この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

時計遺伝子の発現の謎を解く

───先生の概日時計の研究を、中高校生に理解できるように話していただけませんか。

梅や桜が決まった時期に咲くように、私たちも通常、朝になると自然に目覚めますね。私たちのからだには自然がつくり上げた時計があり、これを「概日時計」と呼びます。概日時計のリズムはおおよそ24時間の周期ですが、光や気温の変化を感知してリズムを微修正し、体内で起こるさまざまなイベント──睡眠、覚醒、ホルモンの分泌などの多様な生理機能を調節しています。
私たちのからだには、脳や皮膚や心臓、血管、さらに腸や肝臓といった臓器などさまざまな場所にこの概日時計を持った細胞が存在します。そして、ちょうど電波時計の電波にすべての時計が時刻あわせをするように、全体として統一的な時間を刻んでいるのです。
近年の研究で、概日時計は1日約24時間の周期で働く「時計遺伝子」によって司られていること、そして脳の視交叉上核というところにある中枢の遺伝子が、からだ中にある末梢の遺伝子をコントロールし、時計遺伝子の針を同調させていることが分かってきました。さらに私たちの研究で、時計細胞の中に、朝、昼、夜の3つのスイッチをオンにしたりオフにしたりする機構が備わっており、1日の時間を刻んでいるほか、概日時計と光の情報によって季節を判断する体内カレンダーなどもからだの中に存在することが解明されてきました。

───朝、昼、夜のスイッチの役割については、いったいどんなアプローチで研究したのですか?

細胞の核の中には遺伝情報の設計図とでもいうべきゲノムDNAがあり、GATC(グアニン、アデニン、チミン、シトシン)という4つの塩基が長い鎖となって連なっています。その塩基配列がRNAに転写されて、その設計図の暗号に従ってアミノ酸が合成され、遺伝子の発現をコントロールするタンパク質がつくられることは、生物の授業で習いましたね。
私たちは、脳の中には朝、昼、夜に周期的に発現する重要な20の時計遺伝子を抽出しました。そして、朝、昼、夜の時間に働く遺伝子の塩基配列を研究し、朝方配列、昼型配列、夜型配列の3つのタイプがあることを見つけ、それらがどのようなタイミングで関係しあっているかを、細胞の転写情報を一度に取得できるシステムをつくったり、細胞に発光タンパクをつくりだす遺伝子を導入して、発光量を測定するなど、さまざまな実験技術とコンピュータによる解析を組み合わせ、研究していったのです。そしてヒトの概日時計の転写回路には、スイッチをオンにする転写活性因子(緑)とオフにする転写不活性因子(赤)があり、20の時計遺伝子が複雑なネットワークをつくっていることを突き止めました。

───こうした研究手法が、先生が開拓してきた「システムバイオロジー」なのですね。「システムバイオロジー」についても簡単に教えていただけますか。

生命現象をシステムとして理解するために、分子や細胞を自在に扱う「Wet」の技術と、大量の情報を定量的に扱う「Soft」の技術、そしてさまざまな計測システムなどをつくり出す「Hard」の技術を駆使して、数千から数万の遺伝子や分子からなる動的で複雑な生命というシステムの解明をめざすのが、システムバイオロジーです。
ただ、私はこうした研究を積み重ねながら、今は、システムの重要性と同時に、システムを構成する一つ一つの細胞や遺伝子、酵素などの要素についても、もっと掘り下げて研究することの大切さに目を向けています。

───それはどういうことですか。

システムやネットワークという部品相互の関係性ばかりに注目してしまうと、ややもすると、部品の性質や個性を見失いがちになってしまうからです。
たとえば、時間をどこが決めているのか、どのようにカウントしているかを考えたとき、当初私たちは、それぞれの遺伝子同士が連絡を取り合って決めているんだと思ったわけです。演劇でいえば登場する役者同士がお互いに話し合って、相互の関係性の中で役割が決まるというようなイメージで捉えていたのです。しかし、研究を進めていくうちに、システムというよりも、たった1個の酵素が重要な役割を果たしていることに気付きました。役者の個性によって劇の印象が劇的にかわるのと同じですね。

───もう少し具体的に教えてください。

概日時計の分野で、長い間謎とされていたのが、概日時計の「温度補償性」の問題でした。恒温動物の体温はある程度一定に保たれていますが、体調によっても、また皮膚や内臓などからだの部位によっても体温は異なります。もし概日時計が体温の変化に影響を受けると、血圧やホルモン分泌などが不規則になってしまうはずですが、実際は体温が変化しても概日時計の周期は変化しません。
しかし、体内で活性化している酵素は温度の影響を受けるものだと信じられていて、ではなぜ概日時計は温度変化に左右されずに温度補償性を保つことができるのか、さまざまな仮説が提唱されてきましたが、未解決のままでした。
私もさまざまなネットワークを考えてみましたが解が出ないのです。これは、酵素が温度に依存するという前提がそもそも間違っているのかもしれないと考え、概日時計の周期を変化させる化合物をスクリーニングし、酵素の働きを調べていくことにしました。そしてさまざまな実験を重ね、ある酵素が温度変化の影響を受けることなく、概日時計の時間の定規として機能していることを解明したのです。

───酵素は温度によって影響を受けるという定説を疑ったわけですね。

ええ、研究者にとって大切なのは、ナイーブな疑問を持つことだと思います。私たちは、定説があった場合、その定説を覆すことはできないと考えてしまいがちです。しかし、「できない」ことをなぜ「できないのか」と問うことから始めることが大切だと思っています。「できない」原因について、専門家でもきちんと検証していないこともありますから。
この研究でも、「概日時計を構成する酵素も温度の影響を受ける」という前提が間違っていたわけで、この前提に疑問を持ったことで時計遺伝子の本質に近づくことができたのだと思っています。

───こうした概日時計の研究を進めることで、どんな応用が期待できますか。

一つは、概日時計に関係した病気の解明や治療への応用です。リズム障害や不眠症などによる昼夜逆転、あるいは認知症の患者さんの夜間徘徊など、概日時計の狂いによる疾患が数多くあります。概日時計のメカニズムを明らかにすることによって、治療への道が開かれるものと期待しています。
また、個人の概日時計を正確に知ることができれば、投薬の時間を最適にして、薬の効果を高めることもできると思います。

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