタッフとしてつけてくれました。ただ、知的なディスカッションの幅や情報の量などは大学のほうが恵まれていたこと、また飯野先生や助手だった廣瀬先生(現在 東大医学部教授)との議論がとても面白くて、企業と大学の両方で研究活動をするのがベストだと判断したのです。

2002年 日伊共同セミナー ポストシーケンス時代に向けた基礎・応用がん研究(左から3人目)

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2002年 日伊共同セミナー ポストシーケンス時代に向けた基礎・応用がん研究(左から3人目)

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